2015年6月14日日曜日

【雑記】永遠に生きる準備?・面白かった検索ワード・言い方の問題?

 最近気になったこと、考えたこと、面白かったこと等々。
 
■神と永遠に生きる準備?
 
「あなたは神様と永遠に生きる準備ができていますか?」という質問を投げ掛ける牧師がいる。
 たぶん本当に質問したい訳じゃなく、メッセージの取っ掛かりとしてそういう質問を設定しているんだと思う。キリストは質問上手だった、みたいな話を聞いたことがあるけれど、もしかしたらそういうのをイメージしたのかもしれない。
 
「神様と永遠に生きる準備」ってなんだろう、というのが私の正直な疑問。まあそこは信仰に生きるとか、神とともに歩むとか、神に従って善行を積んで生きるとか、そんなようなのが模範解答なのかもしれない。
 
 けれどもしそうだとしたら、どこか律法主義というか、ご利益主義みたいなものを含んでいる気がする。しっかり準備しないと(天国で)神と共にうまく生きていけない、みたいな話になるからだ。
 たとえば、ものすごい犯罪者が死ぬ寸前に改心してキリストを受け入れ、救われたとする。そして間もなく死んだ。その人の信仰生活は皆無、教会生活も皆無、礼拝も祈りも一秒もしていない、ということになる。
 すると、その人はなんの「準備」もできなかったはずだから、神と永遠に生きる上で何らかの不利益を被るのだろうか。どこか惨めな、後ろめたい気持ちを抱えて永遠に生きることになるのだろうか。
 だとしたらそこは天国なのだろうか。現実世界の延長ではないだろうか。
 という疑問。

■先週の当ブログへの流入検索ワードが面白かった件

 当ブログへ流入してくる検索ワードを時々チェックしている。カルト関連のワードが多いのだけれど、先週のはちょっと珍しく面白かったので紹介してみたい。

・チアにっぽんカルト系ですか?

「SNS断食」を推奨しているのはこの団体で、私はそれは「やりすぎ」だと思っている。けれどカルトかどうかは別問題であろう。内情はよくわからないから何とも言えない。
 しかし「SNS断食で神様に近づけた」とか言う若者が輩出されるとしたら、将来ちょっと心配である。

・ハリーポッター 悪魔崇拝

 根強い人気のハリーポッター。先週も入ってました。

・プレイズ みての中で 歌詞

 このワードで当ブログが引っかかるのが不思議なんですが・・・。
 ところで歌詞は見つかりましたか。

・私の異言は早口

 これが秀逸。想像するに、たぶん「異言」と信じて無意味な単音を唱えている人が、「ちょっと早口すぎるかな」と心配しているのではないかと思う。
 聖書の言う「異言」は、未学習・未体験の外国語を瞬間的に語り出す現象である。本人もまったく理解できないのだけれど、その外国語は文法的にも完璧だ。
 一方「異言モドキ」は「人の真似」から始まる「無意味な単音」あるいは「無意味な発音の羅列」である。多いのは「ララララララ・・・」とか「チャパチャパチャパ・・・」とか、まあそんな感じ。
 基本牧師や先輩の「真似」から入るから、「異言モドキ」はどこに行ってもみな同じように聞こえる。
 そういう単音の繰り返しは、早口になりやすい。特に熱心に祈ろうとすればするほど、早くなってしまう。
 だから検索した人の疑問に答えるとしたら、あなたの「異言」が早口なのでなく、「異言モドキ」の単音だから早口になってしまうんですよ、って感じ。

 以上、また面白い検索ワードがあったら紹介したい。
 
■言い方の問題?
 
 以前書いた記事『「寛容さ」と「不寛容さ」について考えさせられた、という話』にコメントをいただいた。私が批判されるのは、私の言い方の問題ではないのか、という内容のもの。

 なるほど、確かに言い方が悪い時があるかも。あえて小バカにした表現を使うこともあるし。

 私としてはそれは意図的にやっているのだけれど、受け手には受け手の事情があって、不快な思いをさせることもあるのだろうと思う(しかしそれは文章というもの全般に言えることだろう。万人を満足させる文章などあるだろうか)。
 
 それはそれとして、そのコメントに対する私の感想を一言。
 言い方ひとつでイチャモンつけてくるとしたら、クリスチャンってずいぶん「不寛容」なんですね。

14 件のコメント:

