エコヒイキ牧師の見極め方

2014年1月31日金曜日

キリスト教信仰

t f B! P L
「神の牧師」が信徒を不公平に扱うことがある。もちろん人間同士のことだから相性の問題はある。けれど露骨にエコヒイキするのは、牧師である前に大人としての品位が疑われるところだ。しかし一部の牧師は、そのエコヒイキをうまく扱って正当化してしまう。その仕組みをまとめてみたい。

■牧師がエコヒイキするタイプの信徒
 ある牧師らはこのタイプの信徒群を、「御霊にあって組み合わされた人たち」とか表現して、積極的に密接な関係を持とうとする。「神が結び合わせた人たちだから、私は彼らを無下にはできない」「彼らは主にあるパートナーだ」などと言う。

・金持ち(経済的支援を期待できるから)
・権力者(何らかの優遇措置を期待できるから)
・有識者(有益な情報を得られるから)
・優秀な人材(自分のミニストリーに利用できるから)
・従順な人材(いつでもどこでもうまく利用できるから)
・見目麗しい異性(そばに置いておくと気分がいいから)
・注目を集めやすい障害者(彼らを助けることで好印象を得られるから)
・注目を集めやすい病人(彼らを甲斐甲斐しく世話することで好印象を得られるから)
・注目を集めやすい社会的弱者(彼らに救いの手を差し伸べることで、牧師自身が注目されるから)
・その他、関わることで何らかのメリットを牧師にもたらす人物

■牧師が冷遇するタイプの信徒
 ある牧師らはこのタイプの信徒群を「不従順な人々」「荒野のイスラエルのように頑なで扱いづらい人々」「悪霊の影響下にある者ども」などと表現し、積極的に距離を置き、あるいは関係を断とうとする。

・牧師に意見する信徒(正論であれば尚更)
・牧師に反対する信徒
・無能な信徒、やる気のない信徒
・見目麗しくない信徒
・助けてもメリットのない貧乏人、病人、障害者、社会的弱者
・・その他、牧師から見て「かわいくない」信徒(いろいろな意味で)

■結果で見分ける
 もちろん、不公平を公言する牧師はいない。口では「全ての人を公平に扱います。主がそうであるように」などと言う。ではどうやって牧師の不公平さを見抜くかというと、結果的な状況で見るしかない。牧師が何だかんだ御託を並べても、結果的に信徒の扱いが上記のように分かれているとしたら、それはエコヒイキ牧師なのである。動機は結果に現れる。木はその実で判断できる。嫌いな人、苦手な人、扱いづらい人をどう扱うかは、その人間性が最も強く現れるところである。

QooQ