某聖霊派教会が信徒に禁止する項目について箇条書きにしつつ、私なりのコメントを付けてみたい。
⬛以下、クリスチャンの禁止項目(破ったら不信仰、あるいは罪、あるいは悪魔に憑りつかれる?)
・テレビ、ラジオ、ネット等のメディア(新聞、雑誌等も含む)
確かに有害メディアはあるけれど・・・。全部ダメ? それってもはや情報規制では。
これを厳密に守るとしたら、外出時は目隠しして耳栓して歩くことになる。というか外出できない?
・一般の音楽
一般の音楽にはサタンの惑わしが含まれている、とのこと。そういえば、ビートルズのレコードを逆再生すると悪魔のメッセージが流れる、なんて話もあった(ビートルズが逆再生を利用したのは事実であるが)。最近で言うと「きゃりーぱみゅぱみゅ」の歌にも、そんなのがあるとかないとか。
こういうのは「サブリミナル効果によって深層心理に直接働きかけるから、聴くだけでマインドコントロールされる」とかもっともらしく言われる。けれど、そもそもサブリミナル効果には科学的根拠がない。学研「ムー」の読み過ぎだ。
仮にサブリミナル効果があるとしても、聴くだけで操られ、罪を犯してしまうとしたら、それは厳密には罪を犯したことにならない。本人にその意図がなく、無理矢理やらされたことになるのだから。
・マンガ、アニメ、キャラクターもの
これらの背後にはサタンが隠れているとのこと。「この世」とは大変なところである(←皮肉)。
というか、悪霊はどこにでも隠れている。教会にもいるし、あなたの家にもいる。聖書の言葉さえも利用してくる訳だから、聖書の中にも隠れている。そもそも、こういう主張をする人々の言葉の中に、悪霊は相当隠れている。
・日本伝統のお祭り、しきたり、風習や慣習(七夕など)
じゃあ日本人やめますか。
・酒、タバコ等の嗜好品
これは健康を害しない程度に加減すべきとは思うけれど、基本的に個人の自由のはず。
ちなみに「麻薬」も当然ダメだと彼らは言うだろうけれど、たとえば医療の現場では、麻薬は末期がん患者に痛み止めとして使われている。それは激しい痛みを和らげる為であって、さすがに罪とか言う人はいない(と思う)。
要は麻薬そのものが悪いのでなく、それを乱用する人間の心が問題なのである。そういうことを考えず、単に酒とかタバコとか麻薬とかの「モノ」だけ禁止するのは、あまり意味がない。子供のオモチャ一つとっても、人間にかかれば罪になるのだから。
・占い、おまじない、願掛け、げんかつぎ、お守り
これはいわゆる他宗教? を信仰することに繋がるのだろうか。よくわからないけれど、聖書の神様を信じているなら、こういうのを信じる必要性がそもそもないような気がする。
朝の情報番組なんかで「今日の運勢ナンバーワンの星座は・・・」とかいうコーナーがあるけれど、そういうのを見るのも罪深いこととされてしまう。けれど、ああいう占いを本気で信じる人は少ないだろうし、大半の人は「ああ今日はなんかいいことあるかも」くらいにしか捉えていない。だからそれを見るだけで「罪だ」とか言われても、何だかなあと思う。
・おとぎ話、昔話、民話、童話
これは前述のメディアとか、映画とかアニメとか漫画とかも含まれると思う。
確かにモラルとして見るべきでない種類のものはあるけれど、かと言って「何でもかんでもダメ」と全否定するのは行き過ぎだろう。いろいろなストーリーにふれて泣いたり笑ったり、怒ったり感動したりするのは、人間に与えられた楽しみの一つだと思う。違うだろうか。
こういうのは、「見ると悪影響を受ける」という観点で語られることが多い。暴力的な場面を沢山観ると、実際に暴力を振るうようになってしまう、みたいな。
けれど、たとえば中学生どうしが殺し合う映画「バトル・ロワイヤル」を観たから殺し合いが始まるかと言うと、そんなことはない。かえって「ああいう社会でなくて良かったね」と笑い合えもする。
また、もしそういう「影響」の力が存在するとしたら、世界中の紛争地域で反戦映画を上映すれば全て解決することになる。けれど、断言してもいいけれど、そんなことは決してない。
前述の暴力映画と実際の暴力との関係で言えば、映画に影響されて暴力を振るうのではない。もともと暴力を振るいたい人が、暴力映画を好んで観るだけだ(もちろんそうでない人だって暴力映画を観るだろうけれど)。
・サンタクロース、クリスマスツリー
こういうものは聖書の本筋から外れているから、クリスチャンは関わるべきでない、という意見。けれど、サンタもツリーもまったくの無害であろう。べつに誰もサンタに跪いて拝む訳ではないし、ツリーに神が宿っているなんて考える人はいない。単なるイベントとして、あるいはクリスマスの象徴として、楽しんでいるだけだ。
そういう楽しい雰囲気に「聖書の本質から外れます」とか水を差す方が、よっぽどいただけないのではないだろうか。
・その他もろもろ
マリアの神格化。
他の宗教の匂いのするもの。たとえばマンダラ、ヨガ、中国結びの飾り等。
三浦綾子。
腕組みしてメッセージを聞くこと。
こうやって見てみると、上記の聖霊派教会は「あれもダメ、これもダメ」である。じゃあいったい何ができるのだろうか? それは次回に回したい。(続く)
