閲覧数最多記事で2017年を振り返ってみる

2017年12月31日日曜日

ブログ

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年の瀬のご挨拶

 2017年最後の日になりました。早いものですね。皆さんにとって今年はどんな1年だったでしょうか。
 今年も1年間、当ブログを続けることができました。読んで下さる皆さんのおかげです。また沢山のコメントを頂いて、本当にありがとうございました。いつも励みになっています。

 さて今回は、毎年恒例となっていますが、各月の閲覧数最多記事をザッと紹介しながら、1年を振り返りたいと思います。1月から12月まで、それぞれの月で最もPV数の伸びた記事を1本ずつ紹介します。

 他のブロガーの皆さんがどうしているか知りませんが、私は投稿した記事をほとんど読み直しません。読むと大抵、細かいところを直したくなるからです。句読点を消して、また付けて、また消して、みたいなことを続けてしまうので、キリがありません(笑)。

 だからこういう機会でないと読み直しません。で、読んでみると懐かしかったり、ほとんど忘れていたりします。また書いた時のことを思い出します。あーこんなことがあったなあとか、こんなことを考えたなあとか。1年を振り返るのに、ちょうどいいですね。

 では、よろしければお付き合い下さい。

1月
貫き通すべき「信仰」とは何か。映画『沈黙-サイレンス-』から。

 映画『沈黙』が上映されたのは1月だったのですね。もっと前かと思っていました。確か平日の昼間の回に行ったのですが、劇場はガラガラでした。
 よく見る日本の俳優が、全然別人に見えました。みんなカッコ良かったです。日本の映画やドラマはレベルが低いとよく言われますが、撮り方次第、演出次第なのかもしれません。

 長崎の潜伏キリシタンたちの、迫害を逃れ、夜中にボロ小屋に集まってミサを捧げる姿は泣けました。でも教える人が少ない(いない)せいか、キリスト教そのものが若干勘違いされているような気もしましたね。キリスト教のガラパゴス化というか。

2月
映画が意図的に語らなかったのか、あるいは語る必要がなかった真実。映画『沈黙―サイレンス―』より。

 2ヶ月続けて『沈黙』関連の記事がトップになりました。それだけ注目されていたのだと思います。そう言えば私は劇場で1回見たきりですね。DVD化されても、どうも借りる気になれないまま、今日に至っています。迫害や拷問の凄惨さが今も脳裏にあって、もう一度見返す必要がないくらい覚えているからかもしれません。

3月
「教会を出た人」って何

 ある教会指導者が「教会を出た人の話なんか聞いていられない」みたいな暴論を吐いていたので、ちょっと怒り気味で書いた記事です。「教会を出た人」と言ってもイロイロなのに、全部一括りにして「そんな連中の話に価値はない」と切り捨てる人の教会には、少なくとも私は行きたくありませんね。私など歓迎してもらえないかもしれませんが笑

 SNSで下手にクリスチャンをフォローすると、面倒くさいことになるなあと思いましたね。

4月
【書評】『教会と同性愛 互いの違いと向き合いながら』・その4

「教会と同性愛 互いの違いと向き合いながら」という書籍からシリーズで書いた記事の、最後の回です。掲載されていた体験談について書いたのですが、一番多く読んでもらえました。やはり実際の体験、誰かの人生の物語に、人は惹かれるのかもしれません。

5月
聖書を使ったイジメ

「聖書にこう書いてあるだろう!」と言ってLGBTQの人々を断罪する人たちがいますが、ハッキリ言ってイジメです。聖書を使って、叩きのめしているのです。聖書を使っているだけにタチが悪いですね。
 聖書解釈は1つでないのに、「自分の解釈だけが正しい」と信じ込んでいるのです。そしてその解釈を押し付け、聞かない人々を叩きます。そういうのをproof textingと言いますが。

6月
キリスト教会(の一部)では、すんなりと人権が侵害されている

 本人の意に反して「許しなさい」「もっと祈りなさい」「もっと献金しなさい」みたいなことを言う教会がありますが、一般的に考えて人権侵害だなあと思います。立場や権威を利用して、信徒の自由を奪っているからです。それに泣く泣く従って大変な目に遭った人を少なからず知っていますが、本当にかわいそうです。詳しくは記事を参照して下さい。

