以前の記事「そんなのキリスト教の礼拝と呼ぶな、という話」がいつの間にか他サイトで紹介されていて、最近になって知った。というか教えてもらった。
当該記事に紹介していただくほどの価値があったかどうかわからないけれど、まあ「礼拝モドキ」で盛り上がっている人たちを晒すという意味では良かったのかもしれない。
もっとも晒されたくらいで動じる人たちではないけれど。
もっとも晒されたくらいで動じる人たちではないけれど。
その紹介記事はこちら。興味のある方はどうぞ。
というのは前置きで、ここから本題。
この「礼拝モドキ」関連の体験談が寄せられたので、ここに簡単に紹介させていただく。
この「礼拝モドキ」関連の体験談が寄せられたので、ここに簡単に紹介させていただく。
2014年5月、某所で未信者向けの伝道集会が開かれた。テレビでも宣伝されて、なかなか大規模だったようである。こういう集会にお決まりの、歌とか劇とか踊りとかが満載だった。それなりに楽しめたようである。
しかし集会の最後、外国人牧師が講壇に上がり、「招き」をしてしまった。お約束の台詞「この神の愛に感動した人は・・・」で、大群衆が講壇前に集まるかと思ったらしい。けれど5分たっても10分たっても数名のサクラしか集まらない。それでも再三促したその根性(というか厚顔?)はすごいと思う。けれど残念ながらそこで終了。集会は大いに盛り下がったまま幕を下ろした。
ちょっと解説しておくと、「招き」は諸刃の剣である。感動した人が大勢いれば沢山集まって盛り上がるけれど、集まらないとこんな悲劇はない。「主の下に来なさい!」とかカッコよく言ったのに、シーンと静まり返ってしまう。経験の浅い牧師ならそこで心がポッキリ折れてしまうかもしれない。
だから「招き」をするのは、ある程度の人数が集まると踏める時に限る。
あるいははじめから、誰も来なくても差し支えないように運ぶべきだ。「はい、今日は応じる人がいないようなので次に進みましょう」みたいな。
(以上、「招き」をする教会へのアドバイス。あつかましくて失礼)
あるいははじめから、誰も来なくても差し支えないように運ぶべきだ。「はい、今日は応じる人がいないようなので次に進みましょう」みたいな。
(以上、「招き」をする教会へのアドバイス。あつかましくて失礼)
それは置いておいて、上記の集会が失敗した理由は至ってシンプルだ。未信者だらけの伝道集会で「招き」なんてするのがいけないのだ。
「招き」が盛り上がるのは、クリスチャンだらけの教会内だけである。しかも「招き」に慣れている信徒群でないと厳しい。
人間、「前に来なさい」と言われてそうそう出られるものではない。羞恥心や躊躇がどうしても働くからだ。
まして相手は未信者なのだから、キリスト教のなんたるかを知らないし、教会のそういう習慣なんて知らない。それで前に出てくるのはよっぽどの物好きだ。まずいないだろう。
人間、「前に来なさい」と言われてそうそう出られるものではない。羞恥心や躊躇がどうしても働くからだ。
まして相手は未信者なのだから、キリスト教のなんたるかを知らないし、教会のそういう習慣なんて知らない。それで前に出てくるのはよっぽどの物好きだ。まずいないだろう。
たぶん主催側は、お金をかけたし、いろいろ盛り沢山でやったんだから、きっと皆感動するはずだ、招けば大勢応じるはずだ、と目論んだのだろう。
けれどエンターテイメント性で言えば全然高くないし、カリスマ的に魅了する要素なんて皆無なことに気づいていない。集会を開いたという意味では大衆に奉仕したけれど、だからと言って大衆に受け入れられ求められるのではない、ということがわかっていない。
けれどエンターテイメント性で言えば全然高くないし、カリスマ的に魅了する要素なんて皆無なことに気づいていない。集会を開いたという意味では大衆に奉仕したけれど、だからと言って大衆に受け入れられ求められるのではない、ということがわかっていない。
いろいろなエンターテイメントが流行り廃り、毎年一発芸人が現れては消えていくショービズ界を見れるまでもなく、大衆を魅了するのは本当に大変なことだ。やれば必ず人気が出るなんてことは絶対にない。まず人様に見ていただくだけでもハードルは相当高いのである。
だから上記の集会で言えば、お金をかけたのもいろいろ盛り沢山でやったのも当然のことであって、特別褒められることではない。その結果大衆を感動させられるかどうかも全くの別問題だ。そして感動させられなかったからといって、誰に文句を言うこともできない。単に自分たちにその力がなかったというだけのことだ。
その辺を勘違いしてしまうから、上記のような閑古鳥が鳴く残念な「招き」の現場になってしまう。神の名を出せば、感動させれば、キリスト教を前面に押し出せば、あるいはクリスチャンである自分たちが一生懸命頑張れば、大衆はなびくだろうと安易に考えている。それが昨今のクリスチャンや教会に見られる「甘さ」だと私は思うのである。
そうなんです!『北海道・希望のフェスティバル 2014』ですよね!最後の最後は素人さん終わる前に『結局勧誘かい!』『気分を損ねた』『来なければ良かった』と逃げ帰ってました。こんな伝道?お招き?されても・・・クリスチャンはこんな感じと勘違いされると困るのは本当のクリスチャンなのに・・・マジで困ります!