朝の情報番組なんかで「今日の運勢ナンバーワンの星座は・・・」とかいうコーナーがあるけれど、そういうのを見るのも罪深いこととされてしまう。けれど、ああいう占いを本気で信じる人は少ないだろうし、大半の人は「ああ今日はなんかいいことあるかも」くらいにしか捉えていない。だからそれを見るだけで「罪だ」とか言われても、何だかなあと思う。
・おとぎ話、昔話、民話、童話
これは前述のメディアとか、映画とかアニメとか漫画とかも含まれると思う。
確かにモラルとして見るべきでない種類のものはあるけれど、かと言って「何でもかんでもダメ」と全否定するのは行き過ぎだろう。いろいろなストーリーにふれて泣いたり笑ったり、怒ったり感動したりするのは、人間に与えられた楽しみの一つだと思う。違うだろうか。
こういうのは、「見ると悪影響を受ける」という観点で語られることが多い。暴力的な場面を沢山観ると、実際に暴力を振るうようになってしまう、みたいな。
けれど、たとえば中学生どうしが殺し合う映画「バトル・ロワイヤル」を観たから殺し合いが始まるかと言うと、そんなことはない。かえって「ああいう社会でなくて良かったね」と笑い合えもする。
また、もしそういう「影響」の力が存在するとしたら、世界中の紛争地域で反戦映画を上映すれば全て解決することになる。けれど、断言してもいいけれど、そんなことは決してない。
前述の暴力映画と実際の暴力との関係で言えば、映画に影響されて暴力を振るうのではない。もともと暴力を振るいたい人が、暴力映画を好んで観るだけだ(もちろんそうでない人だって暴力映画を観るだろうけれど)。
・サンタクロース、クリスマスツリー
こういうものは聖書の本筋から外れているから、クリスチャンは関わるべきでない、という意見。けれど、サンタもツリーもまったくの無害であろう。べつに誰もサンタに跪いて拝む訳ではないし、ツリーに神が宿っているなんて考える人はいない。単なるイベントとして、あるいはクリスマスの象徴として、楽しんでいるだけだ。
そういう楽しい雰囲気に「聖書の本質から外れます」とか水を差す方が、よっぽどいただけないのではないだろうか。
・その他もろもろ
マリアの神格化。
他の宗教の匂いのするもの。たとえばマンダラ、ヨガ、中国結びの飾り等。
三浦綾子。
腕組みしてメッセージを聞くこと。
こうやって見てみると、上記の聖霊派教会は「あれもダメ、これもダメ」である。じゃあいったい何ができるのだろうか? それは次回に回したい。(続く)
こんにちは。
返信削除テレビとか音楽とか、伝統行事等そういうのは聞いたことがありますし、以前に集っていた教会がそうでした。
でも、三浦綾子さんが禁止とは・・・。三浦綾子さんの著書の何がいけないのでしょうね。
あれもダメ、これもダメ、というのは、イエス様の当時のパリサイ人や律法学者と同じですね。
全く自己中の集まりですね。
返信削除自分達だけが正しく、他の聖書的でないは教会や世の中は全て間違っていると言う言動。
自分たちの聖書解釈が絶対であって、他のは御心ではない。
日本は世界の中でも特に、金融や経済と言う偶像を拝んでいるから、神から遠く離れている。その昔からの悪習慣(文化やしきたり)が偶像礼拝の一つ一つで、霊的に覆いがかかっている・・・・・・・等など。
彼らはどこからそう言う解釈が来ているか、わからないのでしょう。
アメリカと韓国からが多いと思います。
みな、自分の国の国益にかなう事が、宗教の教えとして守られているのです。
ですから、「特に」と申しあげますが、新興宗教系福音主義や聖霊派の聖書解釈や教えは、この国を誹謗中傷し、国を破壊しようとする危険な思想なのです。
かつて私自身も、その様な教えに洗脳されていましたので、目が覚めるまではわからないのです。
これはもう笑うしかありませんね(苦笑)
返信削除「これを見ると悪影響があるからだめだ。」「あれも見ると悪影響があるからだめだ。」とやってしまえば、なにも楽しみらしい楽しみも持てないではありませんか。しかし「○○をみると○○と同じことをするようになる。」というのはあまりにも短絡的すぎはしないでしょうか。宮崎勤の事件の時も、確かホラービデオがやり玉にあげられて、「ホラービデオをみると殺人を犯す。」というひどい話まで出ましたよ。これは「ホモのビデオをみればホモになる。」といっているのと同じで、非常に乱暴な話なのではないでしょうか。
占い等がだめということですが、実はこれが表現の自由まで奪っているということをご存知でしょうか?
アニメ化もされた漫画で「ふしぎ遊戯」という作品があります。海外でも放映され、とくに台湾では大ブレークしたと聞いていますね。この作品は中国占星術が取り上げられており、キャラクターの名前も中国占星術からとっています。作者の渡瀬悠宇は熱心な学会員でもありますが、もし彼女が聖霊派のような狂信的な新興宗教系のプロテスタントの信者であったなら、たぶん破門されていたことは想像に難くありませんね。
狂信的であっても学会員にはふしぎ遊戯のような作品を発表することができるのです。多少の表現の自由があるという点で、新興宗教系のプロテスタントは創価学会より劣っているということを示しているのですよ。