  1. 「言い方の問題?」の部分で感想付きでコメントの紹介をしてくれてありがとうございます。

    >>(しかしそれは文章というもの全般に言えることだろう。万人を満足させる文章などあるだろうか)。

     それはそれとして、そのコメントに対する私の感想を一言。
     言い方ひとつでイチャモンつけてくるとしたら、クリスチャンってずいぶん「不寛容」なんですね。


    俺もそれとほぼ同じ意見ですよ。
    でも、もしかしたら、気分を悪くさせたかもしれないですね…
    次からは気をつけますね

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  2. fuminaru k様がどうのというのではなく、時々コメントに散見される
    「こういう牧師は注意すべき牧師だ!
    こんな教会はだめだ!カルトだ!」と声高に叫ぶのと「こんな信徒は不信仰だ!
    神様のために全てを捧げるべきだ!」と声高に叫ぶのは、表裏一体の気がします。
    「そう言わせてるのはカルト教会のほうだろう」という気持ちもあるかもしれませんが、
    そこから神様の御手によって脱出できた人、今現在穏やかな教会に導かれた人が
    きつい言い方をしてしまうのは、少々悲しい気がします。
    人のことを不信仰だとののしる人達と同じ土俵に立たないように、気をつけたいと思っています。

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    1. |「こういう牧師は注意すべき牧師だ!こんな教会はだめだ!カルトだ!」と声高に叫ぶのと「こんな信徒は不信仰だ!神様のために全てを捧げるべきだ!」と声高に叫ぶのは、表裏一体の気がします。

      正論です。裁きあい、石の投げあいは確かによくありません。
      それでも、オイラがここのブログコメントにKGKや福音派での過去のヤな思い出を書いていたのは、
      それを読んでもらうことで、自分のような道を進んでしまうひとがいなくなってほしいと願いながらやっていたわけです。
      福音派の生み出したもの、教会のなかでの交わりが楽しく「主にある、世にはない」ものだと思っているひとではなく、
      自分の中の違和感をぬぐいきれずに、どうしたらいいのだろうと思っているひとに、このブログは有効であるとオイラは思っています。

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    2. 言い方がきついかきつくないかは別として、世の中には一定の割合ではきつい表現で書かないとわからないタイプの人が確実に存在します。
      またカルト化した新興宗教系プロテスタントにいた経験を語るときは、どうしてもきつい表現をしたくなることもあると思いますし、またしたいという衝動を抑えられないことも人間である以上はあると思います。
      へタレCさんはKGKと新興宗教系プロテスタントの教会と、Wでしんどい思いをしてこられたのですから、その怒りたるや人の二倍どころか二乗三乗になってしまっているのではないでしょうか。
      むしろきつい表現をせざるをえないところに、「この人はKGKで本当に悲惨な目にあったのだなあ」とか「新興宗教系プロテスタントの教会でさぞかし地獄を見たのだろうなあ」と、KGKやカルト化した新興宗教の恐ろしさに身震いもします。
      日本人はもう七十年も平和の中にいますが、だからといって「あの時代の日本はいかに間違っていたか。国民がどんなにひどい耐乏生活を強いられたか」を語ってはいけないのでしょうか?「今は平和な時代だから、あの時代のことをぼろくそにいうのは悲しい」とばかりもいってはいられないでしょう。各地で戦争体験を風化させないために次世代にいかに引き継いでもらうかが課題になっています。カルト化した新興宗教系プロテスタントの教会での体験もこれと同じことではないのかと思うのです。
      「もう二度とこのような悲劇を繰り返してはならない」という点で、戦争とカルト化した新興宗教の教会やKGKのような団体の体験談は、多くの人に知ってもらうべきことなのです。

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    3. きつい言い方と、バカにする言い方ってのは違いますよね
      そこが難しいところですよね、相手の受け取り方にもよるし。

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  3. 同感です。
    私も少なからずそのような目にあってきたので、もっと言いたいという気持ちすらあります。
    問題にはなっていないようでも、水面下でカルト化している教会はいっぱいあります。
    これは経験してみないとわからないのかも・・・

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    1. 経験してからでは遅いのがカルトの怖いところです。
      前もって掲示板で伝えるのは大切な事。

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    2. 同感です。経験してからでは遅いことがほとんどではないかと思うのです。しまったと気づいたときには、もう取り返しのつかないことになっているケースがよくあるではありませんか。たとえば学校や会社をやめて、宗教団体の職員になったり教団系企業に勤務したりといったケースや、子供を学校にやらずにチャーチスクールやホームスクールで教育したケースが、これにあたるのではないでしょうか。
      世の中には経験しなくていいこと(というよりは経験してはいけないことといったほうが正しいのかもしれませんが)が、いくらでもあります。カルト化した新興宗教系プロテスタントでの体験なんて、まともな人間として娑婆で生きていく上では隠しておきたい黒歴史でしかないではありませんか。今のようにインターネットの掲示板で調べることのできない時代に、新興宗教系プロテスタントの教会にいってしまって、会社を辞めてアルバイトをしながら、教団のボランティアスタッフとして何年か過ごした経験を持つ人がこういっていました。
      「履歴書に書けない空白期間があるのはとても辛いものよ。」

