クリスチャンと「祈り」と「サタン」の関係

2014年12月4日木曜日

体験談から

t f B! P L
 先日の体験談記事「クリスチャンの禁止事項(?)について・その2」について、投稿された方から追加情報をいただいたので書いてみたい。

 同記事に「徹夜で祈る」という項目があり、「金曜の夜が特に重要」と書いたけれど、その理由が「イスラエルが安息日に入るから」だとのこと。
 つまり、安息日でイスラエル人が休んでいるから、サタンに襲われやすい状態にあり、私たちがその分祈らなければならない、ということだそうだ。

 これは単純に考えて、おかしい点が3つある。

 まず1つ目。サタンは一人しかいないし、神様のように偏在でない。だからもし安息日のイスラエルを襲うなら、日本は襲えない。逆もまたしかり。それにもし仮に、安息日がサタンにとって襲いやすい日なのなら、むしろイスラエルの方を襲うはずで、安息日という習慣のない日本が特に「襲われやすい」ことにはならない。

 2つ目。ヨブ記を見ればわかるけれど、サタンは神様の許可がなければ直接人間を襲えない。だから安息日とか関係なく、人間がサタンに襲われるということは基本的にない。それにもし仮にあるとしたら、人間は「霊の戦い」とかしている余裕もなく一瞬でやられるだろう。ヨブが受けた被害を見ればわかる。一晩祈ってサタンと戦うとか、そもそもそういう戦いにはならない。

 3つ目。日本とイスラエルは7時間の時差があり、日本の方が進んでいる。だから日本の方が7時間早く安息日に入り、7時間早く明ける。だから日本で徹夜で祈るだけでは向こうの安息日をカバーできない。

 他にもおかしな点があるかもしれない。見つけた方はご一報下さればと思う。

 という訳で、おかしいことだらけである。
 聖書をちゃんと読んでいればそういう間違いには陥らない気がするけれど、やはり指導者とか、有名牧師とかの話を鵜呑みにしてしまうのだろう。あるいは聖書との矛盾に気づいても、実際的にお世話になっている人の話は無下にできないのかもしれない。

 また、金曜の徹夜の祈りとは関係ないけれど、「私たちが祈らなければこの世界が大変なことになる」という発想はそもそも傲慢であろう。神様が無能で、人間が祈らなければサタンの好き放題にされる、と言っているのと同じだからだ。けれど実際は逆で、神様がサタンなり悪魔なりを制しておられて、その上で人間が勝手に「霊の戦い」だと騒いでいるに過ぎない。

 私たちの個々の祈りは、たとえばアマゾン川とかナイル川に一滴の水を垂らすようなものだと私は思う。それは大河にとって何の影響もない。その一滴で「流れを変える」と主張するのが上記の「霊の戦い」推進クリスチャンたちだけれど、傲慢にも程がある。

 しかし「大河も一滴の水から」という言葉もある通り、その一滴に何の意味もないのではない。神様も私たち一人一人の祈りを決して無下にはされない。むしろその一滴一滴に目を留めておられる。ただし一滴はあくまで一滴であって、それ以上ではない。その謙虚さは持っていなければならないと私は思う。

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