「地獄」はどこにある?

2023年8月7日月曜日

キリスト教信仰

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 「地獄」は死後でなく、この世界にある。

 死んだ方がマシだ、としか思えないほどの「地獄」が。そこで苦しんで自死を選ぶ(選ばざるを得ない)人にとって、死は救済となる。その状況ではキリスト教的な「天国」や「地獄」は絵空事でしかない。牧師が講壇から語るご大層なご説教は何の役にも立たない。だからクリスチャンが本当にリーチすべきは死後の「天国」や「地獄」のことでなく、現世の不正や苦しみについてなのだ。


 「信じれば天国へ行ける(でも自死はダメ)」とか、「信じないと地獄行き」とかの教義理解は、今現在「地獄」のような状況を生きている(生きざるを得ない)人には何の意味もない。虚しい言葉の羅列でしかない。それしか語れないなら教会やクリスチャンの存在理由はない。文化祭みたいな礼拝や教会行事で気持ち良くなり、現実を忘れるくらいしか能がない。本当の「地獄」から目を背けて。

 ペンテコステ系の教会でカルト被害に遭った人が、一からやり直したくて西欧圏に留学した。辺鄙な地域で、日曜に教会に行く車に乗せてもらえないと、買い物すらできなかった。それで仕方なく日曜ごとに教会に通ったが、そこもペンテコステ系の教会で、日本での嫌な記憶を大いに掘り返された。


 ついに耐えきれなくなり、ホストファミリーに相談した。もう教会には行けない、と。ホストファミリーは大いに同情してくれたけれど、「それは牧師が悪いのであって、神様が悪いのではない」という被害に遭ったことのないクリスチャンが言いがちな言説以上の言葉を持ち合わせていなかった。その人は誰にも理解してもらえない気持ちを抱えて、日々悶々とするしかなかった。全部忘れてしまおうと努力する以外、できることはなかった。


 「地獄」はその人の胸の内にあった。


 教会のメンバーの中にも、胸の内に「地獄」を抱えた人がいるかもしれない。講壇から説教される「天国」や「地獄」とは全く違う、リアルな痛みを伴った「地獄」を抱えた人が。あなたの教会はその身近な「地獄」に対応できるだろうか。いやそれ以前に、その「地獄」を共有してもらえるくらいの信頼を得ているだろうか。


 「地獄」は死後でなく、すぐ近くにある。あなたの隣にある。

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