そのクリスチャンに相談して大丈夫?

2023年12月21日木曜日

教会生活あれこれ

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 「何でも相談して下さい」「お悩みお聞かせ下さい」と言うクリスチャンは、どんな相談内容であっても否定しない、反論しない自信があるかどうかまず吟味すべきだ。自分の信仰や価値基準に合わない相談内容にいちいち目くじらを立てて指摘するのは、相談でなくダメ出しという(そして相談とダメ出しの区別が付いていない人が教会には多いように思う)。

 相談者にとって、「この人は何を言っても否定しないで聞いてくれる」という信頼感は何より大切だ。聖書の言葉で反論されそうだと思ったら、誰が相談などするものか。それでも何かしら相談しなければならない状況になったら(教会ではしばしばそういう事態に陥る)、おそらく当たり障りのない、誰にでも当てはまりそうな典型的な「クリスチャンのお悩み」をそれらしく話すだろう。


 いわゆる「ガチ勢」のクリスチャンほど、自分の信仰が否定されるような相談内容への耐性が低い。例えば「神なんかいない!」と言われたらムキになって神の存在を主張しようとしてしまう。相談支援にならない。目の前の悩む人より、自分の信仰の方が大切なのだ。それはそれで悪いことではないけれど、相談支援はできない。


 例えば「神はいない!」と怒る人が問題にしているのは神の不在ではない。それは表層でしかない。その表層部分にいちいち反応してしまう人が、「何でも相談して下さい」と言っても説得力がない。


 妊娠中絶を考えている人がまず必要としているのは「中絶してはいけない」というキリスト教的定型句ではない。

 婚前交渉してしまったと苦しんでいる人がまず必要としているのは「悔い改めなさい」ではない。

 「ポルノがやめられない」と悩む人がまず必要としているのは「誘惑を退けなさい」ではない。

 信仰のことであれこれ悩む人がまず必要としているのは、それらしい聖書の言葉ではない。


 相談支援の第一歩は、自分の信仰や価値規準や正義感や倫理観や教典を一旦脇に置くことだ。

 教会に来なくなった信徒のところに、牧師が訪問した。しかしこう言われて門前払いされた。「あなたたちはきよすぎる」と。

 その信徒は教会の誰にも悩みを相談できなかったのだ。そして相談できなかったのはその信徒の責任ではない。教会が相談するに値しなかったのだ。


 人から相談されないクリスチャンは、「きっとこの人に言ってもこう返されるだけだ」と諦められている可能性が高い。当たり障りのない相談しかされないクリスチャンも同じだ。普段から人を否定しない、人の秘密を漏らさない、人の話を親身に聞くといった誠実な姿勢を示すことで、少しずつ信頼を得ていくしかない。

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