「悪魔」の居場所

2023年10月23日月曜日

「悪霊」に関する問題

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 「サタン」や「悪魔」がどこにいるか、ご存知か。

 キリスト教の教義的には「そこらじゅうにいる」が正解かもしれない。「悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(ペテロの手紙第一5章8節/新共同訳)と書かれているから。しかしそれは正確ではない。 


 先に正解を書いておくと、「サタン」も「悪魔」も、それを信じる人たちの中にいる。

 逆に言えば、信じない人たちの中にはいない。それは「悪魔が巧妙に身を隠している」とか「悪魔の存在に気づいていない」とかいう意味でない。文字通り「いない」のだ。


 実は信じる人たちの中にしか、「サタン」も「悪魔」も存在していない。


 「悪魔」を強調する教会(ごく一部であってほしい)に行くと、「その問題は悪魔の仕業です」と言われる。そして日常的に「サタン」と戦ったり、「悪魔」を追い出したりしなければならなくなる。その日から「サタン」や「悪魔」との付き合いが始まるのだ。


 しかしそれで「救われる」かというと、残念ながらそうではない。以降ずっと「サタン」とか「悪魔」とか意識して、毎日戦々恐々としたり、無理に「勝利」を宣言したりしなければならなくなる。「救われる」どころか、「終わらない戦い」が始まるのだ。結果、むしろ教会に行く前よりメンタルヘルスが悪化する。「悪魔の仕業」とか周囲に言って精神疾患を疑われたりもする。「悪魔」に勝っていないといけないし、負けたなんて絶対に言えないから、いつも不自然な笑顔を浮かべて「勝利感」を醸し出さなければならなくなる。


 しかしそもそもの話、何が「勝利」なのか分からない。「勝った」ところで戦いは終わらないのだから。「悪魔」を退けたり打ち破ったりが延々と続く。そんな生活が一生続く方が「敗北」ではないだろうか。


 そんな教会なら、初めから行かない方が良い。教会の外の方がよっぽど自由だ。そこには「サタン」も「悪魔」もいない。

 キリスト教界で最も厄介で有害なのは「悪魔」でなく、「悪魔はこういうふうにお前を誘惑して攻撃してくるぞ」と脅すクリスチャンの存在だ。彼らはあなたのことなど心配していないし、気にも掛けていない。彼らはあなたを「終わらない悪魔との戦い」に引き入れたいだけなのだ。そうすれば彼らのコミュニティ(教会)が末長く維持されるから。本当に「悪魔」が存在するなら、その居場所は彼らの中だ。


 「悪魔は自分が存在しないと人間に思わせてくる」という教会の常套句があるけれど、それは誰から聞いたのか? 自分で確かめたのか? そもそも詐欺くさい言い方だ。そういうふうに言えば、何だって言えてしまう。


 「悪魔」を強調するキリスト教会には、かかわらないことを強く勧める。

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