2015年3月4日水曜日

【体験談】とある教会のトンデモ恋愛ルール

 今回はいただいた体験談から。
 とある教会の信徒の恋愛ルール(トンデモ)を解説形式で紹介させていただく(質疑応答つき)。

①基本姿勢

・当教会内での恋愛は基本自由です。
・保護者(親)に報告する必要もありません。
・ただし交際を希望する場合、事前に牧師先生様と面談し、許可を取ってからにして下さい。

質問「あの、自由じゃないんですか?」
回答「自由ですよ。牧師先生様の許可を取れば」
質問「じゃ、じゃあ、面談すれば許可は取れるのですか?」
回答「神様と牧師が良しとすれば許可されます」
質問「あの、それはどういう基準なんでしょうか?」
回答「繰り返しますけど、牧師先生様と神様、じゃなくて神様と牧師先生様が許可するか否かが基準です」

※結局自由じゃないんですよねえ?

②交際開始

・当教会は男女のデートも基本的に自由です。
・保護者(親)に報告する必要もありません。
・ただしデートする場合はグループで行って下さい。それも男2人女2人とかの同数ではいけません。男2人女3人などの構成にして下さい。

質問「あの、必ずグループでなければいけないんですか?」
回答「いいえ、やむを得ない場合は2人きりでも構いません」
質問「そうですか! じゃあ2人きりでもいいんですね?」
回答「ただし、その場合は2人デートのルールが適用されます」
質問「2人デートのルール?」

③2人デートのルール

・2人きりでデートする場合、数日前までにデートプランを作成して牧師先生様に提出して下さい
・デートプランは牧師の校正が入ることがあります。校正に従ってプランを変更して下さい。
・デート中、2人並んで歩くのは禁止です。縦列で歩いて下さい(カルガモの親子のように)。
・車に乗る場合は運転席と後部座席に分かれて乗車して下さい(送迎車のように)。
・デートが終わったら、すみやかに牧師に報告して下さい。

質問「あの、何を報告するんですか?」
回答「もちろん、デートがどうだったかをです」
質問「それって個人的なことだと思うんですが、報告しないといけないのですか?」
回答「デートプランを提出しない場合、あるいは事後の報告がなかった場合、その不誠実なカップルには別れていただきます」
質問「え? 別れる?」
回答「これは若いカップルを守るためのルールです。たとえば2人きりでデートしているのを他の信徒が偶然見た場合、躓きを与えることになりかねません。けれど牧師がそれを把握していれば未然に防ぐことができます。だからこれは教会を守るためでもあるのです」
質問「・・・」

※そんなデートだったらしたくありませんが。

④補足ルール

・2人きりでデートする場合、物理的接触は一切禁止です。

質問「物理的接触とは?」
回答「たとえば手をつなぐ等です」
質問「なぜいけないのですか?」
回答「手をつなぐとハグしたくなります。ハグするとキスしたくなります。人間とは弱いものなのです」
質問「・・・」
回答「だから初めから横並びで歩くのを禁止しているのです。歩く場合は縦列です」

※広い道とか遊園地とか娯楽施設内とかで、若い男女が縦列で歩いてるのってすごく違和感あるんですけど。

⑤実績

・上記のルールを守れず、あるいは守っても結局のところ破局するカップルが多いですね。
・だから男女交際はそもそもロクなことではないのです。
・ルールを守れず、悪魔に魂を売ったカップルがいます。だからこのルールは教会を守るためにも必要なのです(エッヘン)。

※以上、こういう牧師管理の男女交際がしたい方はどうぞこちらの教会へ!

