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2ページ目の後半部分に特に共感した。
「大きな罪を犯した説教者たちが、旧約聖書のダビデ王などの失敗を挙げて自身を正当化する」という。まさにこういう事態を見てきたので、リアリティを持って読んだ。そういう説教者は自身を正当化するためなら何でもする。聖書を都合よく引用し、人を悪霊呼ばわりし、嘘をつき、それでもどうにもならないとわかると、身を隠す。
彼らは意識的にか無意識的にか、旧約聖書の人々の失敗が私たちにとって戒めであることを語らない。
旧約のいろいろな罪の事例は「そうであってはならない」という反面教師であり、失敗例であり、かつ「旧約」という制限の中の話であって、現在とは全く「土俵が違う」ということを忘れている。私たちは旧約の彼らと同じようには扱われないだろう。それどころか、旧約時代より恵みが多いという意味で、現代の私たちの方が責任は重いはずではないか。ダビデが許されたから、私たちも同じ罪で同じように許される、という話にはならない(もちろん十字架は全ての罪を許すのだけれど)。
1ページ目の最後の項目は、そういう手前勝手な説教者の心理を的確に表していると思う。
「説教者にとって地域教会に仕えるより、自分の王国を築くことの方が重要となっている」
そういう「教会作り」に巻き込まれるのでなく、この著者が言うように私たちは聖書を読み、そこから学び、正しい判断ができるようになるべきだと思う。