ビジネスリーダーと化す牧師たち

2017年11月19日日曜日

「奉仕」の問題

t f B! P L
ラジオから流れてきた「ビジネスリーダー論」

 先日たまたまラジオが聴こえてきて、仕事中でしたが、何となく聴いていました。どの局のどの番組か知りませんが、ソフトバンクの孫社長について、長年の部下が語る、みたいな内容でした。孫社長の辣腕ぶりが披露されていました。

 それによると、孫社長はいかにも「やり手」のビジネスリーダーといった感じです。メールは3行以内、必要なら即電話会議、数字しか信じない、分析したら即決断、資料は相手を動かすためにある、などなど。
 中でもインパクトがあったのは、相談したい時はTPO関係なく即電話し、相手より先に話し始める、というヤツでした。これ、やられた方はたまったものではありませんが。
 どうやら孫社長は押しの強いタイプみたいです。一言で言うとワンマン。でもあれだけの大企業を引っ張り続けるには、それくらいのタフさが必要なのでしょう。ビジネスリーダーかくあるべし、みたいな。

 そういうビジネスリーダーは彼以外にも沢山いそうです。パッと思いつくだけでも楽天の三木谷氏とか、旧ライブドアの堀江氏とか、サイバーエージェントの藤田氏とか。みな若くして起業して、一定の成功を収めまています。彼らはそれぞれビジネスリーダーと言っていいでしょう。

 皆さんはそういうのに憧れるでしょうか。彼らと一緒に働きたいでしょうか。正直私は全然憧れません。すごいなとは思いますが。
 だって、いつ電話会議が始まるかわからないんですよ? いつでも訊かれたら「正解」を即答せねばならないんですよ? 常に結果が求められるんですよ? そういうのが好きな人もいるでしょうけれど、私は遠慮したいです。まあしたくても採用されないと思いますが笑

ビジネスやりたい系牧師
 
 ところでその孫社長の話を聴きながら、ある牧師のことを思い出していました。
 彼はいわゆる「若手」の部類で、二世で、まあ何というかビジネスマンみたいな人でした。教会を使ってビジネスがしたかったようです。カルチャー教室とかカフェとか福祉系事業とか、いろいろ手を出していました。結局どれも中途半端でしたが。
 
 だから教会運営とか信徒の扱いとかも、ビジネスライクでした。
 ホウレンソウはしっかりしなさい、メールは即返信しなさい、言われた以上の仕事(奉仕)をしなさい、言われる前に動きなさい、悪いことはすぐに相談しなさい、報告は結論からしなさい、などなど。
 ミーティングも頻繁でした。イベントの前後は必ずミーティングづくしです。休日でも夜でも急に呼ばれます。朝起きるとメールであれこれ指示が入っています。
 まさに上記の孫社長みたいな感じです。忙しかったですね。
 
 彼が言うに、これからの時代は教会もビジネス・マインドで展開しなければ、行き詰ってしまうとのこと。だからビジネスなんだと。本当かどうか知りませんが。
 だから聖書の読み方にも、ビジネス・マインドが入ってきます。話が上手かったので、そのうち聖書がビジネス啓発本みたいに見えてきました。
 
 聖書の原則をビジネスに適用すればうまく行く、ということで、
「受ける(テイク)より与える(ギブ)方が先」
「命を失う(リスクを取る)覚悟がなければ成功しない」
「たくさん撒けば(いろいろ試せば)たくさん得られる」
 みたいなことを言っていました。
 ずいぶん説得力がありました。そのへんの論理構成はまさにビジネスマンでした。
 
 でも今思うと、どこまでが聖書の原則で、どこまでがビジネス・マインドなのか、よくわからなかったですね。混じりあっていたような気もするし、ほとんどビジネスの話だった気もします。
 いずれにせよ、彼がやりたかったのはキリスト教会でなく、キリスト教会を使ったビジネスだったんじゃないかと思います。
 
めざせ、ビジネスリーダー(?)
 
 彼のような牧師は他にもいました。と言うか、付き合いがあった教会の牧師はほとんどそんな感じでした。
 みんな若手(と言っても40~50代位ですが)で、二世で、事業を展開しています。サッカークラブとか、音楽活動とか、カフェとか、福祉系事業とか、まあどこも似たような感じでした。
 
 見た目も似ていました。服装はTシャツにデニムにジャケットが多いです。携帯はスマホで、タブレットも小さいノートPCも持っています(でもあんまり使えていません)。携帯で話すときはハンズフリー。名刺は半透明とか細長とかの非定型。SNSのプロフィール写真は奥さんとピッタリくっついたやつ。メッセージはパワポ必須。そして何気に、自分のやってる事業をアピールします。
 
 誰もかれもがビジネスリーダーをめざしているようでした。キリスト教会の牧師というよりは。
 
 でもそう思われるのも嫌だったのでしょう。信徒のケアもしっかりやってますよ、というアピールもよくしていました。本当は事業なんかどうでもいいんです、信徒が成長してくれれば、と言う人もいました。かと言って事業をやめる訳ではありませんでしたが。
 
 最近掲載させて頂いた体験談は「金儲けしたい牧師」の話が多かったですが、彼らは金儲けというより、「ビジネス的にも教会的にも成功した牧師」を志向しています。もちろん金儲けもしたいでしょう。でもそれより優先したいのは、成功なんだと思います。
 そしてそのツールが、ビジネス・マインドなのですね。
 
 彼らは孫社長の話とか喜んで聞くと思います。
 
信徒を育てる教会? 犠牲にする教会?
 
 でもそういうキリスト教的ビジネス、あるいはビジネス的キリスト教は、どこかに歪を生むと思います。
 現に上記の牧師の教会では、信徒が犠牲になっていました。
 
 ちょっと考えてみて下さい。その教会で奉仕をしているとします。すると、いつミーティングに呼ばれるかわかりません。友人と食事をしている最中に電話がかかってきて、今すぐ来いと言われます。電話を無視しても何度も鳴り続ける上、後から長々と叱責されます。あれしろこれしろといつも指示があり、夜になっても帰れません。なにか失敗すると責められ、信仰が足りないとか言われます。無茶な要求も多々あります。でも全部「訓練」ってことにされます。しかも訓練だから全部無償です。
 
 冒頭の孫社長のやり方をもっと酷くして、教会に持ってきたような感じですね。そういうのが好きだという人にはいいかもしれません。でもいわゆるキリスト教を求めてきた人には、あり得ない事態ではないでしょうか。
 
 さて、そういう教会でビジネスまがいの活動をして、信徒は本当に「成長」するのでしょうか。と言ってもビジネスマンとしての成長でなく、クリスチャンとしての成長ですよ。
 クリスチャンとしてちゃんと成長できるなら、それでもいいかもしれません。その犠牲にも意味があったということでしょう。
 でもそうでないなら、その犠牲はいったい、何の為だったのでしょうか。誰の為だったのでしょうか。
 
 皆さんはどう考えますか。

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