牧者? 追放者?

2013年6月19日水曜日

キリスト教問題

t f B! P L
 教会員が、ある日突然教会に来なくなる。
 行方不明とかでなく、突然教会員を辞めてしまうのだ。

 転勤とか引っ越しとかで、歓送会を開いてもらって平和に辞めるのではない。
 ほとんどの場合、理由を明かすどころか、ロクに話す暇もなく来なくなる。
 
 同じ教会員としては困惑するばかりだ。いったい何が起こったのか。
 その人に連絡を取ろうとしても繋がらなかったり、話しても避けられたりで、どうにも事情がわからない。

 それが1人や2人なら、それほど気にならないかもしれない。
 しかし、私の知っている教会ではよくあった。顕著だった2007年から2009年あたりの期間だけでも、二桁の教会員が、ある日突然去って行った。

 彼らは皆、責任ある奉仕を担っていた。それを何の引き継ぎも説明もなく突然辞めるというのは、一般的には考えにくい。余程のことがあったのだろうと想像するしかない。

 そういう時、その牧師はミーティングの場でその理由を説明した。その理由というのは、だいたいいつも同じだった。
「(問題があって)愛をもって諭したけれど、彼(彼女)は聞き入れてくれなかった。かえって不信仰になってしまい、自分から去って行った」

 想像し難いケースもあったけれど、そう納得する他なかった。
 が、やはり、昨日まで親しく話していた人が突然いなくなり、会ってもヨソヨソしくなっていたり、一方的に関係を絶たれたりしてしまうというのは、不可解なことだった。

 その牧師の不正が露見して以降、去った人々の何人かと、話すことができた。
 彼らの話は、牧師から聞いたのとはずいぶん違っていた。個々のケースはいろいろだが、共通しているのは牧師と議論になったら「牧師を批判するな」と怒鳴られ、追い出されたということだ。「もうこの教会に来るな。他の教会員とはいっさい連絡を取るな」そう捨て台詞を吐かれ、傷ついて泣く泣く教会を出て行った、来たくても来れなかった、ということだった。
 その牧師がやりそうなことだなと思った。

 反対意見を言う人間がいると、確かにストレスフルな状況になる。が、それは議論を深めるのに必要だ。
 そういう反対意見を全て排除して、自分がやりたいようにやるというのは単なる自己中心ではないか。一般企業の社長ならそれで通るだろうが、キリスト教会の牧師がやってはいけない。反対意見を言う信徒を責めて追い出し、自分に賛成する信徒にだけ良い顔をするというのは、単なる差別であって牧会ではない。しかも追い出した人たちに不信仰のレッテルを貼り付けるウソのつきようは、牧師失格どころの話ではない。

 その牧師はよく「信徒を命がけでとことん愛する」みたいなことを言っていたが、その愛が何なのか、甚だ疑問だ。少なくとも信徒に向けられた愛でないのは確かだ。

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