2018年6月18日月曜日

クリスチャンは「古い人」でなく、「新しい人」なのですか?

 聖書に「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」という言葉がありますね(第2コリント5章17節)。
 他にも「新しい革袋」とか、「御霊によって生まれ変わる」とか、似たよな表現がいくつかあります。
 要は、「古い人」と「新しい人」の概念がある、ということだと思います。

 ではクリスチャンの皆さんは、「新しい人」なのでしょうか。
 あるいは「新しい人」になりつつある「古い人」なのでしょうか。
 それとも実は「古い人」のままなのでしょうか。

  でもそもそもの問題として、それはいったい誰がどうやって、判定するんでしょうね。自分? 他人? 牧師?
 それともクリスチャンになったら自動的に「新しい人」に変わるから、判定は必要ない、という主張があるかもしれませんが。

 ヒントになるかどうかわかりませんが、今話題のクリスチャントゥデイのツィートに、こんなのがありました。

「古い人」の本音は肉の欲であり、「新しい人」の本音は主の教えです。

 これが事実なら、本音を見ればその人が「古い人」か「新しい人」かわかる、ということになります。
 でも他人の本音を探るのは難しいですね。適当にごまかせますから。自分のならわかりますが(笑)。

 それにクリスチャンだからって、24時間365日「本音=主の教え」な人なんているんでしょうか。
 たとえば「あ、トイレに行かないと」と思うのは誰にでもあるはずで、それは切迫すればするほど究極の本音(笑)になるはずですが、排泄の欲求って、主の教えじゃないですよね。仏教徒にもヒンズー教徒にも無神論者にも、同様にあるはずです。
 ということは、本音が主の教えになっていない時があるということです。

 もちろんトイレ云々の話は冗談ですよ(笑)。
 でも真面目な話、この「古い人」と「新しい人」の概念は、クリスチャンにとって祝福というより、呪いじゃないかと私は思います。
 というのは、「新しい人」でいないといけない、というプレッシャーがあるからです。

 教会の中を見回してみて下さい。教会生活が長い人ほど、品行方正そうに、敬虔そうに、愛深そうに、信仰に篤そうに見えませんか。でもその姿は、本当に彼らの本音からくるものなのでしょうか。「先輩なんだから模範的でいないと」というプレッシャーがあるのではないでしょうか。

  最近、知り合いのクリスチャンがこんな話をしてくれました。
「教会で真面目に奉仕している人が、こっそりタバコを吸っているのを見てしまった」
  その人の教会は飲酒喫煙厳禁だそうです。

 実は私も同じような経験をしたことがあります。教会で真面目にお祈りして奉仕している人が、コンビニの前でプカプカとタバコを吸っているのを、偶然見てしまったのです。気付かない振りして遠ざかりましたが(私の教会も飲酒喫煙はNGでした)。

 飲酒喫煙の是非はともかく、そこには「新しい人っぽく見せたい」という願望なりプレッシャーなりがあると思います。でなければ、堂々と吸うはずでしょう。
 ということは、本質的には「古い人」なのではないでしょうか(それを責めるつもりは全然ありません)。

  こういう例は他にも沢山あります。不倫に走る牧師、教会の金を横領する牧師、暴力に走る牧師・・・。
 私の印象では、牧師歴が長い人ほどそれらの問題に陥っています。
 彼らは本当に「新しい人」だったのでしょうか。
 あるいは「新しい人」だったけれど、どこかで「古い人」に逆戻りしてしまったのでしょうか。
 それともずっと「古い人」だったのでしょうか。

 誤解を恐れず言わせてもらうと、教会は「新しい人」たちの集まりでなく、「新しい人っぽく見せたい人」たちの集まりです。
 もちろん全員がそうだと言うつもりはありません。でも特に「新しい人」を強調する教会ほど、その傾向が強いと思います。

 だからみんなして、「新しい人」の振りをするのです。教会に入るなり「新しい人」という仮面を被り、それらしく振舞い、家に帰るとその仮面を脱ぐのです。その意味では、教会は仮面舞踏会(笑)。

 それは本音というより嘘だと私は思います。だから教会で疲れるのではないでしょうか。
 本当に本音で生きるなら、教会でこそ「タバコ吸いたいの我慢してます」とか、「実はタバコ吸ってます」とか、「聖書よりマンガが好きです」とか、そういう正直なところを言うべきではないかと思います。「古い人」全開なのですが(笑)。

 でも真面目な話、本当に本当に「新しい人」になりたいのなら、その第一歩は、自分の中の「古い人」をそのまま認めることだと私は思います。隠すのではなくて。

追記)
 執筆に集中していて知りませんでしたが、大阪北部で震度6弱の地震があり、死傷者が出ているとのこと、心よりお見舞い申し上げます。

2018年6月16日土曜日

教会の人間関係、ストレスじゃありませんか?

