■夢の「解き明かし」ができるという人の話
夢)蛇が鳩の巣にこっそり近づき、生まれたばかりの雛を食べてしまった。私(夢を見た人)が叫んで警告しても、親鳩は気づかない。
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解き明かし)悪魔が、生まれたばかりのクリスチャンを騙して、奪い返している。周囲の人がそれを警告しても、その教会のリーダーたちは気づかない。
それって解き明かす必要あった? ってレベルの内容のような気がする。安易な想像じゃないだろうか。それが解き明かしだとしたら、解き明かしなど大したことないと思われても仕方がない気がする。
しかしそれを「解き明かした」本人に言わせると、「皆さんにはわからないかもしれませんが、私には解き明かしの賜物が与えられるのでわかるのです」とのこと。いやだからそれくらいなら誰にでもわかるって、と突っ込みたくなる。失礼ながら。
夢の解き明かしで有名なのは、旧約聖書のダニエルのケースだと思う(ダニエル書2章参照)。ある夜、バビロンの王が不吉な夢を見て、心配になって、夢の意味を探ろうとする。それで国中の呪法師とか知者とかを集めるのだけれど、バビロンの王はバカではなかった。夢の内容を話したら、きっと嘘とも本当ともつかない適当な解釈をされるだけだと知っていた。それで彼がとった方策は、「夢の内容と解き明かしの両方を示せ」と命じることだった。
これでは、そもそも王がどんな夢を見たのかわからない、ということでバビロン屈指の呪法師たちはなす術なし。結局この難題に応えたのはダニエルただ一人で、彼は神様から、王の見た夢の内容とその解き明かしの両方を教えられた。
またこのケースからわかるように、「解き明かし」は具体的な数字とか、事象とか、そういう曖昧でない事実を示している。例えばこの場合で言うと、「エジプト全土に起こる7年間の豊作と7年間の飢饉」というふうに。
そう考えると、「悪魔が生まれたばかりのクリスチャンを騙して奪う」というのは解き明かしとしては相当曖昧で、いつでもどこでも誰にでも起こり得ることを言っているに過ぎない。それを解き明かしだと言い張るのは自由だけれど、それなら解き明かしてもらう必要ないのでは。
■オマケ:啓示的な夢を見たという人の話
こんな証を聞いたことがある。
「夢の中で、神様と一緒に砂浜を歩いていました。振り返ると、二人分の足跡が見えました。しかしふと気づくと、足跡は一つだけになっていました。あれ、神様どこにいったんだろう? そう思っていると、こんなふうに語られました。『あなたは一人じゃないよ。あなたが辛い時、私があなたを背負っていたんだよ』神様にそう語られて、感動して目覚めました」
それって "Foot print" のパクリじゃない?
いや、本当にそういう夢を見て感動したなら素晴らしいことですが。
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