2015年6月15日月曜日

【体験談】弟子訓練って牧師にいいように使われるってことでしょ

 今回はいただいた体験談から。
 HN「たけのこ」さんの教会生活体験談を掲載させていただく。できるだけ原文のままにと心掛けつつ、一部編集させていただいた。

■たけのこさんの教会生活体験

 自分が「うつ」の診断を受けた頃、連日仕事に追われ、帰りはほとんど午前様、早く帰っても家に仕事を持ち帰る、という毎日を送っていました。

上司からの抑圧も多くありました。しかし生活のため、やるしかありませんでした。仕事と家庭の往復の日々。仕事帰りにどこかで休憩するという発想もその当時はありませんでした。また早く帰ることができても、気持ちに余裕がありませんでした。
 いつも心に焦りがあり、頭は明日の仕事のことばかりでした。

 教会には学生時代から通っていました。
 やれ伝道のため、やれ霊的戦いのため、やれリバイバルためと、いつも様々なイベントが企画されていました。外部の講師を招くのも日常茶飯事でした。またそれに関わる準備委員会も沢山ありました。

 牧師は何かにつけ私に電話してきました。
「今度の集会で奉仕をしてくれないか」
「準備と会議のためこれから来てくれないか」
「講師を駅まで迎えに行くのでこれから運転手をしてほしい。そして荷物持ちも」

 等々。ちょうど帰宅して一息つく頃に、そういう電話がかかってくるのです。見計らっていたのでしょう。
 一番あきれたのは「教会の蛍光灯が切れたからこれから取り換えに来てくれないか」との電話。牧師でもできるはずなのに。でも私の性格上、足は教会に向いていました。

 また、生活全般にも牧師や牧師夫人の指導が入りました。
「地域のお祭りに行くな」
「ジブリの映画は子供にみせるな」
「学校や自治会の行事で宗教に絡むことがあれば参加するな」
「仏式の法要は行くな」
「あの店は神道が関わるから絶対その店で買ってはならない」

 など今となっては呆れることではありますが、生活面の抑圧が多くありました。そういう不自由の中、ストレスは増す一方でした。

 仕事、教会そして日常のストレスに心身は疲れ、不眠、イライラ、自然と涙が出るなど、精神症状が多くなりました。耐えられなくなってメンタルクリニックに行ったところ、「うつ病」と診断されました。

 その後、メンタルクリニックの通院と並行して、牧師のカウンセリングを受けることになりました。
 牧師からは、悪霊のせいだとか過去の罪のせいだとか言われました。
 また職場に宗教の霊が絡んでるかもしれないからと、「断ち切りの祈り」もしました。牧師と共に寺社や過去の職場の近辺に行って祈りました。

 しかし、それで精神的に良くなることはありませんでした。
 私の教会はかねてから甲子園でのミッションと深く関わりがあり、十字架行進にも影響を受けていました。個人預言もよく行っており、そういうセミナーにも行くよう推奨していました。そういう教会でした。

 私は結局「霊的に問題があるから」とされ、生活面でいろいろな制限を受けることになりました。牧師や牧師夫人などから話されたことは何でも信じていました。
 今となっては信仰ではなく抑圧の日々だったのですが。

 自分の所属する教会でも「躁うつ病」「統合失調症」の人が多いです。
 中には「自分は預言の賜物がある!!」と言って勝手気ままに行動している人もいます。
 また病院に入院し手足を縛られないと対処できないほどの方もいると聞きました。

 今、教会にかかわる気持ちはほとんどありません。むしろ教会から距離を置き、自分と向き合うことにしています。その中でいろいろな「気づき」がありました。癒えていないトラウマ、時間管理の下手さ、家庭を顧みない態度、等いろいろです。今はドクターの指導のもと、今後の就労に結び付けていきたいと考えているところです。(以上)

■弟子訓練被害

 読んでいて胸の痛む体験談である。私自身の経験と被る部分も大きかった。
 これはいわゆる弟子訓練被害の典型である。過重な奉仕、時間帯無視の呼び出し、生活上の細かな制限、そしてそれらを断れない「訓練」という名の脅迫。

 牧師は「本人がそう望むから訓練している」とか言うだろうけれど、信徒の方は「弟子訓練こそ御心」と教えられている。その前提を疑うはずもなく、教えられたまま信徒は「弟子訓練を望む」。すると牧師は「望まれているから訓練してやっている」と言える。
 エサに食いつくよう魚に教えておき、実際に食いついたら竿で釣り上げる、みたいな感じだ。