7月
「聖書研究」の落とし穴

 聖書研究に熱心な人たちがいますが、出発点が自分の教派の聖書解釈や方向性なので、結局そこから離れられず、「自説を補強するだけ」になることがあります。すると、研究すればするほど視野が狭くなる、というパラドックスに陥ります。本人は自信満々なのですが。

8月
【翻訳】ゲイ「治療」クリスチャン・キャンプからの脱出(イワン・マソウ著)

 初の英語翻訳記事でした。2週間くらいかけてコツコツ翻訳しましたね。仕上がったのは確か月曜の夜でした。掲載前に、できるなら許可を取ろうと思って、イワンさん本人にメールしました。つたない英語のメールでした。でも送って3分くらいで「全然いいよ!」みたいな返信が本人から届いて、驚きましたね。やっぱり出来るビジネスマンは返信が速いみたいです。

 それはいいとして、「ゲイは治療できる」「ゲイは正常な状態ではない」みたいな時代遅れな偏見をいまだ固く信じている人たちがいるのに驚きます。どれだけ想像力が乏しいのでしょうか。あるいは関心がなくて、そのへんをほとんど考えていないのでしょうか。あるいは自分自身で(性的なものに限らず)マイノリティな立場を経験したことがないのかもしれません。

9月
潜在的メサイア・コンプレックス

 自分をキリストだと思っているわけではないけれど、「自分には人を救う使命がある」「自分ならうまく助けることができる」「自分がやらなければダメなんだ」と固く信じている状態を、「潜在的メサイア・コンプレックス」と名付けてみました(勝手な造語です)。

10月
【翻訳】心の病があっても教会に行って良いのですか?

 米国には、「精神疾患を教会の人たちに知られたくない」と言うクリスチャンの方が少なからずいるようです。知られると拒絶されたり、断罪されたり、「癒し」を強要されたりするからです。教会は人々をケアするはずの場所ですが、そうでなくなっているようです(一部の教会でしょうけれど)。
 日本の教会にもそういう傾向はありますが、むしろ「(人手不足で)そこまで対応しきれない」という寂しい事情の方が、大きそうです。
 もちろん精神疾患の治療的ケアには、専門的な知識や技術が必要です。そこまで教会がすべきでありません。ただ教会には教会のできること、役目があるはずですよね? というお話です。

11月
ビジネスリーダーと化す牧師たち

 ビジネスが大好きで、もはや牧師というよりビジネスリーダーみたいになっている人たちがいます。聖書とビジネス啓発本を混ぜたような発言で「カリスマっぽさ」を強調しますが、やっていることは皆同じで、しかも中途半端です。
 そのビジネスを進めるために信徒を酷使するわけですが、あくまで「訓練」であり、「地域社会のため」であり、「神のため」であると言います。でも本当はビジネスで成功して、注目されたいだけです。自分の承認欲求のためなら信徒も教会も平気で犠牲にするわけですね。
 若い牧師がビジネスビジネス言い出したら要注意だと覚えておいて下さい(笑)。

12月
自分のことを「クリスチャンです」と言わない理由

 聖書によると、「クリスチャン」という呼称は、自称でなく他称が始まりだったようです。「あの人はキリストみたいな人だな」という「評価」に伴うものだったということです。であるなら、自分で「クリスチャンです」と言うのはおこがましいことではないかな? というのがこの理由ですね。

 そういう話をSNSで見たのですが、いつどこでだったか、全然覚えていません(笑)。
 私はブログのネタになりそうなものをいつも探していて、そういう視点でSNSや新聞やテレビや雑誌を見ています。そして気になったものを記憶に留めておくようにしています。でも、けっこうな頻度でソースを忘れてしまいます。だから記事に書こうと思った時に、あれこれ探すハメになるのですね。記事を書くより案外こっちの方が大変かもしれません。
 というわけで2018年の目標は「ソースを忘れない」にしましょうか(笑)。

 さて、以上になります。
 繰り返しになりますが、今年も読んで下さってありがとうございました。またコメントも感謝でした。皆さんどうぞ良いお年を。また良ければ2018年(と言っても明日ですが)にお会いしましょう。

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