最近気になったこと、考えたこと、面白かったこと等々。
■神と永遠に生きる準備?
「あなたは神様と永遠に生きる準備ができていますか?」という質問を投げ掛ける牧師がいる。
たぶん本当に質問したい訳じゃなく、メッセージの取っ掛かりとしてそういう質問を設定しているんだと思う。キリストは質問上手だった、みたいな話を聞いたことがあるけれど、もしかしたらそういうのをイメージしたのかもしれない。
たぶん本当に質問したい訳じゃなく、メッセージの取っ掛かりとしてそういう質問を設定しているんだと思う。キリストは質問上手だった、みたいな話を聞いたことがあるけれど、もしかしたらそういうのをイメージしたのかもしれない。
「神様と永遠に生きる準備」ってなんだろう、というのが私の正直な疑問。まあそこは信仰に生きるとか、神とともに歩むとか、神に従って善行を積んで生きるとか、そんなようなのが模範解答なのかもしれない。
けれどもしそうだとしたら、どこか律法主義というか、ご利益主義みたいなものを含んでいる気がする。しっかり準備しないと(天国で)神と共にうまく生きていけない、みたいな話になるからだ。
たとえば、ものすごい犯罪者が死ぬ寸前に改心してキリストを受け入れ、救われたとする。そして間もなく死んだ。その人の信仰生活は皆無、教会生活も皆無、礼拝も祈りも一秒もしていない、ということになる。
すると、その人はなんの「準備」もできなかったはずだから、神と永遠に生きる上で何らかの不利益を被るのだろうか。どこか惨めな、後ろめたい気持ちを抱えて永遠に生きることになるのだろうか。
だとしたらそこは天国なのだろうか。現実世界の延長ではないだろうか。
という疑問。
だとしたらそこは天国なのだろうか。現実世界の延長ではないだろうか。
という疑問。
■先週の当ブログへの流入検索ワードが面白かった件
当ブログへ流入してくる検索ワードを時々チェックしている。カルト関連のワードが多いのだけれど、先週のはちょっと珍しく面白かったので紹介してみたい。
・チアにっぽんカルト系ですか?
「SNS断食」を推奨しているのはこの団体で、私はそれは「やりすぎ」だと思っている。けれどカルトかどうかは別問題であろう。内情はよくわからないから何とも言えない。
しかし「SNS断食で神様に近づけた」とか言う若者が輩出されるとしたら、将来ちょっと心配である。
・ハリーポッター 悪魔崇拝
根強い人気のハリーポッター。先週も入ってました。
・プレイズ みての中で 歌詞
このワードで当ブログが引っかかるのが不思議なんですが・・・。
ところで歌詞は見つかりましたか。
・私の異言は早口
これが秀逸。想像するに、たぶん「異言」と信じて無意味な単音を唱えている人が、「ちょっと早口すぎるかな」と心配しているのではないかと思う。
聖書の言う「異言」は、未学習・未体験の外国語を瞬間的に語り出す現象である。本人もまったく理解できないのだけれど、その外国語は文法的にも完璧だ。
一方「異言モドキ」は「人の真似」から始まる「無意味な単音」あるいは「無意味な発音の羅列」である。多いのは「ララララララ・・・」とか「チャパチャパチャパ・・・」とか、まあそんな感じ。
基本牧師や先輩の「真似」から入るから、「異言モドキ」はどこに行ってもみな同じように聞こえる。
そういう単音の繰り返しは、早口になりやすい。特に熱心に祈ろうとすればするほど、早くなってしまう。
だから検索した人の疑問に答えるとしたら、あなたの「異言」が早口なのでなく、「異言モドキ」の単音だから早口になってしまうんですよ、って感じ。
以上、また面白い検索ワードがあったら紹介したい。
■言い方の問題?
以前書いた記事『「寛容さ」と「不寛容さ」について考えさせられた、という話』にコメントをいただいた。私が批判されるのは、私の言い方の問題ではないのか、という内容のもの。
なるほど、確かに言い方が悪い時があるかも。あえて小バカにした表現を使うこともあるし。
なるほど、確かに言い方が悪い時があるかも。あえて小バカにした表現を使うこともあるし。
私としてはそれは意図的にやっているのだけれど、受け手には受け手の事情があって、不快な思いをさせることもあるのだろうと思う(しかしそれは文章というもの全般に言えることだろう。万人を満足させる文章などあるだろうか)。
それはそれとして、そのコメントに対する私の感想を一言。
言い方ひとつでイチャモンつけてくるとしたら、クリスチャンってずいぶん「不寛容」なんですね。
言い方ひとつでイチャモンつけてくるとしたら、クリスチャンってずいぶん「不寛容」なんですね。