先日たまたまラジオが聴こえてきて、仕事中でしたが、何となく聴いていました。どの局のどの番組か知りませんが、ソフトバンクの孫社長について、長年の部下が語る、みたいな内容でした。孫社長の辣腕ぶりが披露されていました。
それによると、孫社長はいかにも「やり手」のビジネスリーダーといった感じです。メールは3行以内、必要なら即電話会議、数字しか信じない、分析したら即決断、資料は相手を動かすためにある、などなど。
中でもインパクトがあったのは、相談したい時はTPO関係なく即電話し、相手より先に話し始める、というヤツでした。これ、やられた方はたまったものではありませんが。
中でもインパクトがあったのは、相談したい時はTPO関係なく即電話し、相手より先に話し始める、というヤツでした。これ、やられた方はたまったものではありませんが。
どうやら孫社長は押しの強いタイプみたいです。一言で言うとワンマン。でもあれだけの大企業を引っ張り続けるには、それくらいのタフさが必要なのでしょう。ビジネスリーダーかくあるべし、みたいな。
そういうビジネスリーダーは彼以外にも沢山いそうです。パッと思いつくだけでも楽天の三木谷氏とか、旧ライブドアの堀江氏とか、サイバーエージェントの藤田氏とか。みな若くして起業して、一定の成功を収めまています。彼らはそれぞれビジネスリーダーと言っていいでしょう。
皆さんはそういうのに憧れるでしょうか。彼らと一緒に働きたいでしょうか。正直私は全然憧れません。すごいなとは思いますが。
だって、いつ電話会議が始まるかわからないんですよ? いつでも訊かれたら「正解」を即答せねばならないんですよ? 常に結果が求められるんですよ? そういうのが好きな人もいるでしょうけれど、私は遠慮したいです。まあしたくても採用されないと思いますが笑
だって、いつ電話会議が始まるかわからないんですよ? いつでも訊かれたら「正解」を即答せねばならないんですよ? 常に結果が求められるんですよ? そういうのが好きな人もいるでしょうけれど、私は遠慮したいです。まあしたくても採用されないと思いますが笑
ビジネスやりたい系牧師
ところでその孫社長の話を聴きながら、ある牧師のことを思い出していました。
彼はいわゆる「若手」の部類で、二世で、まあ何というかビジネスマンみたいな人でした。教会を使ってビジネスがしたかったようです。カルチャー教室とかカフェとか福祉系事業とか、いろいろ手を出していました。結局どれも中途半端でしたが。
だから教会運営とか信徒の扱いとかも、ビジネスライクでした。
ホウレンソウはしっかりしなさい、メールは即返信しなさい、言われた以上の仕事(奉仕)をしなさい、言われる前に動きなさい、悪いことはすぐに相談しなさい、報告は結論からしなさい、などなど。
ミーティングも頻繁でした。イベントの前後は必ずミーティングづくしです。休日でも夜でも急に呼ばれます。朝起きるとメールであれこれ指示が入っています。
まさに上記の孫社長みたいな感じです。忙しかったですね。
彼が言うに、これからの時代は教会もビジネス・マインドで展開しなければ、行き詰ってしまうとのこと。だからビジネスなんだと。本当かどうか知りませんが。
だから聖書の読み方にも、ビジネス・マインドが入ってきます。話が上手かったので、そのうち聖書がビジネス啓発本みたいに見えてきました。
聖書の原則をビジネスに適用すればうまく行く、ということで、
「受ける(テイク)より与える(ギブ)方が先」
「命を失う(リスクを取る)覚悟がなければ成功しない」
「たくさん撒けば(いろいろ試せば)たくさん得られる」
みたいなことを言っていました。
ずいぶん説得力がありました。そのへんの論理構成はまさにビジネスマンでした。
でも今思うと、どこまでが聖書の原則で、どこまでがビジネス・マインドなのか、よくわからなかったですね。混じりあっていたような気もするし、ほとんどビジネスの話だった気もします。
いずれにせよ、彼がやりたかったのはキリスト教会でなく、キリスト教会を使ったビジネスだったんじゃないかと思います。
めざせ、ビジネスリーダー(?)
