悪魔もいい迷惑

2020年4月8日水曜日

「悪霊」に関する問題

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 人の心の中では「善玉」と「悪玉」がたえず戦っている、という概念を江戸時代の漫画が既に描いてて、しかもヒットしてたというのが面白い。ちなみに悪玉の方が人気があったという。

↓山東京伝「心学早染草」


 キリスト教的にはこれは「悪魔にそそのかされる」とか「悪魔の策略にはまる」とか言うけれど、あくまで「悪いものは外部から来る」「悪いものに影響されて悪いことをしてしまう」みたいな考え方で、人間が本来的に持っている悪についてはあまり言及されない。

 悪は人間の外側にある、という考え方。

 もちろん、キリスト教には「原罪」という考え方もあって、誰もが生まれながらに罪(=悪?)を抱えている、と教える。しかし教派によっては悪魔の存在やその影響力をやたら強調するから、「原罪」と「悪魔の影響」がゴッチャになってしまう。その境界が曖昧なまま、両者が別々に語られている。

 そのせいか、クリスチャンが時々「悪魔のせいであんなことをしてしまった」という反省の仕方をすることがある。しかしこれ、悪いのはあくまで悪魔(←洒落ではない)であって自分ではない、と責任転嫁するのと同じ。その行為の出所は悪魔なのか、それとも自分自身なのか、どうやって判別するのか。
 また当然のことだけれど、仮に悪魔のせいだとして、自分がやってしまったことについてはちゃんと謝罪すべき。

 この「悪魔の影響」「悪魔のせい」という発想がひどくなると、たとえばCOVID-19は悪魔のせいだとか、病気は悪魔のせいだとか、障害は悪魔のせいだとか、悪い事象や都合の悪い事象はなんでもかんでも悪魔のせいにしだす。それじゃ悪魔もいい迷惑だと思う。

 そもそも、そんなに詳しく悪魔の行動がわかるなら、悪魔に騙されたりそそのかされたりすることもないよね?

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