2019年11月15日金曜日

【お知らせ】コメントに返信できずごめんなさい

お知らせです。

いつも当ブログをお読み下さり、またコメントして下さりありがとうございます。
全てのコメントを読ませていただいています。

たいへん申し訳ないのですが、管理者であるわたし自身が現在、当ブログのコメント欄にコメントも返信もできなくなっています。bloggerの仕様の問題かと思われますが、原因はまだわかりません。

いただいたコメントに何度も返信しようとあれこれ手を尽くしたのですが、不可能でした。
決して読んでいないのでなく、無視しているのでもありません。
せっかくコメントいただいたのにごめんなさい。

Twitterアカウントをお持ちの方は、よろしければTwitterの方でリプライ下さい。その方がダイレクトにやり取りできます。

ご迷惑お掛けして申し訳ありません。

フミナル

2019年11月14日木曜日

教会のここに呆れたよ! って話


教会の電子レンジが壊れたので処分して新しいものを買おうとしたら、「昔◯◯さんが献品してくれたものだから捨てないでくれ」と言われて、そのまま新しいやつの隣に鎮座したままになっている、という話を聞いて仏壇みたいだなと思った。


クリスチャン夫婦の夫の方が、妻がこうなんですよと教会で不満を漏らすと、あとから妻が牧師夫妻に呼ばれて「◯◯しなさい」と言われる。でも同じことを妻がすると大体その場で「男性はそういうものだから」とか「我慢してあげなさい」とか言われる。これ男尊女卑じゃなかったら何なの。


ある教会の伝道会議にて。
教会「伝道強化だ。何でもやるぞ」
皆「会堂を開放したら」
教会「主の宮を汚してはならん」
皆「SNSを活用したら」
教会「この世に迎合してはならん」
皆「慈善事業などやったら」
教会「導かれたらな」
皆「もっと間口を広げたら」
教会「狭い門から入れと書いてある」
皆「何でもやるのでは...?」


何でも正直に腹を割って話してくれ、言いにくいことでも構わない、何でも言えるのが神の家族なんだから、と言われたので「あなたの怒り方は異常だと思う」という意味のことを牧師に婉曲表現で伝えたら、めちゃくちゃ怒られた。以来「神の家族だから」というワードに警戒するようになっている。


教会の若い人が「良き時間」とか「良き交わり」とかの文語体を臆面なく使っているのを聞くと、日本のサムライ魂がしっかり受け継がれてるなと安心する(安心しない)。


キリスト教書店のある棚をザッと眺めると。
「若いクリスチャンのための10の祈り」
「夫婦のための20の祈り」
「霊的生活を建て上げる5つの習慣」
「思考を制する7つの霊的実践」
「3つのゴール」
「教会生活は5つの祈りと共に」
「祝福に満ちた人生のための30の祈り」
クリスチャン忙しいっす。
ところで巷に溢れるビジネス系啓発本と同じような雰囲気を感じるのは自分だけ……?


最後に、自分自身に呆れた話。
教会でこれこれのトラブルがあって解散になった、次にどこの教会に属するべきか悩んでいる、という話をした時、ある人から「信仰のことで被害にあった人はいずれ信仰のことで他者を加害するようになるから、教会に行くべきでない」みたいなことを言われて、なんだか呪いを掛けられたような気分になった。
でもその人が言わんとすることが、何となくわかったんですよ。今も教会に属さない理由の一つは実はそれ。教会で自分がやられた分だけやり返してやる、みたいな加害欲求みたいなものが自分の中にあるんですよ。そういう自分自身に呆れる。