 ちょっと余談から始めますが、

 昨日コンビニで買い物したら、会計金額がぴったり666円でした。
「あー原理主義系が見たら悪魔の数字だとか言いそうだな」と思いましたね。
 でも知ってますか。黙示録13章18節は、666を「人間をさす」と言ってます。「悪魔の数字」じゃないんですね(笑)。

 はい、閑話休題。

 私は聖霊派教会で頑張っていた頃、奏楽奉仕を長くしていました。ほとんど毎週、礼拝で楽器を担当していたのです。その割に上手じゃありませんでしたが(笑)。

 その奏楽奉仕の関係で、他教会の奏楽者たちと交流することがありました。
 最近仕入れた曲を紹介し合ったり、互いの演奏法を盗み合ったり、という極めてプラクティカルな交流ですね。
 私はそこで楽譜をコピーしてもらうことが多かったです。すると、譜面に相手の手書きのメモ(「ここで転調」とか)が残っていたりするんですね。今眺めると、なかなか良い思い出です。

 そんな交流の一場面で、こんなことがありました。
 ある教会で奏楽奉仕をしていた青年男子が、ひどく悩んだ様子でした。隅の方にいて、ほとんど顔を上げません。声を掛けたら絶対面倒なことになるパターンのヤツでした(笑)。

 そんな彼のもとに、勇気ある(愛がある?)1人の男性が向かいました。そして話しはじめます。案の定、青年は泣き出しました。

 彼が大きな声で話すので聞こえてしまったのですが、要は賛美チームのメンバーとうまくやって行けない、という類いの悩みでした。「自分がいない方がみんな楽しそうなんです」「自分なんかいない方がいいんです」という台詞が、何度も出てきました。若干中二病の匂いがしましたけれど。

 賛美チームは一緒に過ごす時間が長くなりますし、共同作業の場でもありますから、どうしても人間関係がこじれやすくなります。私もチームの何人かと大ゲンカになったことがあります。
 ケンカになると、信仰も愛も許しも全く機能しませんよね(笑)。

 ちなみにその青年がその後どうなったのか知りません。それ以来姿を見なかったので、結局やめたのだと思いますが。

☆ ☆ ☆

 このように、賛美チームの人間関係は難しい場合があります。はじめは仲が良くても、いつまでも続くとは限りません。
 現在連載中の『キマジメくんのクリスチャン生活』では今ちょうど、チーム・カイロスが頑張って礼拝しているところです。メンバーはタタカイ兄弟、メガネ兄弟、ルツ姉妹、キマジメくんの4人です。この中で明らかに問題児なのはメガネ兄弟ですが、実はルツ姉妹も相当の難物です。今はメガネ兄弟の暴れっぷりが凄すぎて、目立たないのですが(笑)

 でも人間関係が難しいのは賛美チームだけの話ではありませんね。教会内の様々なグループ(青年会とか婦人会とか)も同様です。あるいは信徒と牧師の関係もそうです。あるいは教会外の様々なグループ、集団、コミュニティ、職場などにも言えます。

 私が思うに、人間関係はもっとも難しく、もっとも厄介で、もっともコントロールしづらい代物です。おそらく私に言われるまでもなく、「あの人は嫌だな」とか「どうもこの人は苦手だな」とか、多くの人が実感していると思いますが。

☆ ☆ ☆

 というわけでキリスト教と直接関係ないのですが、ちょっと「人間関係を円滑にできそうな小技」を紹介したいと思います。誰でもできて、簡単で、さっそく明日から使える小技です。ある程度は効果があると思います(効果を保証するものではありませんよ笑)。

 もちろん教会でも使えます。教会で人間関係に行き詰まっている方には、もしかしたら有益かもしれません。

・返報性の法則

 人は親切にされると、「お返ししなければ」と思う習性があります。親切を返さなければならない、と思うわけです。

 この習性を利用します。
 もしあなたのことを嫌っている人がいたら、その人に(不本意でも)親切なことをしてみて下さい。相手はあなたのことを悪く思えなくなります。むしろあなたにお返ししないとと焦るでしょう。

 そういう親切をしばらく繰り返せば、相手とあなたの関係は、見違えるほど変化するかもしれません。
 もしあなたに嫌味を言ってくる先輩信徒がいたら、さっそく明日試してみたらいかがでしょう(繰り返しますが、効果を約束するものではありません笑)

 ちなみにこれは、「あなたの敵を愛せ」という聖書の教えを実行することでもありますから、なかなか聖書的(?)です。

・開放性の法則

 人は相手のプライベートな面を知ると、親近感を持ちやすくなります。
 苦手だと思っていた人が、実は自分と同じ趣味を持っているとわかると、とたんに仲良くなる、みたいな感じですね。

 だから共通の趣味でなくても、自分のプライベートを相手に知らせることで(あるいは相手のプライベートを知ることで)、苦手意識を解消できるかもしれません。
 あなたの悩みや弱みを(あえて)相談するのも有効です。あなたの悩みを知ることで、相手は親しみを覚えてくれるかもしれません。

 ただし相手が共感性ゼロのサイコパスだったらこれは通用しませんので、そのへんはよく見極めましょう(笑)。

・ミラーリング効果

 人には好きな人の仕草を真似る傾向があります。たとえば好きな人がよく頬杖をつく場合、あなたも頬杖をつくようになる、みたいな。

 これを逆手にとって、嫌いな人の仕草を(さりげなく)真似てみましょう。相手は無意識的に、あなたに好感を抱くようになるかもしれません(相手が見ているところで真似しないと意味がありませんよ笑)。

☆ ☆ ☆

 以上、「嫌な人にどう対処するか」という点で書きました。何かの役に立てば嬉しいです。

 ただ、私が思う最善の人間関係術はこれです。
 嫌な人とは付き合わない(笑)。

 身も蓋もない言い方ですね(笑)。でもどうしても付き合わなければならない場合もありますから、これはなかなか難しい話です。

 ともあれ、教会に通っている方は、良好な人間関係を持てればいいですね。
 そのために「祈ってます」とは言いませんが(笑)。