ホームスクールの「労働対効果」について考えてみた。
最初に断っておくと、ホームスクールを否定するつもりはない。だが公立学校も私立学校も同じように否定するつもりはない。どちらも問題がない訳ではないし、どちらも子供の健全な成長を保障するものではない。
さて、ホームスクーラーは教育委員会と学校に、宣言なり説明なりをしなければならない。ウチはホームスクールをするから公立学校に子供を送りません、理由はこれこれです、と。
それに対する教育委員会や学校の回答は、いつも同じである。「それは違法です」「憲法違反です」「教育法違反です」などなど。
べつに彼ら個人個人が悪いのではない。そう言わなければならないのだ。チャーチスクール、ホームスクールは義務教育の定義からすると(現段階では)違憲とされている訳で、大規模な市民運動とか訴訟運動とかが起こって世論が動かない限り、今のところ変わりそうにないからだ。だから彼ら公僕の方々は、違憲なものは違憲と言わなければならない。
それに対するホームスクーラー側の言い分はある訳で、私はそちらの気持ちも理解できないではない。けれど公に違憲とされている以上、彼らに勝ち目はない。それに個々の教育委員会や学校といくら衝突しても、大勢に影響を与えることはない。どうせ衝突するなら、世論が動くようなやり方でなければ意味がない。
ホームスクールを支援する団体も、そのことは重々承知している。同団体は「教育委員会や公立学校にどう対応すべきか」みたいなガイドラインを会員向けに発行しているけれど、そこには明確に、「公立学校にホームスクールを認めてもらうことは目的ではない」と書いてある。つまり、認められないのが普通だということだ。それより同団体のスタンスは、「誰に認められなくても決心したならホームスクールを進めるべきだ」というようなものだ。
だからホームスクーラーが教育委員会なり公立学校なりに説明に行く時は、自分たちの言い分は言うにしても、それを盾に衝突すべきではない。互いに歩み寄れるように努めるべきだ。
ところでそういう労力を考えただけでも、ホームスクールは大変だろうなと思う。違法だ違反だと言われるのは、相当ストレスにもなる(そもそもクリスチャンとして、違反とされていることを選ぶのはどうなんだという議論はあるだろう)。それに加えて日々、子供に勉強や運動を教えなければならない。親に休みはあるのだろうか。
あるいは公立学校に子供を送り、必要な教育をプロに任せ、帰ってきた子供に最大限の愛情を注ぐ、という選択肢も、決して悪いものではないように私には思える。しかもそれは違憲だとか違法だとか言われる心配もない。
教育熱心なクリスチャンらが大変な労力を注いでホームスクールをし、子供を育て上げ、ついに成人した子供を見る。その時、もし彼らが失望するようなことがあったとしたら、それは大変な悲劇としか言いようがない。「労働対効果」で考えたら、一体どんなことになってしまうだろうか。
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