愛か支配か

2023年7月10日月曜日

キリスト教信仰

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 キリスト教会の誰かが「あなたは◯◯しないと救われない」とか「そのままでは地獄に堕ちる」とか言って恐怖や不安を煽るのは、「愛」でなく「支配欲」が動機だ。真に受けると、簡単に支配されてしまう。

 聖書は「全き愛は恐れを締め出す」と言っている。いたずらに恐怖を煽るのはそれに反するし、聖書と関係なくても不健全だ。恐怖や不安は陰謀論が拡散される原動力にもなっている。そうでない、「愛」に基づく発信のあり方について、具体的に模索していくのがキリスト教会の使命だと私は思う。


 宗教教義(キリスト教教義)は容易に、脅しや支配の材料になる。前述の「そのままでは地獄に堕ちる」だけでなく、「神様はあなたに◯◯するよう求めておられる」とか「◯◯すれば祝福される」とかのポジティブな言い回しもそうだ。神の「全知全能」や「絶対的正しさ」を盾に、人の行動や思考がコントロールできてしまう。だから教会の指導者には高い倫理観や人権意識、擬似科学や心理学の知識が必要だし、かつ継続的なカウンセリングや研修、適性検査等のサポート体制が欠かせない。しかしそういう体制が作られにくいのもまた、宗教組織の特徴であり課題だ。聖職者の不可侵性が、そのまま聖職者の暴走を許してしまっている現状がある。

 また宗教組織だけでなく、会社や学校や家庭など、様々な場所で脅しや支配の手法は使われている。だからこういった知識(カルトの知識と言うべきか?)はもはや義務教育レベルで教えるべきでないだろうか。そうでないと、どこでも習わないのだから。


 上京したての大学生がカルト宗教のカモにされるケースは、残念ながらよく聞く(私もその一人だ)。「愛」と「支配」の違いが分からないからだと思う。

 「愛」はその人を自由にするけれど、「支配」はその人を「自分は自由だ」と思わせたまま巧妙に縛り付けて、心理的に逃げられないようにする。

 「愛」は恐怖や不安を克服し得るけれど、「支配」は率先して恐怖や不安を煽り、その先に進むべき未来があるように思わせる。

 「愛」はいろいろ迷ったり悩んだりするけれど、「支配」はこうすればいいとシンプルに答える。


 「愛」が崇高だとしたら、「支配」は実に巧妙だ。若い人には特に、両者の違いが判別できるようになってほしい。

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