「リバイバル」という「終末の惑わし」

2014年10月2日木曜日

「終末」に関する問題

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 村上密先生のブログの最近の記事に、終末にリバイバルなど起こらないという主旨のものがあって、大変参考になった。興味のある方は是非検索してみていただきたい。

「レストレーション運動」を信奉するクリスチャンは、「後の雨運動」とか「第三の波運動」とかいうのも信奉していて、終末に大リバイバルが起こる、と真面目に信じている。それを根底からひっくり返す内容で、私はちょっとスッキリした。

 かつて私も「リバイバル」を漠然と信じていて、知り合いにも「リバイバルを見るまであなたは死なない」と預言された人もいる。世の終わりには何かすごいことが起こるのではないか、という漠然としたイメージを持つ人も多いのではないかと思う。

 けれど聖書を見てみると、確かにリバイバルが起こるとは書いていない。旧約にはそうとも取れそうな記述があるけれど、新約にはない。逆にキリストが言うのは、終末の時、「多くの人が惑わされる」「愛が冷める」「そのとき地上に信仰が見られるだろうか」

 つまり、「リバイバル」とは程遠い状況になっているということだ。
 大勢が一斉にクリスチャンになり、キリスト教界が大いに盛り上がり、それから携挙が起こる、なんて漠然と考えていたけれど、それはあまりに楽天的過ぎるのかもしれない。むしろ、信仰を維持するのも困難な厳しい状況の中で、携挙なり終末なりが来るのかもしれない。

 だいいち、「リバイバル」が起こっておびただしい数のクリスチャンが生まれ、そこここに教会が建つような状況になったのなら、急いで世を終わらせる必要性もないのではないだろうか。それよりノアの洪水の時のように、「滅ぼすしかない世界」だからこそ、神様が終わらせるのではないだろうか。

 だから終末論者が思い描く「リバイバル→教会大盛り上がり→携挙でハッピー」という図式は、そのものが「終末の惑わし」なのかもしれない。

 終末論者がよく使う言葉に、「目覚めよ」というのがある。終末に際してよくよく注意し、しっかり信仰に立っていなさい、油断してはいけない、というような意味だ。
 けれど上記ような困難な終末がくるのなら、むしろ終末論者たちの方がちゃんと「目覚め」て、その楽観的な発想を改めるべきだろうと私は思う。

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