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  4. カルト化した教会の中にいる時には、これが危険で教会がカルト化するなんて思いもしなかった。他教会のクリスチャンに進められてここのブログにたどり着いた。
    読んでいるうちに、本当、うちの教会にそっくりで、内情も熟知されてて、もしくはうちの教会員じゃないのか?と思う程、カルト化の特徴を捉えているんだなぁ、と感心した。
    心が健康じゃなくなって、キリスト教ってこんなもん?って悶々としていた時にこのブログに出会えて、心がスカッーとした。これが後押しして教会出るきっかけになったよ。
    今では、御言葉語る教会に出会えたよ。何より自由を取り戻しつつある。
    私のような人 教会に不信を持っているが、はっきりしない。何か決めかねているみたいな人にこのブログ差し出してあげたいな。

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    1. 匿名様
      コメントありがとうございます。
      そう言っていただけて正直嬉しいです。ありがとうございます。

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  5. 2015年6月16日 15:29の匿名の者です。
    言葉足らずで申し訳ありませんでした。ご理解いただけているとは思いますが、
    私は「カルト教会について何も話してはいけない」というつもりは毛頭ありません。
    このブログ及び、他のカルト教会への注意を促したブログ、また経験者の皆様による
    注意喚起等で、辛い目にあわずにすんでいる方、脱出への道を見出した方がいらっしゃることは
    重々承知しております。
    戦争体験者の語り部の例えを用いておられる方がおられますが、まさにその通りで、語り継いでいくことで
    被害を抑えられるのであればこれほど有益なことはないと思います。
    ただ、そのような思いで自分の経験を語ったり注意を促している方がほとんどだと思いますが、
    なかにはただの憂さ晴らしなのではないか?というような言葉で書いているような方も見受けられます。
    (ここのブログが特にというのではなく、他のブログでもそうです)
    そのような方は、ちょっとした質問や反論でさえ「牧師のいいなりだ、カルトに洗脳されている」と
    話もできない方がいらっしゃいます。
    そういう方々が、逆に皆さんが嫌っている「質問でさえも不信仰だとののしるカルト牧師」と
    表裏一体ではありませんか?と言いたかったのです。
    私たちは救われた身なのですから、死を与える言葉でなく、イエス様がされたように
    完璧ではなくてもいのちを与える言葉を話すものでありたいと思っています。

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    1. 色々な意見があっていいのではないでしょうか?
      「牧師のいいなりだ、カルトに洗脳されている」という人もいて、そのぐらい言われないと気づかない人もいるし、あなたのように、口から出る言葉でさえも本心よりも、聞こえの良い言葉を選ぶひと、又は人間なので内にあるものを出さないと気がすまない人、色々だと思います。以前の私も後者の本心よりも 死を与える言葉でなく・・ をカルト化教会で訓練されていたので、同じ信徒がどのくらい傷つき、なにを考えているのかわからなかった。いつも、表沙汰は いのちを与える言葉(聖書引用)をつかっていたが、だからと言って、彼らが健康的か?というとそうも見えない。返って一見言葉は乱暴だが、正直に何でも口にする信徒は私をとても気遣い最後まで隣にいてくれた。
      だから、私的には クリスチャン=聖者 (清い口)=こうであるべき 見たいのも やっぱり一種のマインドコントロールかな。勿論、程度というものはあるが、いろんな人がいてバランスがとれてるような気がする。あなたがいて、批判する人もいてそれでいいんです。

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    2. 追加 例え言いすぎたとしても人には良心の呵責があるから、悔い改めるものよ。だって、私たちが一番神様は行いではなく心を見ておられる。ってわかってんだもん。『もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』第一ヨハネ1:9
      ある程度、苦いものが心に蓄積しないよーに出そうと思う。

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    3. 匿名様は、「美しい正論」をおっしゃっていますが、カルト教会の被害者の方なんですか?
      だとすれば、そうとうな聖人ですが、それを肉の凡人に押し付けられても。。。
      被害者でないならば、ご自分の発言がセカンドレイプになりかねないというのを覚えておいたほうが良いですよ。
      私も最近の記事にあったたけのこさんには及ばなくても、以前の教会からほうほうの体で脱出したものですが、何も事情を知らない上にアドバイスなど求めてないのに、善意の方々から、散々「美しい正論」を言われましたから。
      上の匿名様も言われていますが、心にある痛みを過剰反応として出し切れば、いずれ落ち着いてきます。
      だれもが聖人ではないのですから、正論で他人を傷つけないでいただきたいものです。

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