「過去」に生きるのか、「現在」に生きるのか、「思考」の中に生きるのか

2020年4月15日水曜日

「インナーヒーリング」問題

t f B! P L
 精神分析療法が(ザックリ言って)自分の「過去」を掘り返して「原因」を探る作業であったのに対して、認知行動療法は自分の「今」の行動を実際的に変容させて、生きやすくするための作業だと言える。現在は後者が治療現場のメインとなっている。それはやはり我々が「過去」でなく「今」を生きているからに他ならないと思う。

 ところでキリスト教会の一部では、今も「インナーヒーリング」という幼少期のトラウマを掘り返して「過去を癒す(許す)」みたいな試みがなされている(「記憶の癒し」とも呼ばれる)。けれどこれは、要は精神分析療法に聖書を絡めたようなもので、周回遅れのアプローチと言わざるを得ない。

 過去を振り返ることも時には必要かもしれない。けれど特に思い出したくないことや嫌だったこと、辛かったことに再び直面させて、苦しめることにどれだけ「癒し」の効果があるか疑問だ。実際、「インナーヒーリング」で心の問題がすっかり解決した人というのは見たことがない。「だいぶ良くなりました」という感想なら実際に聞いたことがあるけれど、ガッツリ信じている人たちは、その効果に期待する気持ちが強く、少なからず自己暗示に掛かっていると思う。

 また実際の「インナーヒーリング」の現場では、本人がまったく記憶にない事柄なのに、「あなたは覚えていないけれど、○○ということが過去にあったのだ。そこに主の癒しを求めなければならない」などと決め付けられて、いまいち納得できないけれど祈らされる、みたいなことも行われている。そこまでくると詐欺と変わらない。クリスチャンの皆さんは注意した方がいいと思う。
 どうか過去でなく、現在に生きて下さい。

 あとついでに書いておくと、「思考という名の戦場」の系統も良くないと思う。
 自己の内面に関わることを、ああいう本一冊でコントロールしようとするのは水素水とか血液クレンジングとかに頼るのに似てて、危険でさえある。

 少なくとも神経症気質の人は手を出さない方がいいと思う。
 なぜなら自分の意識や無意識の中に「悪魔の足がかり」があると聞かされることで、気になりすぎて四六時中「イエスの御名によって悪魔よ退け!」と祈り続ける羽目になり、それでも不安で仕方なくて、そうやって自分で自分の首を絞めるような状態になってしまうから。そこまでくると有害でしかない。

 もちろん思考しなければ生きられないけれど、わたしたちは思考の中に生きるのではない。まったく逆で、生きるために思考を使うのだ。思考の中にどっぷり浸かってしまうと、気になりすぎて動けなくなる。

 さてわたしたちは「過去」に生きるのか、「現在」に生きるのか、「思考」の中に生きるのか。

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