【体験談】・牧師の信徒差別・守秘義務違反・被害妄想

2016年2月6日土曜日

体験談から

t f B! P L
 今回はいただいた体験談2つを紹介したい。できるだけ原文のまま掲載するけれど、一部編集させていただいた。当然ながら内容には触れていない。

■田中さんの体験

 私は数年前にできた某プロテスタントの教会に通っていました。
 けれどそこの牧師の無神経な言葉にいっぱい傷つけられて来ました。
 私は重大な悩みを抱えていて話を聞いてほしいのに、いつも「軽い」の一言で終わらせられてしまいます。牧師はお気に入りの信徒とばかり話しています。重い相談には乗りたくなくて、楽しい交わり(雑談)をしたいだけなんだと思います。きっと面倒なことはしたくないのです。

 私は学生をしているのですが、色々辛くて、いつも教会で愚痴を言っていました。すると先輩信徒のAさんがこうアドバイスしてくれました。
「そんなに辛いなら学校やめるのも選択の一つだね」
 すると近くにいた牧師もそれに同意して、「Aさんの言う通り。教会に来れないほど辛いならその学校は辞めるべき」と言いました。
 教会に来ることと学校を辞めることは関係ないはずなのに、なんだか「学校を辞めて教会に来い」と言われているようでした。でも学校を辞めるのは人生計画が狂うことで、教会のためにそこまで出来ないと思いました。

 決定的にその教会に行かなくなったのは、学校の試験前の大変な時に、教会に来いと言われたからです。(勉強があるので)断ったら、「教会で祝福されたらかえって成績が良くなった、という人をたくさん知ってる。それがクリスチャンだ」と言われました。もうついていけないと思いました。親しい信徒に相談すると、他にもひどい話があるのがわかりました。たとえば家族を介護しているから教会になかなか行けないという人に対して、家族にはオムツを履かせておけばいい、あなたは教会に来なさい、と言ったそうです。

 それで私が教会に行かなくなると、牧師は私に個人的にメールを送ってきて、「相談にいつでも乗るよ」と書いてきました。教会に行かなくなってからそんなこと言われても、と思いました。なぜなら相談に乗ってほしくて何度も話しかけたのに、牧師は別の人との「交わり」に夢中で、私に時間を割いてくれたことなどなかったからです。

 そのくせ、牧師は公には綺麗ごとばかり言うのです。
「人間関係がこじれることが教会の中でもありますが、教会は『主に対して個々が応答する場』であって、主が行われていることに人間的要素を混入させて、清流のような聖さを混濁させてはいけません」

 確かにそうかもしれません。でも私は現実として教会の人の言葉に傷ついてきたのです。

■はるさんの体験

 私の通っていた教会は単立でした。
 牧師は頑固で人の意見を聞かず、自分の意見を押し通す人でした。

 私は幼い頃の虐待が原因でパニック障害と摂食障害を患っています。その事も言いたくは無かったのですが、言わないと悪霊の足場になると言われ、仕方なく話しました。しかし話したら、「自分だけが辛いわけじゃないからね、みんな辛いから」と言われ、何だかなと思いつつ疑問を持たずに通っていました。
 心療内科に通っていると話すと、医者は駄目と言われ、服用している薬は飲むなと言われました。そして摂食障害になる人の気が知れないとも言われました。
 挙句の果てには、心療内科に通っていることを皆にバラされました。そしてある信徒から「心療内科に通ったりなんかしたら頭がおかしくなるだけだ」と2時間に渡って叱責されました。
 それから体調を崩し、不眠症になり、摂食障害がより酷くなりました。
 人を責めたてるのが教会なんだろうか、と今も疑問に思います。

 また牧師は日頃から、自分の意見の賛同者でなければ他の教会に行けばいい、とよく言っていました。
 教会を出ていった人は牧師や信徒を見ているからいけない、神様だけ見ていたら教会に来れるはずだ、と言いました。
 献金額が多い信徒、牧師を褒める信徒を贔屓にしていました。

 他にもたくさんのことを言っていました。
 バチカンは悪の巣窟だ。ローマ法王はNWOを企んでいる。
 世界はイルミナティとフリーメーソンが操る世界だ。
 日本は駄目な国だ、韓国やアメリカは素晴らしい。
 レディ・ガガは悪魔崇拝者だ。
 音楽や映画は悪霊の支配下にあり、サブリミナルで操られてしまう。
 焼香を拒否するのは当然だ。
 ハリウッドは悪魔崇拝者の集まりだ。
 医者より祈りだ。
 日本は気象兵器で狙われている。東日本大震災は人工地震だった。・・・

 テレビも悪だと言っていて、牧師の家にはテレビはありませんでした。
 いろんな事がおかしいと気づき、最近は教会を休んでいます。体調が良くなったら転会したいと言おうと思っています。

■感想を少し

 前半の田中さんの体験は、牧師による差別の典型的なものだと思う。こういう差別は、残念ながら少なくない。似たような話をイロイロ聞いてきたし、実際そういう現場も見てきた。けっこうあからさまな差別を平気でする牧師もいる。

 もちろん牧師も人間である以上、相性の合わない信徒の存在は避けられない。けれどそこには最低限のモラルがあるはずで、可能なかぎり公平・平等に配慮するのが、対人援助職としてあるべき姿だ。つまり個人的感情がどうであれ、仕事として割り切って接するのが「プロ」なのである。
 逆に言うと、苦手な相手にどう接するか、という点にその人の本質が現れる。だから差別を平気でする人間はその程度の人格しか持ち合わせていないということだ。たとえ「霊的」であったとしても、何かの能力に秀でていたとしても、キリストの愛を実践できる人間ではない。

 後半のはるさんの体験談に出てくる牧師は、明らかに守秘義務違反をしているうえ、精神疾患かと疑うくらいの被害妄想を持っている。

 もちろん牧師職には明文化された守秘義務はないけれど、対人援助を基本とする以上、それに準じた扱いをされるのが妥当だと私は思う。
 それに、守秘義務違反ウンヌンを言う以前に、相手が愛すべき信徒であるなら、その秘密を簡単に漏らすことなどできないはずだ。相手を愛していればいるほど、その秘密の取り扱いには注意が向くのではないだろうか。だからそういう注意が全然向かないということは、相手を全然愛していないということなんだと私は思う。

 またこの人の被害妄想には本当にすごいの一言である。イルミナティとかフリーメーソンとか出てくると、私の感覚としてはすでに「末期」である。たぶん自分でも何を言っているのかわかっていないのであろう。わかっていて言っているとしたら、そっちの方が深刻だけれど。

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