先日はいただいた体験談から、東日本大震災関連の記事を書いた。
まとめると、
まとめると、
震災後、多くのキリスト教会がボランティア活動を行い、その関連で義援金を募ったけれど、その一部はいわゆる「ユレユレ詐欺」だった。あるいは単なる自己満足だった。
という話。
今回は同じテーマで、私自身の経験から書く。
・震災を境に変化した教会
震災直後、とある教会が被災地でボランティア活動を始めた。
初めは純粋に「被災地の為に」という大義名分を掲げていた。けれどお金が集まると、いつの間にか本質からズレていた。義援金で教会の備品を揃えたり、関係ない活動に使ったりと、フタを開ければ牧師のやりたい放題であった。
初めは純粋に「被災地の為に」という大義名分を掲げていた。けれどお金が集まると、いつの間にか本質からズレていた。義援金で教会の備品を揃えたり、関係ない活動に使ったりと、フタを開ければ牧師のやりたい放題であった。
同時に終末思想が強まり、「世の終わりのために具体的に備えなければ」と言い出す始末。それで農業とかテレビ局とか芸能界進出とかの話が持ち上がったのは、以前の記事「幻の終末小説を巡るどうでもいい話」に書いた通りである(あれと同じ教会の話)。
それで終末思想に染まった牧師が言い出した。
「日本にもう一度『揺り動かし』がくる!」
つまり日本でもう一度大きな地震が起こる、ということだった。
「日本にもう一度『揺り動かし』がくる!」
つまり日本でもう一度大きな地震が起こる、ということだった。
その根拠として牧師が挙げたのが、ヘブル12章26節。この「もう一度揺り動かす」という言葉が、牧師の胸に「強く迫ってきた」とのこと。勝手に迫られてろって話だけれど、信徒らは大面目に受け止めた。それで教会全体が「終末に向けた備え」に取り組むことになる。
具体的には、毎晩「ダビデの幕屋」の礼拝でヒステリーみたいに盛り上がり、昼間は農業とかテレビ局作り(?)とか芸能界進出とかの事業に取り組む。
それらが終末とどう繋がるのか全然わからないけれど、そういう教会でそんなことを聞くのはヤボである。
それらが終末とどう繋がるのか全然わからないけれど、そういう教会でそんなことを聞くのはヤボである。
また、次なる地震は東京で起こると牧師は言った。「都市直下型地震ッ」と言う牧師の得意そうな、恐怖を煽るような口調。ハリウッドお得意のB級パニック映画の予告編みたいである。
それはともかくとして、じゃあ東京にはいられない、どこかに避難しないと、という話になった。それである地方に物件を探し、備蓄用の倉庫を準備した。
え、そこに何を備蓄したかって? そりゃもちろん、被災地の為に寄せられた支援物資の数々ですよ。沢山余ってましたからね! あれ、でもそれって横流しってヤツじゃないですか?
え、そこに何を備蓄したかって? そりゃもちろん、被災地の為に寄せられた支援物資の数々ですよ。沢山余ってましたからね! あれ、でもそれって横流しってヤツじゃないですか?
それに、「東京に大地震が起こるから事前に地方に避難しておこう」というのは理屈としてはわかりますけど、いささか手前勝手じゃありませんか? 東京都民はどうなるんですか? まるで自分たちを、方舟に乗ったノアみたいに思ってるみたいですけど?