16 件のコメント:

  1. ファリサイ派以上のつわものくそ牧師ですね。
    神経すりへらします、、。

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  2. こんなルールを本当に守ろうと試みるクリスチャンがいるのか?
    こんな事鵜呑みにするクリスチャンって縛られた教会(カルト化した教会)の2代目3代目
    クリスチャンぐらいだろう。

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  3. 結婚は、イエス様とクリスチャンの関係の予型だというのがキリスト教の主流の考え方だと聞いたことがあります。すなわち、黙示録に書かれているように、クリスチャンたちが花嫁で花婿はイエス様なのだと。つまり結婚やセックスは神聖なものなわけです。
    そういう理由で、無用な男女交際を避ける(恋人の存在が神様にとってしまわないように)するのは大切かもしれません。それを教会が奨励するにしても、記事にあるような例では、先のような理由の説明されていないのでしょうね。ジョシュア・ハリス氏の「聖書が教える恋愛講座」という本があります。ぜひご一読ください。

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  4. 宗教の名の下に、タバコ吸ったら腕切られ、サッカー観戦したら処刑する、何処かの人たちみたいです。この方達と旧約の神様は同じか。

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  5. 先のコメント(結婚は予型云々)の補足です。誤解を招きそうなので先に。
    私は、理由を説明したら教会が信徒に例のような規則を強制していいとは言っていません。
    ただ、結婚をイエス様とクリスチャンの関係の予型であって神聖なものだと考えるならば、信徒が各々の判断に従って恋愛をすればいいと考えています。
     それは人によっては「恋人が神様にとって代わってしまう」のを防ぐために肉体的接触を結婚までできるだけ避けることかも知れませんし、女性であれば男性をむやみに誘惑しないために肌の露出の少ない服を着ることかも知れません。聖書の言葉を学び、各々が自分で判断して行動すればいいと思っています。
     救いは行いによるのではありませんが、行いのない信仰は死んでいるのです。人は心で信じるように行動します。イエスの言葉を信じるなら、イエスのように行動しようとします。これは律法主義とは違います。信仰と行いは、自動車の両輪のようなものです。片方が動けば、もう片方も動きます。強制されるものではありません。それが、この例に欠けている考え方だと思います。

    連投失礼しました。

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    1. まだまだマインドコントロールが解けていませんね。
      少なくとも他人にはその価値観を押し付けないでくださいね。

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    2. どのあたりが、マインドコントロールだと思われたのでしょう。
      さしつかえなければお教えください。
      また、私はこの価値観を決して押し付ける事はありません。
      わざわざ「各々の判断に従って」と申し上げている通りです。

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    3. 行いのない信仰は死んでいるのです

      この断定は脅迫じみていますね。選択権はあなたにあると言いながら、これを選ばないと神の救いはないと聞こえます。
      弟子訓練が始まる時も同じ様な論法でした。「強制ではないが本物のイエスの弟子になりたい者は」との触れ込みだったのを思い出します。
      「恵みのみ」ではいけないのでしょうか?

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    4. 神様の救いは、ただただ恵みのみです。私たちは自分の努力で救いに与るのではありません。
      書き方が悪かったですね、ごめんなさい。

      ヤコブ2:26に、「たましいを離れたからだが、死んだ者であるのと同様に、行いのない信仰は死んでいるのです。」とあります。
      これは一見、あなたが仰るようにパウロの信仰義認(ローマ10:10「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」)と矛盾しているとさえ思える言葉です。しかし、そうではありません。パウロもヤコブも全く同じ事を言っています。申し上げたように、心と体・信仰と行動は両輪なのです。しかし、行動に移すことも、ただ主の恵みの中にあります。ですので、あなたが仰る通り、他人の行いをみて「あなたは信仰が薄い」とか「信じているならばできるはずだ」などと言うのはお門違いです(ローマ14章全文)。それは、神の領域です。

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    5. 聖句を部分的に抜き出して当てはめるのは危険です。聖書は全体の流れや時代・民族の習慣も加味して理解するもの。そうでないととんでもない事になります。原理主義となり骨肉の争いになります。

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    6. 連投の匿名様
      コメントありがとうございます。

