ただし、自分の教会がカルト化していると認識できるのは、その教会にある程度献身しており、専任の奉仕があり、責任ある立場にあって、かつ教会のカルト化という問題に理解があるからだと思う。そこまでコミットしていない人なら見えないことは沢山あるから、「抜け出す」ほど深刻な事態にはならないし、そもそもそんなこと考えないかもしれない。
だからこの仮定は、献身者とかスタッフとか働き人とかと呼ばれる、教会に多くの時間を捧げている人たちに向けたものだと思う。
■円満な方法:遠方に引っ越す
単に逃げるだけじゃないかと思われるかもしれないけれど、円満に教会を離れるにはこれが最も良い方法だと私は思う。
仕事の都合、学校の都合、親の都合、実家の都合など、様々な都合が引っ越すキッカケとなるだろう。そのタイミングで教会を離れれば、誰にも咎められない。歓送会など開いてもらって気持ちよく出られるし、他の信徒との交流も続けられる。
ただこの問題点は、引っ越すタイミングを自分で決めにくいということだ。もちろん転勤になったとか嘘をつけばいいのだが、嘘をつけない人には難しい。
もう一つの問題点は、教会自体は何も変わらないということだ。独裁的だったりカルト的だったりという体質自体はその後も続く。もっとも、自分が出た後どうなろうと関係ないと割り切れるなら、それでいいかもしれない。
■絶対やってはいけない方法:リーダーとケンカする
この「ケンカ」とは、「準備のないケンカ」であり、突発的、衝動的なものだ(ケンカに準備も何もないかもしれないけれど)。
成り行き上、リーダーと衝突することはあると思う。意見の相違はあって当然だし、一緒に何かをすればぶつかって当たり前だからだ。けれど変に従順な信徒は、そこで簡単に折れるから問題にはならない(それが聖書的従順だと信じている)。
けれど信念やポリシーや、のっぴきならない事情がある信徒は折れない。あくまで主張を曲げない(曲げられない)。その相手である独裁的・カルト的リーダーも自分の主張を曲げないだろうから、平行線のままケンカだけがエスカレートしていくことになる。
その結果どうなるかと言うと、信徒の方が追放処分となる。理由は不従順とか不信仰とか罪とか、そういう不名誉なことに一方的にされてしまう。
これは信徒にとって損なだけだ。教会を抜け出せたという点では良いのだが、以降出入り禁止にされるし、他の信徒との連絡も禁じられる。何より不信仰のレッテルを貼られるし、方々の教会にそれを言い広められることもある。下手すると、キリスト教界からの追放にもなり得る(そういうケースは実際にある)。
■辞めますと言って辞められないのか
ここまで読んでいただいて、「辞めたい時に辞められるはずでしょ」と疑問に思われたかもしれない。もちろんそうやって辞められる教会もあると思う。けれど、そうできない教会はある。
ポイントは「その教会にとって(というよりリーダーにとって)有用な人間かどうか」にある。何かずば抜けた能力があるとか、特徴があるとかで「必要性な存在」となっている信徒は、リーダーが手離さない。もしその信徒が「疲れたから辞めます」とか言うと、「途中で投げ出すのは不信仰だ」とか「今は辛抱してそれを続けることが主の御心だ」とか「御心に背いたら祝福がない」とか言われる。それでもあくまで辞めると主張すると、前述のような追放処分となる。ひどい痛手を負うことになるだろう。
逆に(リーダーにとって)有用でない人間は、それほど引きとめられない。けれど有用でないなら、そもそも重要な立場にはなっていないだろうと思う。
■私が思う正攻法:覚悟と準備をもって不正を暴く
これは衝動的なケンカの反対である。入念に慎重に準備する期間と、最後までやり切る覚悟が必要だ。
しかしこれは感情に任せてリーダーと対立することではない。批判したり裁いたりすることでもない。どちらかというと淡々と、リーダーの(あるいは教会運営上の)明らかに法に触れる行為や、そうでなくてもクリスチャンの倫理に反する行為の「証拠」を集めていく作業だ。録画や録音、ミーティングの記録や会計記録、誰かの証言などが有用だと思う。そしてその証拠をもって、批判とかでなくあくまで事務的に、その不正の責任を負わせることだ(書くのは簡単だけれど、これを実行するのは大変な労力だと思う)。
しかしそういう証拠を突きつけて、リーダーと直接対決するのは得策ではない。そういうリーダーは保身のためなら何でもするし、何とでも言うからだ。感情的にやり合うのも、大きな負担になる。
それより、まずはそういう証拠をもって第三者に相談するのがいいと思う。法に触れているなら警察に相談できるし、そうでなくても弁護士に相談することで、自分では思いつかない方策を教えてもらえたりする。あるいはカルト問題に詳しい牧師やクリスチャンに相談してもいいかもしれない。いずれにせよ、味方を作ることは重要だ。
その結果、やはりリーダーと対立することにはなるだろう。けれど、証拠固めと第三者のサポートがある以上、一方的な追放とか不信仰呼ばわりとかは避けられると思う。その結果どうなるかは何とも言えないけれど。
もっとも、これは教会を「抜け出す」方法というより、教会を改革する方法だろう。大変な労力がいる。時間もかかる。そこまでの犠牲は、普通なら払えないと思う。
そういう場合は、やはり「引っ越す=教会と物理的な距離をとる」が一番いいのかもしれない。逃げるのは卑怯だと思われるかもしれないが、そもそもそこまでして教会に付き合う義務はないだろう。
■根本的な問題
ここまで教会を抜け出す方法、改革する方法について簡単に書いてきたけれど、一番最初に必要なのは、抜け出さなければならないという必要性に気づくことだと思う。自分の仕えている教会がカルト的で、偽りの御心によって搾取され、訓練と称する虐待に遭っているのだと認識できなければ、何も始まらないからだ。
しかし私の経験によると、そこまで深く献身し仕えている信徒は、自分の教会やリーダーの問題点には気づきにくい。どこかで疑問や違和感を感じているとしても、それを取り上げることは不信仰なことに思えるだろう。「敬虔な」信徒ほど、そんなことできないのではないかと思う。
カルト教会から不信仰のレッテルを貼られても恐れない気持ちが大切だと思います。
返信削除匿名様
返信削除コメントありがとうございます。
仰る通りだと思います。
ただ、不信仰と断じられて教会を追放されるのを恐れるのは、そこに共依存の関係があることも一因かと思いました。これはまだ記事には書いていませんが、「苦しいけど、離れるのも辛い」という心理も信徒の側に働いているケースもあるかと思います。
もし、その教会で献身者という立場になって、同時に献金をもいただくようになってから、数年後、教会のカルト性に気づいた場合、どうすればよいと思われますか?