・結局揺り動かされたのは教会の方だった、という話
とにかくそんなこんなで、「揺り動かし」というのが教会のキャッチフレーズみたいになった。「もう一度揺り動かされる!」「終末が始まる!」という台詞が、信徒には妙にリアリティを持って迫ってきた。
そしてついに大地震再来の日時指定までされ、「揺り動かし」のカウントダウンが始まった。けれどそのカウントがゼロになる前に、牧師がトンズラして教会も空中分解した。あっけない崩壊であった。
そして何だかんだがあって後、冷静になって考えてみると、あ、揺り動かされたのは自分たちの方だったな、と気づいた訳である。もう一度揺れるぞと言いながら、揺れたのは自分たちの足元だけだった、という話。ジョークとしてはなかなか面白いと私は思う。かなりブラックだけれど。
その教会はずっと、「神様が濃厚に働かれている教会」と評されてきた。けれど私が思うに、神様が濃厚に働かれたのはその最後の一撃だけである。つまり偽りの牧師が退場させられたことが、信徒にとって最大の神の恵みだった、という話。
だから身の覚えのある教会あるいは牧師は、今のうちに方向転換することをお勧めする。と言っても、そういう教会や牧師が自ら非を認めるなんてなさそうだけれど。
・歴史は繰り返す
また最近、ある自称クリスチャンが「2015年4月に東京で地震が起こるかも」とか言っている。
この人は2014年10月にも「携挙が起こる」と言って見事に外したけれど、本人に言わせると「私そんなこと言ってませ~ん。私がそんなこと言ったですって? ウケる~」とか誤魔化している。
たぶんそこで学習したのだろうけれど、今回は「起こるかも」とちょっと慎重になっている。
けれど「起こるかも」だったら誰でも何でも言える。神様とは何の関係もない。
上記の牧師のように自分自身の足元が大揺れしたら、この人もちょっとは反省するのかな、と考えてみた。いや、しないだろうな。
・結局揺り動かされたのは教会の方だった、という話
とにかくそんなこんなで、「揺り動かし」というのが教会のキャッチフレーズみたいになった。「もう一度揺り動かされる!」「終末が始まる!」という台詞が、信徒には妙にリアリティを持って迫ってきた。
そしてついに大地震再来の日時指定までされ、「揺り動かし」のカウントダウンが始まった。けれどそのカウントがゼロになる前に、牧師がトンズラして教会も空中分解した。あっけない崩壊であった。
そして何だかんだがあって後、冷静になって考えてみると、あ、揺り動かされたのは自分たちの方だったな、と気づいた訳である。もう一度揺れるぞと言いながら、揺れたのは自分たちの足元だけだった、という話。ジョークとしてはなかなか面白いと私は思う。かなりブラックだけれど。
その教会はずっと、「神様が濃厚に働かれている教会」と評されてきた。けれど私が思うに、神様が濃厚に働かれたのはその最後の一撃だけである。つまり偽りの牧師が退場させられたことが、信徒にとって最大の神の恵みだった、という話。
だから身の覚えのある教会あるいは牧師は、今のうちに方向転換することをお勧めする。と言っても、そういう教会や牧師が自ら非を認めるなんてなさそうだけれど。
・歴史は繰り返す
また最近、ある自称クリスチャンが「2015年4月に東京で地震が起こるかも」とか言っている。
この人は2014年10月にも「携挙が起こる」と言って見事に外したけれど、本人に言わせると「私そんなこと言ってませ~ん。私がそんなこと言ったですって? ウケる~」とか誤魔化している。
たぶんそこで学習したのだろうけれど、今回は「起こるかも」とちょっと慎重になっている。
けれど「起こるかも」だったら誰でも何でも言える。神様とは何の関係もない。
上記の牧師のように自分自身の足元が大揺れしたら、この人もちょっとは反省するのかな、と考えてみた。いや、しないだろうな。
ザイクスの伯壬旭教祖も「94年の6月24日、東京にマグニチュード9の大地震が起きる」とわめいて、東京中に電波系の主張を書き綴ったビラをまき散らしていました。もちろんその日が来ても何も起こらず、予言は外れたわけですが、教祖は責任を取るどころか「今回の地震は95%の確率で起こるはずだったが、それが起こらなかったのは、信者たちが口に出すことで起こらない5%の部分が肥大したからだ」などというわけのわからない説明でお茶を濁していました。婆原教祖とは多少はニュアンスが違うとはいえ、電波系の教祖というものはどの宗教であろうがこれなのです(笑)。もちろんユレユレ詐欺もしっかりやって、伯教祖は大儲けしたわけですが。
返信削除予言が外れたあと、婆原教祖はカフェを、伯教祖はアクセサリー会社を立ち上げました。この二人には、電波系であることと、予言で世をさんざん騒がせて外していることで、かなり似ている部分があるような気がしてなりません。