彼のような牧師は他にもいました。と言うか、付き合いがあった教会の牧師はほとんどそんな感じでした。
みんな若手(と言っても40~50代位ですが)で、二世で、事業を展開しています。サッカークラブとか、音楽活動とか、カフェとか、福祉系事業とか、まあどこも似たような感じでした。
見た目も似ていました。服装はTシャツにデニムにジャケットが多いです。携帯はスマホで、タブレットも小さいノートPCも持っています(でもあんまり使えていません)。携帯で話すときはハンズフリー。名刺は半透明とか細長とかの非定型。SNSのプロフィール写真は奥さんとピッタリくっついたやつ。メッセージはパワポ必須。そして何気に、自分のやってる事業をアピールします。
誰もかれもがビジネスリーダーをめざしているようでした。キリスト教会の牧師というよりは。
でもそう思われるのも嫌だったのでしょう。信徒のケアもしっかりやってますよ、というアピールもよくしていました。本当は事業なんかどうでもいいんです、信徒が成長してくれれば、と言う人もいました。かと言って事業をやめる訳ではありませんでしたが。
最近掲載させて頂いた体験談は「金儲けしたい牧師」の話が多かったですが、彼らは金儲けというより、「ビジネス的にも教会的にも成功した牧師」を志向しています。もちろん金儲けもしたいでしょう。でもそれより優先したいのは、成功なんだと思います。
そしてそのツールが、ビジネス・マインドなのですね。
彼らは孫社長の話とか喜んで聞くと思います。
信徒を育てる教会? 犠牲にする教会?
でもそういうキリスト教的ビジネス、あるいはビジネス的キリスト教は、どこかに歪を生むと思います。
現に上記の牧師の教会では、信徒が犠牲になっていました。
ちょっと考えてみて下さい。その教会で奉仕をしているとします。すると、いつミーティングに呼ばれるかわかりません。友人と食事をしている最中に電話がかかってきて、今すぐ来いと言われます。電話を無視しても何度も鳴り続ける上、後から長々と叱責されます。あれしろこれしろといつも指示があり、夜になっても帰れません。なにか失敗すると責められ、信仰が足りないとか言われます。無茶な要求も多々あります。でも全部「訓練」ってことにされます。しかも訓練だから全部無償です。
冒頭の孫社長のやり方をもっと酷くして、教会に持ってきたような感じですね。そういうのが好きだという人にはいいかもしれません。でもいわゆるキリスト教を求めてきた人には、あり得ない事態ではないでしょうか。
さて、そういう教会でビジネスまがいの活動をして、信徒は本当に「成長」するのでしょうか。と言ってもビジネスマンとしての成長でなく、クリスチャンとしての成長ですよ。
クリスチャンとしてちゃんと成長できるなら、それでもいいかもしれません。その犠牲にも意味があったということでしょう。
でもそうでないなら、その犠牲はいったい、何の為だったのでしょうか。誰の為だったのでしょうか。
皆さんはどう考えますか。
きました、牧師によるビジネスごっこ。この手の牧師は、神のビジョンと称して地域に影響を与える!と言って色々と手を出します。信徒に、〇〇リーダー等と役割を与え、責任をもちなさい!そんな態度じゃ実を結べないでしょ!とうるさくなります。信徒は休み返上が当たり前です。
返信削除私の知るある牧師は、〇〇教会信仰告白というものを作りました。礼拝で主の祈りのように「私は教会をたてあげます。地域に社会に影響を与えます。」とみんなで読み上げるのです。もはや会社の社訓です。
純粋な若者たちはこの手のビジネスごっこに乗らされて、融通きくアルバイトしかやらなくなります。フリーター製造チャーチです。教会で先生と呼ばれているリーダーも実は社会的には無職だったりします。無職者徘徊教会です。牧師は人を操れることでイイ気分を味わい、優越感を得ているのでしょう。人をコントロールできるほどある種カリスマ性があるとも言えますが。
本当に神のビジョンだったかどうかは彼らの言う通りに実を見ればわかるでしょう。活動停止か縮小か、メンバーが変わらず年だけとっているだけか。←これよくあります。