 しかし、繰り返すけれど「訓練」というのは名目であって、内情は牧師にいいように使われているだけだ。蛍光灯を換えに来いとか、運転手をしろとか、今からミーティングに来いとか、そんなの「神のため」でも何でもない。結局のところ牧師の欲求を満たすに過ぎない。

 こういう弟子訓練被害に遭う人が多い。
 おそらくこれと似た体験は千も万もある。今も進行中の被害があり、今日もどこかで誰かが過重な奉仕に苦しみ、突然呼び出され、不当に怒鳴られ、あれもこれも制限された中で「これこそ訓練」「これこそ自由」と思い込もうとしている。
 そういう人たちにこの体験談が少しでも届けばいいと私は願う。

 たけのこさん、ありがとうございました。

6 件のコメント:

  1. 何だか奴隷制度と同じ構造ですね。
    牧師が主の白人で、弟子訓練を受けている信徒は黒人といったところ。
    白人至上主義=牧師至上主義ですか?
    そもそも、人が人にイエスキリストの弟子にしてあげると思うこと自体、バベルの塔を積んで天に届こうとする行為ではありませんか?

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  2. たけのこさんの気の毒さに涙が出てきましたよ。本当にかわいそうでかわいそうで仕方がありませんでした。
    たけのこさんは学生時代から、キリスト教会に行っていたとのことですが、たぶんたけのこさんがキリスト教会に行こうと思い立ったときは、まだインターネットで調べられる環境になかったのでしょうね。何も知らないまま行ってしまったキリスト教会が、新興宗教系プロテスタントといわれるカルト化しやすいところだったのが最大の不運でした。
    たぶんたけのこさんは、友人との交際、学校の勉強時間や読書時間、クラブ活動、アルバイト、就職・・・etc、すいぶんたくさんのものを犠牲にしてきたのではないかと思いますよ。失ったものの大きさに気付いたときにはすべては遅い!という状況なのです。こんなに悲しい話がどこにあるのでしょうかね。
    今ならきっと「こういう教会は学生にはまだ無理」とアドバイスされたでしょう。昔は本当にこういった悲劇が全国で多発し、たけのこさんのような人がたくさん出ました。インターネットが普及してからはこのような悲劇が減っているので、それだけは救いといえるでしょうね。

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  3. 使徒的預言的教会で、何人もの人が仕事を辞めていくのを見ました。
    教会スタッフとして教会のよろず屋になる人、
    牧師や牧師婦人の小間使いのようになる人、
    職を転々とする人など様々でした。
    ある若い男性の一人は、教会のホームページの管理を任されていたのですが、
    ホームページのリフォームがなかなか上手く進まず
    責められるうちにひきこもりになり、
    教会に来なくなりました。
    すると、使い捨ての奴隷に対して主人がするように、牧師は集会でその男性を名指しで非難しこき下ろしていました。
    結局、ホームページの管理は、別の人で牧師に徹底従順な人が担当することになりました。


    愛なんて、どこにもない。
    搾取と利用し尽くす、牧師至上の価値観がありました。
    今回の記事を読んで思いだしたので、コメントさせていただきました。

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    1. 本当に「牧師」と言う人種は、どうしようもない人間である事が証明されています!
      「教会」と言われる所になど、行かなければ良いのです!
      牧師と言う人よ。あなた方どうぞ勝手に一人で、せいぜい「伝道・宣教」やれば良いのです!
      「伝道は牧師一人の仕事ではないです」?は?
      あんたの商売だろうが?
      労賃一つ支払われないで、かえって奉仕・献金(寄付でしょうが!!)をして、教会に沢山の人を集めましょう!は?
      全くおかしな集団が「教会」と言われる所です!
      出ましょう!出ましょう!さっさと!

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  4. 私がかつて通ってた教会でも、牧師から何か指示されたら「はい」と言わないといけないルールがあります。もし、「大変」とか言いたければ、「はい。ですが、○○が大変です」みたいな感じで言わないといけないので、結果牧師絶対服従になってます

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    1. わかります。「できません」みたいなことを言うと叱責されますよね。まずは「はい」と言わなければならないというか。絶対的従順を求められ、応じない人はいとも簡単に排除される仕組みになっているのが、カルト化教会の特徴の一つですね。

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