返信削除たとえば献金(100万円以下)を返金してからその教会を脱退するのが良いか、又は、正直めんどくさいのもあるし、献金は神様に対する想いでされるので、(決して拘束料のようなお金ではない)、返金の必要はないのでしょうか?
匿名様
返信削除コメントありがとうございます。
確認ですが、教会で献身者として働きはじめ、その報酬である給料の出所が、教会員の献金だった、ということでしょうか。
それでしたら、そこには労務関係があったと思います(書面がなくても)。つまり教会リーダー(雇用主)と匿名様(被雇用者)の間に何らかの労務契約があり、「給料は毎月〇〇です」という決め事があったかと思います。
その場合、匿名様がもらった給料は、匿名様の労働に対する正当な報酬ですから、返す必要などまったくありません。給料の出所が献金かどうかは雇用側の問題ですし、献金だから返さねばならないなどという法もありません。
もし献金だから返せとか言われるようでしたら、じゃあ労働を返せという話になります。
献金だから返せとかマジメに言ってくるようでしたら、明らかにトンデモ話です。さっさと辞めて連絡を絶つか、しつこいようなら労働基準監督署などに相談したら良いかと思います。
以上ですが、お役に立てたでしょうか。
以前私も教会がおかしな事に気づき、教会を出たのですがもちろん教会で仲の良かった姉妹やそこから出してあげたい人たちがいるのですが、おかしいのを具体的に伝えようかまよっています。正直、知っていてしらんふりするのもどうか?と思って言います。あのような被害者や2次軍3次軍となっていくのかと思うと少し気が引けるのですが、やはり、しらんふりしてほおっておくのがよいのかなやんでいます。誰か教えてー
返信削除新興宗教系のプロテスタントはカルト化しやすい傾向がありますので、おかしいと感じて教会を去る人は昔も今も多いのは事実です。
返信削除教会で仲の良かった姉妹やそこから出してあげたいほど大事に思う人がいるのはいいことではありますが、自分では「この人は仲の良い姉妹だ。」「あの人は大事な人だ。」と思っていたとしても、向こうのほうでははたしてどのように考えているのでしょうかね・・・
仲が良いと感じたし大事にしたいと感じたのは、向こうさんたちがとても「いい人」だったということです。でもそれは「いい人」を演じていただけなのかもしれませんよ。愛情あふれる言動も、カルトによくあるラブシャワーで、愛情があったとしてもあくまで「この宗教団体にとって有益な人物である。」とか「北朝鮮の核心階層のようにしっかりした忠誠心がある人物である。」という、条件つきの愛情だった可能性も否定できないのではありませんか?
フリージャーナリストの下黒正樹さんは23年間赤旗の記者として活動し、94年に除名された元共産党員です。あれほど一緒に頑張ってきたというのに、彼が除名されたとたん同志たちは手のひらを返すような態度になり、年賀状一通よこさなくなってしまったのだそうです。
仲の良かった姉妹や大事に思っている人たちから今も年賀状は届いているのでしょうか?
(上から目線で「あなたがふたたび救われるように祈っています」などという上から目線の文章ではなく、ごく常識的な文面で新年の喜びをことほぐような年賀状です。)
下黒さんのように、その集団から去ってメンバーでなくなった途端、年賀状はおろか道であっても避けられるのでしたら、「あいつはサタンだ。絶対にかかわってはならない。」と指導されていますので、話をするどころか半径10m以内にも彼らは近づきたがらないものと思われます。
もし円満な形で去ったというのでしたら、それなりに顔を合わせれば挨拶くらいはするでしょうし、上から目線ではない「ごく普通の年賀状」が届くでしょう。
人間関係が今もうまく続いていて、宗教抜きで普通のお友達としてお付き合いができているのでしたら、「何か悩みがあったら一人で抱えていないで私に何でも相談してね。」と日ごろからいっておくといいかもしれません。