フリーター&無職者製造チャーチには要注意です。
記事に書かなかった部分を、呂布さんが言って下さったと思います。
削除ビジネス志向牧師の皆さんは、「良い目的」「良い動機」でビジネスを始めると言います。ならばその「実」を、私たちを含む周囲の人間が、しっかり見るべきです。たとえばそのビジネスは安定的に回っているのか、健全な経営がなされているのか、そしてそもそもの「目的」が達成されているのか、などなど。
そしてしっかりと結実しているならば、私たちはいたずらに批判すべきでないでしょう。
しかし、少なくとも私が知っている少なくないケースでは、どれもうまく行っていませんでした。実を結べていないのです。すると彼らは「成功することが目的じゃない」「金儲けは二の次だ」みたいなことを言うのですが、え? だったらなんで「ビジネス」を選んだんですか? という話ですね。
またそういう教会ビジネスは、従業員(信徒)に十分な、あるいは適正な報酬を払えていない、という問題があります。とんでもない薄給で長時間労働が強いられている場合もあります。最低賃金など完全無視ですね。だからそのあたりの実情も、教会風に言うと「証にならない」と私は思います。
証にならない教会の働きと聞くと色々思い出してしまいました。
削除大体チャーチスクールを経営してる教会はスタッフにまともに支払ってないですよ。墨よりもブラックです。資格もないのに教育を任されて、賃金ほぼなし。クタクタで土日は教会イベントで疲労マシマシ。まさにブラックサバス。
チャーチスクールはいわゆる私塾と同じで、どこも経営が厳しいでしょうから、ボランティアで関わっている人が多いでしょうね。ただ「クリスチャン教育に関わりたい」「主の御用のために働きたい」という熱意のある人たちが集まってきて、何年か頑張って、でも結局「これが本当に教育なのか」というあたりで葛藤して、辞めていくというパターンが多いと思います。あるいはそこの牧師と揉めて、辞めざるを得なくなるかですね。
削除ところでチャーチスクールって今どれくらい残っているんだろう。
>呂布さん
削除>まさにブラックサバス
↑
これ最高のダブルミーニングですね(笑) まさに、その通りです。平日は薄給でこき使われ、日曜日はさらなる忙殺地獄。安息どころじゃあないですよ。ブラックサバス(暗黒の安息日)とは良く言ったものです(笑)
ロック好き&ラーメン(二郎)好きとお見受けしました(笑)
疲労マシマシ休息ヌキアブラカラメで(笑)
Fuckさん
削除二郎系好きですね。最近はマシマシはやめてますが。
カリスマ系牧師は什一献金やたらとマシマシしたがりますね。
>呂布さん
返信削除>フリーター製造チャーチ、無職者徘徊教会!!!!(笑)
待ってました。今や恒例の、呂布さんのネーミング達が今回も登場ですね。仕事の休憩中に爆笑させていただきました(笑)
しかも、超あるあるで、的を得ています。分かります。教会をとにかく優先して、まともな就職もしないニート達が増殖しているんですよ。こんな中途半端で、世間の厳しさもしらないリーダーや若者たちの集う教会、今振り返ると異様ですね。
主を第一にする=教会の働きを何より優先する
削除これが彼らの手法ですね。
タチが悪いマインドコントロールです。
フリーター製造チャーチに大笑いしました(笑)でも確かにそうだなぁと思いました(笑)
返信削除本当、今回の記事は読んでいて「痛たたた!!」となる様な過去の記憶が甦りました。私の身内も記事の様な感じでした。今は年取って穏やかになりましたけれど、若手時代は本当にそうでしたね。
とにかく教会を拠点にして「ビジネス」に一生懸命でした。でも全て中途半端に終わりました。本人はわかってない様でしたが私にはハッキリわかります。
だって社会に一歩も出た事のない中年が付け焼き刃でビジネスをしたって、儲けられるほど世の中甘くないんですよね。最初は教会内で盛り上がっていても、それは自分の所の信徒さんのお陰ですからね。
