【小記事】届かない振袖、返納できなかった運転免許、雪で立ち往生する電車、想像と現実のギャップ

2018年1月14日日曜日

時事問題

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 2018年に入って2週間が経ちました。何だかあっと言う間ですね。
 この2週間にもいろいろな出来事がありました。私は次の3つのニュースと、その後の顛末が気になりました。

 1つは、8日の成人式当日に予約した振袖が届かず、式に参加できない新成人が続出した、というニュースです。レンタル業者「はれのひ」が経営破綻を隠して予約を受け付け、当日になって姿をくらました、という計画的詐欺でした。新成人の皆さんの、せっかくの晴れ舞台が台無しになってしまいました。
 それに対して同情の声が上がると同時に、「着付けくらい自分でしろ」「自分で着付けできないなら買うな(借りるな)」みたいな声も、上がったようです。
 ずいぶん無神経だなあと思いましたね。

 もう1つは9日朝に起きた、高齢ドライバーによる交通事故です。自転車の2人の女子高生が被害に遭い、重体となっています。1日も早い回復を、お祈りします。
 ドライバーの方は何度か事故を起こしていて、免許返納を家族に勧められていましたが、当日は家族の制止を振り切る形で、車に乗ったそうです。
 自分では「大丈夫」と思ったのかもしれません。そこまで深く考えなかったのかもしれません。

 最後の1つは、11日夜にJR信越線の電車が雪で立ち往生したニュースです。430人の乗客が、車内で夜を明かすことになりました。そのJRの対応に対して、「早く降ろしてやれ」「最寄りの駅に(歩いて)戻ればいい」「バスを手配しろ」などの批判があったようです。
 でも現場の画像を見れば、外に出られる状況でなく、また簡単に近づけない状況だったとわかります(雪国に詳しくない私でもわかりました)。批判した人たちは、いったいどういう状況を想像したのでしょうね。

 振袖と電車の件については批判意見の想像力の欠如を、交通事故においては「大変な事故を起こすかも」という想像力の欠如を、残念に思います。

 振袖は人生で何度も着るものではないですから、着付け方なんて知らなくて当然です。また知っていても、綺麗に着たいはずですから、専門業者に頼むのも当然です。
 だいいち、着付け方を知らないなら着る資格がない、なんてことはありません。パソコンの構造を知らなくても使う資格はある、というのと同じで。

また、真っ暗闇の中、何十センチも積もった雪の中に普段着のまま降り立ち、何キロも歩くなんて不可能です。それだったら、狭くても暖かい車内にとどまった方が全然マシだと思います。

 また、何度も事故を起こしても、家族に反対されても、それでも運転するということは、それなりの事情があってのことでしょう。車がなければ生活できない地方の現状もわかります。それでも、運転操作を誤ったらどうなるか、その重大性はよく考え、あるいは恐れるべきだったと思います。

 人間はどうしても主観的になりますから、他者や状況に対する想像力の欠如、あるいは認識の甘さ、あるいは配慮の不足みたいなものが起こります。また自分自身に対する客観性も持ちづらいです。
 それに加えて、「百聞は一見にしかず」と言うように、体験してみないとわからない、ということが沢山あります。簡単そうに見えたものが、やってみると案外難しかった、なんて経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

 想像と現実のギャップは、けっこう大きい場合があります。

 でもそれはそれで仕方のないことなので、そういうギャップがある(かもしれない)、と認識しておくことが、大切かもしれません。
 聖書にはこんな言葉があります。

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか」(マタイの福音書7章3節)

 他人の小さな問題はよく見えるけれど、自分の大きな問題は意外と見えにくい、みたいな意味ですね。
 ある問題が誰かの失態に見えたなら、声を上げる前に、ちょっと自分の認識が妥当なのかどうか、考えてみたらいいかもしれません。

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