真理は本当に回復したのか

2013年6月20日木曜日

キリスト教信仰

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 現代、キリスト教の真理が回復しつつある、という主張がある。

 1901年にアメリカで起こった「ペンテコステ運動」がその始まりらしいが、続く48年の「レストレーション運動」(ラターレイン運動とも預言運動とも呼ばれる)、さらに続く「第三の波」とか呼ばれるムーブメントがそれだ。
 その一連の運動では「聖霊の傾注」とか「異言」、「預言」、「癒し」といった体験型信仰が強調され、そういう体験が起こることが、「真理の回復」の証拠だという。

 私が知っている教会はその真っ只中にいた。特に2009年くらいから、レストレーションとかラターレインとか第三の波とか、そこの牧師がしたり顔で言うようになった。彼に言わせると、その教会は神によって真理が回復されている教会だそうだ。そしてそこには、歴史のある教会(聖公会やルーテルなど)は真理が回復されていない、非常に残念な教会だというニュアンスがあった。
 自分たちの教会や親交のある教会は正しくて、そうでない教会はどこか間違っている、彼らは盲目で真理が見えていない、と信じて疑わない。その考えは、傲慢というものではないだろうか。

 聖書の真理が回復していないとしたら、神様はその回復を願われるだろうし、そういう運動も起こると思う。16世紀のルターの免罪符批判に始まる宗教改革も、そういう性格のものだったのではないだろうか。

 だから上記のような「真理の回復」の全てを否定する気はない。
 が、百歩譲って、ある教会で真理の回復が起こったとしても、その結果「私たちは真理を知るように特別に選ばれた。他のクリスチャンとは違う」と考えるのは単なる優越感だろう。そこに兄弟愛や隣人愛はない。彼らは真理を回復された理由について、真剣に考えなければならないはずだ。

 もう一つ。
 レストレーション運動はアメリカのアッセンブリー教団によって異端認定されているが、それに意義を唱えるクリスチャンがいる。彼らの主張は、真理の回復が敵(悪魔)に阻まれている、というものだ。つまりレストレーション運動は正しいものだが、多くのクリスチャンが盲目にされていて、その正しさに気づいていない、ということだ。

 それはそれで事実かもしれない。が、彼らは一つの可能性を見落としてしまっている。
 
 自分たちの方こそ盲目かもしれない、という可能性だ。

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