「牧師」の犠牲になる若者たち

2013年6月17日月曜日

キリスト教信仰

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 Mが2012年8月に予定していた若者向け集会は、以前にも書いたように「文化を勝ち取る」ことが目的とされていた。わかりやすく言うと、一般の若者が好みそうなイベントをやって、人を集めようということだった。ライブやダンス、ファッションショーなどが企画されていた(このダンスというのが、以前書いたセクシーダンスというヤツだ)。

 そんな集会でも若者が大勢来て、聖書の話をカケラでも聞く人がいて救われる(入信する)なら、価値があるかもしれない。

 が、そう肯定的に言えるのは外部の人間だけだと思う。内部でその実情を知っている人間には、若干難しいことだ。

「文化を勝ち取る」というのはMが以前から言っていたことだが、こだわり始めたのは2011年あたりからだった。台湾のNew Life Churchの主任牧師と知り合ったのが、キッカケだったと思う。

 New Life Churchは台湾で芸能人伝道で有名な教会だ。雑誌「リバイバル・ジャパン」でも最近取り上げられた。60歳くらいの主任牧師は、髪を染めて派手派手な服装でステージに立っている。どこか、シンガポールのCity Harvest Churchに通ずるところがある。その牧師いわく、芸能人に伝道するには、芸能人のようでなければならないとのこと。
「ユダヤ人にはユダヤ人のように」という聖書の一節を参照しているようだ。

 それはそれで、自由にやったらいいと私は思っている。

 それはさておき、Mがその牧師の影響を受けたのは間違いない。同じ頃から、Mはテレビ局開設だとか、神学生の一人を芸能人デビューさせるとか言い出した。「文化を勝ち取る」というのも、そういう方向性があってのことだったと思う。

 そういう訳で2012年の初め、8月の集会に向けた準備が始まっていった。
 4月になり、神学生とチャーチスクールの中高生の一部を連れて、Mは台湾に渡ろうとしていた。New Life Churchで大規模な集会があって、それに参加するためだった。日本での集会の打ち合わせなども予定されていたと思う。

 その台湾行きの準備も例によって壮絶だった。神学生と中高生らはそれぞれ担当を割り振られ、ツアープランやら会計やらバンドやらダンスやら、毎晩遅くまで取り組んでいた。私も一部だが手伝った。

 当時は、そうやって苦労して奉仕することや、その中で失敗して学ぶことは、若者にとって有益だろうと私は考えていた。それは間違っていないかもしれないが、その目的があやふやだったのは否めない。例えばセクシーダンスが本当に神様の為なのか、神様が喜ばれることなのか、という点は大いに疑問だろう。

 そして、台湾出発の前夜となった。
 神学生と高校生らは、髪を茶色や赤色に染められていた。モヒカン刈の男子もいた。私は若干違和感を覚えたものの、「これも文化を勝ち取るためなのか」と思った。それがMの方針であれば、何を言っても無駄なのも間違いない。
 高校生の女の子が、「本当はイヤなんですけど・・・」と困惑気味なまま髪を染められる姿を、よく覚えている。

 髪を染めるのも奇抜な格好をするのも、悪いことではないと思う。本当に芸能人や若者たちを勝ち取るためにそういう格好をしなければならないのなら、誰かがしなければならないだろう。
 が、芸能人がそういう茶髪やモヒカンの話しか聞かないということはないと思うし、一般の若者たちが、そういう人たちのパフォーマンスにしか興味を示さないということもないと思う。
 結局何がしたいのかと言うと、目立ちたいのだと思う

 若者たちを目立たせて、それをプロデュースしている自分が注目されるのをMは密に願っていたかもしれない。AKB48の立役者である秋元康のようになりたかったのかもしれない。
 彼が何を願うのも自由だが、それを神様の為とかいうオブラートに包むべきではなかっただろう。初めから牧師でなくプロデューサーとかになれば良かったのではないか。

 そういう彼の働きで救われる(入信する)人がいるのは確かだが、 その陰で犠牲になっている多くの若者がいるのを、忘れてはならない

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