      仰ることはすごい「正論」だと思いますよ。
      聖書の言葉を引用した「ご高説」も素晴らしいです。

      その「正論」と「ご高説」で人が救われればいいんですけどね。

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    7. パウロと、ヤコブやペテロの主張が全く違う事を、姑息に結びつけて正当化して来たのが、プロテスタントの生みの親、カトリック教会からつながる「ローマ教」であり、今のキリスト教の創始者はパウロである事がわかります。
      プロテスタントはカトリックの子供です。すべてを受け継いでいます。
      二ムロデの誕生日=クリスマス、アシュタロテ(またはイシュタル)=イースターは完全に、偶像礼拝です。ご都合主義です。
      他宗教や、ひいてはリベラルな教派を批判する前に、牧師の言う言葉を鵜呑みにしないで、十分に自分の所属する教会の流れ、それ以上に大元を研究するべきです。
      ローマ皇帝にとり入ったパウロが安泰化。皇帝の権力でおふれが出て、数多くの宗教の一つとしてキリスト教も認定され、迫害を免れる。地上の王となる。ローマ教皇制度。
      幾ら(どう言う教派であるかを十分に考慮に入れなければなりませんが)牧師が、聖書にこう書いてあって、こう言う解釈が正統的だ、等と宣おうと、かつてどのようにキリスト教と言う宗教が形作られたのか。「神が導いた」と言う解釈の上で、「正統教理」が今のキリスト教だ、と言われるが、それまでにローマ皇帝の政治的・政略的意図があり、都合の悪い事を民衆から隠すため多くの焚書がなされ、ニカイヤ信条に従わない者たちを権力で異端と退け、書物は外典・偽典化され、従わない者達を数千万人虐殺し、「私はこの教えこそがイエスの本当の教えだと思う」と言うだけで、追放・虐殺・焚刑の憂き目に遭い、パウロ教だけが残ったのです。
      言う事を聞かない者たちを、大量虐殺して!来たのです。
      (彼らの血が主の前に叫んでいる事でしょう。
      ひょっとすると、今の全キリスト教こそが、反キリスト・偽預言者かもしれない。)
      それが今のニカイヤ信条全キリスト教の大元です。
      聖書からはどのような説教でも可能です。

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  6. 私が長年集っていた教会よりはまだいいかも。
    私が集っていた教会では、当時は(20年程前)、教会内で独身の男女が話すのは原則禁止。
    結婚は、男性が牧師に「Aさんと結婚したい」と伝え、牧師からAさんのカウンセラーに話がいき、そこからAさんに話がいく。OKなら結婚の準備が進んで行きますが、決して二人きりで会ってはいけないし、教会内でも話してはいけない。二人きりで会えるのは、指輪を買いに行くときだけ。
    必要な話は、電話ですること。
    そんな教会なので婚約式などなく、結婚式の1週間前に結婚が発表されます。
    場合によっては、新婚旅行の行き先までNGを出された人もいました。海外に行きたかったようですが、海外はダメだと。
    披露宴も教会のルールが最優先で、「お酒で乾杯」も「お色直し」もNG。

    私の場合は、同じ職場の人を教会に連れて行き、そこから結婚となったので、会社帰りに一緒に教会に行くこともあったのですが、それを教会の人に見られて、牧師に報告されて、牧師から注意されたことがあります。

    そんな教会でしたが、奥様を2年程前に病気で亡くした牧師は、74歳になった去年、21歳年下の女性と再婚されたこともあって、数年前からは少しは緩くなっているようです。

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  7. 誰と誰が付き合っているかを、聖職者が知っていなくてはならないという話に、某ブラック企業を思い出しました。(その会社はオリンピックのスポンサーになったことがあり、オーナーは高額納税者番付の常連で有名演歌歌手と非常に仲が良く、この人の事務所の歌手たちはしょっちゅうこの会社のイベントに出ています)この会社では女性社員と男性社員はオーナーに内緒でお付き合いすることはできません。オーナーが社員の男女関係まで把握していないと気が済まない性格のようです。

    信者の結婚に関して、私の知っている某新興宗教系プロテスタントの教会のケースですが、とにかく献金と献品をしまくる→聖職者のお気に入りになり好きなのを一人持っていってもいいと許可→自分の好きな兄弟や姉妹を「あの人と結婚したい」と指名→ようやく交際→結婚にこぎつけます。

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  8. まだ結婚しない若者たちに助手席禁止令が出ていたうちの教会は、牧師を始め結婚しない女性の多い教会だった。

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