幼児期からの宗教教育はアリ? ナシ?

2020年4月4日土曜日

教育

t f B! P L
 幼児期からの過剰な宗教教育は虐待と紙一重。
 テレビ禁止、マンガ禁止、ゲーム禁止、映画禁止、日曜に活動のある部活動禁止、クリスマスには同級生を3人以上連れてこないとダメ、毎週礼拝しないと地獄に堕ちる……。
 親や指導者は「子どものため」と思っているかもしれない。しかし、本当は自分の満足や安心のためなのでは? と思ってしまう。

 たとえば「同性愛は罪」と教えられ続け、そう信じて疑わなくなった子が、ある年齢になって、自身の同性愛指向に気づく。 「こんなことあってはならない。治さないといけない」と強迫的に思ってしまう。しかしどうやっても「治らない」。その葛藤の深さ。それが「子どものため」なのか。

 ちなみに一部のキリスト教会が言う「あなたはそのままで愛されている」の「そのまま」は、ヘテロであり、明るく従順であり、よく奉仕し、何の障害もなく、十分な献金で教会を支えることができる、という「正常なマジョリティの属性」が前提となっている。そうでないと「祈りが必要」「矯正が必要」と言われる。全然「そのまま」ではない。

 幼い子への徹底した宗教教育を肯定する意見として、「子ども自身が望んでいるから/喜んでいるから」というものがある。けれどそもそも、子ども自身に選択するだけの知識や判断力があるのだろうか。大人側の巧妙な(あるいは半ば強制的な)誘導はないと言えるのか。

 子どもは幼いほど親や大人を絶対視するし、間違ったことを言わないと信じている。そこに宗教教理を植え付けてから、「子どもが自ら望んでいる」というのはフェアでない。幼児のうちから行う教会学校(CS)など、よくよく注意しないと、教師側の自己満足を満たすためだけのものになってしまう。

 極端な例だけれど、JESUS CAMPの子どもたちはもはや洗脳レベルだと思う。「あんな極端なことはしない」と言うクリスチャン親もいるだろう。けれど規模の差はあれ、誘導的な宗教教育(たとえば信じないと地獄行きだ! とか)は、どこの教会でも行われてきたのではないだろうか。

 何十年か前は、日曜の部活動禁止とかクリスマスの同級生勧誘ノルマとか、当たり前に行われていた。けれど今それをやると、子どもたちが集まらないという。だから方針転換して、だいぶ緩くなった教会もあるようだ。しかしそういう態度が既に、子どもたちの意思を尊重するより、教会として頭数を揃えたい、という大人の身勝手さを表しているように思う。

 子を持つ親や、教会学校の先生がた、教会の教職者にはぜひ考えてほしい。

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