返信削除http://hokkaidohope.info/top/ ⇒ですね><
返信削除たてまえ上は成功となってるかもですが、札幌だけ失敗となる事を恐れCMまでしましたが、『大失敗でしたね』
ちなみに 以前の弟子訓練教会の話ではないですが、お金にまつわる事は『 献金のお願い
財務局長』⇒沈 載明 http://www.nishichurch.com/staff.html なんですね。弟子訓練するのは勝手ですが、他の教会では好ましいと思っていない教会員も多く迷惑してます。やっぱり韓国ですかい
友人から聞いてこのサイトを知りました。自分の事を被害者と言うのもなんですが、1時間半~2時間ほど軟禁状態で洗脳されかけました。
返信削除軟禁状態というと過言かもしれませんが、1人は『チュッチュルチュルチュル』だか『トゥットゥル』だか、ずっと呪文を唱え、1人はどんどん私に質問をして来る中で、席を外して帰る事ができる状況ではありませんでした。
経緯は次の通りです。仕事など私自身悩みを抱えており、↑の教会もおかしいと感じていたので他教会へ転回する事にした時に『Kさん』というおばさんから『最後のチャンスを下さい。私もあなたもスッキリしますから』と言われ呼び出されました。教会に行くと、『Kさん』と『Mさん』の2人のおばさんがいました。
りんごの実のなった木を見せられ何やら説明され、『これからお祈りするので質問に答えて下さい』と言われました。
Mさんは、ひたすら『チュッチュル♪チュッチュル♪ チュルチュル♪ トゥルトゥル♪』と何かわからない言葉を言い続けていました。その中で、
Kさんは、『私達の今までの事を全部許しますと言ってください』と言われました。私は『許すって何を許すという事ですか?』と聞きました。
Kさんは、『全て許しますと言えばいいんです!』と言われ、意味がわからないので、とりあえず『許します』と言いました。
次に、Kさんは、『お父さん と お母さん の嫌な所を言ってください』 と言われ、私は『今、この年齢になって感謝はあっても嫌な所は何もありません』
と言いました。何か言えといわれ拒むと、
Kさんは、『幼少期でもなんでも1つはあるでしょ!』と言われしつこかったので 『小さい頃はお父さんは怒ると怖かった』という様な事を言いました。
Mさんは、ずっと呪文を唱えていて、突然『出ました!』だか『原因がわかりました!』と言いました。
Mさんは、『全て、お父さんに問題があります!』と言いました。その時は私は自分の為に数時間も祈ってもらってスッキリしたと思い込んでました。
しかし、時間の経過とともに怒りに変わっていきました。Mさんは私の父とも全く会った事ないし、私のトラブルを父が悪いというのも変だなと思いました。
スッキリしたのは数時間も軟禁されていれば、終わった後、『もう開放される』という開放感だったとわかりました。
その翌日から不快になり吐き気がして、他教会の牧師に来てもらい祈ってもらいましたが未だに不快でなりません。
ある女性にその話をしたら、『エリアハウス』というのがあり、チュルチュルは聖霊様を呼んでいるんだろうね。2人は失敗したんだね・・・と言われました。
失敗って・・・私どうしたらいいですか???