しかしまぁその頃は本当色々酷かったです。私の持っている楽器(数種類)を教会に寄付してくれ!と何度も来ました。私は子供の頃から自分で貯めたお小遣いやバイト代で買った大事な楽器なんですが「寄付」と言う言葉を使えば何でも手に入るって思ってる所が気に入らなくて…。
「これは私が子供の頃からコツコツ貯めたお金で買った物。本当に欲しいと思うなら自分で稼いだお金で買ってみせろ!」と怒鳴ったらパッタリと来なくなりました。
メビウスさん
削除楽器の寄付の要求ってすごいですね。そんなあからさまなことをする人がいるなんて驚きです。まるで大きくなったジャイアンみたいです。
そのへんの非常識を「癒されて」から出直してほしいですね。
楽器の寄付の要求は今でも他の教会関係者の間では頻繁に見られますよ。私宛ではないですが。特にSNSなんかでは割りと頻繁に見ます。でもそれを見る度に思うのは、楽器もピンキリですが、そこまで値段が高くない物なら中古ショップでだって探せば楽器は買えますし、新品でも安い物だってあります。何でもかんでも寄付寄付と言う前に、自分で手に入れる努力をしてからにしろと思いますね。
削除>私の持っている楽器(数種類)を教会に寄付してくれ!と何度も来ました。
削除図々しい。乞食みたいといいたいところですが、乞食はもらったらお礼くらいはいいます。まだ乞食のほうが頭下げてお礼言えるぶんましでしょうね。
>「これは私が子供の頃からコツコツ貯めたお金で買った物。本当に欲しいと思うなら自分で稼いだお金で買ってみせろ!」と怒鳴ったらパッタリと来なくなりました。
私の知人の話ですが、かつて通っていた新興宗教系プロテスタントで、教祖の息子が「やはり什一献金は大事だから言っていかなくてはならない」というような話をしたことがあったそうで。
その息子はまともに会社勤めなどしたことがなく、什一ささげるのが聖書的とか、好き勝手なことを言い放つので、しまいにその人はブチ切れまして
「そんなに什一什一というなら、パートでいいから日曜日も朝から晩まで働け!」と怒鳴りつけたそうです。
なるほど、SNSで楽器の寄付を募るというのは確かにありそうですね。私自身はそういう教会や牧師はフォローしないので、見たことがありませんが。
削除まあ経済的に苦しくて、でも礼拝に楽器が必要だから、みたいな理由で寄付を求めるというのはあるでしょうね。中古でもいいから自分たちで探して買った方がいいような気がしますけれど。
その一言は素晴らしい!カッコイイです。
返信削除それくらいハッキリNOが言えたらいいですね。スカッとしました。
向こうは影で、主よ〜奴を悔い改めさせてください〜!とか言ってたりして。
自分が悔い改めろって話です。
こんばんは呂布さん。
削除身内クリスチャンに対しての発言で、今はではそんなに口うるさくは言わないんですが、この当時の発言は私も若かったのと、やっぱり自分が努力して手に入れた物を軽く見られた気がしてとても不快でした。多分、向こうは私が悔い改める様に祈ってると思います。しかしこの発言から十数年経ちますが悔いも、改まりも1㎜もしてません(笑)
いいと思います。
削除向こうは自分の考えが甘かったことを認めようとはしないと思います。
信徒が思っていることを言えずにただ従わなければならない教会だとしたら、愛のある教会と言えるでしょうかね…
牧師の期待通りのことをしないと、「あの人はわかっていない」が始まりますよね。挙句の果てに「あの人が悔い改めますように」みたいなことを言い出して、まるで悪人扱いという(白目
削除自分の我を通したいだけだと気付くべきですが、周囲にそういう率直な助言をする人間がいないのも、問題の一つだと思います。そういう教会は牧師のまわりがイエスマンばかりになる傾向がありますから、特に難しいのですが。
牧師&イエスマンたちのミーティングなんて、人のバッシング話ばかりですよ。
削除強引に悔い改めさせられたり、見せしめを受けた結果教会に対して傷を負った人がどれだけいたことか。残念です。
牧師にノーと言える人は痛めつけられ、早々に退場させられますからね・・・。それが見せしめとなって、更にイエスマンが強化されていく、という悪循環があります。自浄作用はほとんど期待できないのが現状だと思いますね。
削除