是非、興味のある方は、↑の教会の2人のおばさんに聖霊さまを呼んでもらってみて下さい・・・結果は最悪ですよ・・・これって聖霊様を呼ぶと言うより、占いですか?こういう事をする人が、教会で『子供の教育係』だったりするんで、本当にビックリします。こういう系列教会は、今後NGです。
私の心の整理はどうしたらいいですかね???
前に出てきてください・・・といって「招き」をするのは、確かミッションバラバというヤクザあがりの聖職者の宣教団体のイベントでもやっていたことがあります。あのときに何人か檀上にあがって彼らに祈ってもらっていました。ご丁寧に涙まで流して(笑)。
返信削除女の人ですと涙を流せば当然化粧も落ちるわけですし、そんな顔で壇上にあがるなど羞恥心が先に働きますので、いくら彼らの説法に感動しても「化粧が落ちていて恥ずかしいから、壇上にあがるなんてようせんわ」となるものではないかと思うのですが、今にして思うと数人の女性たちを含む「檀上に上がって祈ってもらいましょう集団」は、主催者側があらかじめ仕込んだサクラだったのかもしれません。
あのときはまさかサクラをしこむことがあるなどということは思いもつきませんでしたので、「涙を流して化粧のはがれた顔でよく檀上に上がっていくなあ」と宗教的法悦のもたらす羞恥心欠如に感動すら覚えてしまったものでした(笑)。
SF商法は別名を「催眠商法」ともいいますが、新興宗教系プロテスタントのイベントも、もしサクラでないならばの話ですが、「催眠イベント」といえるものでしょう。催眠状態になってしまっているので、「化粧の落ちた顔で恥ずかしい」という感情がふっとんでしまうのでしょうか?
http://www.nishichurch.com/staff.html ⇒の牧師は都合が悪いとすぐ土下座をするそうです。tt
返信削除韓国人って土下座は挨拶ですか?
北海道希望のフェスティバルですか。あの悪名高き「ビリー・グラハム」の子供、フランクリンが講師でしたね。
返信削除実は家内と娘が行きました。教会からバスが(共同で)出るとの事で。
また、所属するゴスペルグループでも、ブルックリン・タバナクル・クワイヤが来るので、学習のために、という名目で参加を募っていました。
私はこの案内が出た時から、フランクリンが講師で何しに来るの?戦争大好きな偽預言者のお一人で、このお祭りは何のため?と、一切関わらないように宣言していました。
勿論、他の例えばラブソナタなどと言うお祭にも一切、断じて行きませんけれど。
本当に困ったものです。止めて欲しい。
関わらないで欲しい。
ただそれだけです。
|北海道希望のフェスティバル
削除あれ、サイトで動画を見たのですけど、なんか雰囲気が
「ものみの塔」とか「目ざめよ!」に似ていないですか?
あの動画。
とくにアフリカンの表情とかが、
いや、ヘイトではなくて。
アメリカ人がつくると、みんなそうなるのかな、
もしかして(苦笑)
CMすごかったわりには・・・ですね。
返信削除http://hokkaidohope.info/offering/ ⇒献金のお願い 財務局長 沈 載明 となっており
http://nishichurch.com/ ⇒のHPでは 『私たちはモルモン教、エホバの証人(ものもの塔)、統一教会ではありません。』 と記載ありますが、カルト教会が『ここはカルトでは無い』と表記するのも、なんだかおかしな話ですね。カルト教会に協賛している教会もいかがなものでしょうか?
プロテスタント ってカルト有?ですか
有りです。プロテスタントというものはわかりやすくいえば無法地帯だからなのです。本山がありませんので、何か起こったなら、そのときはすべておしまいということになります。
削除カルト教会に協賛している教会についてですが、「いかがなものでしょうか?」といわれましても、その当事者がそれでいいと考えているのであれば、他人がどうにかしようとする性質のものではありません。よって「その教会がカルト教会に協賛することがいいと考えているのだ」と解釈するしかないのではないでしょうか。冷たいようですが。
もっというなら、カルト教会が「ここはカルトではない」というのもしょうがないでしょう。
強盗が「自分は強盗です」と公言するはずがないからなのです。
新興宗教系のプロテスタントは自己申告の世界です。基地外の世界と似ているといえましょう。「あの人はどうみてもおかしい」という状態でありながら、当の本人が「自分は基地外ではない」と言い張ったらどうしようもありません。よって賢者は新興宗教系のプロテスタントの教会がいかに恐ろしいものかをよーく知っていますので、だれも近づきたがりません。