アルマーニ小学生、現る
中央区のある区立小学校が、来年度からアルマーニ監修の標準服を導入するそうです。
今年度までの標準服が2万円弱だったのに比べて、アルマーニ版は(一通り揃えると)9万円くらいになるとか。反対の声もあったようですが、結局校長が押し切った形らしいです(内部事情は知りません)。
なんでそんな高くするんだ、なんでアルマーニなんだ、という反発も起こっているようですが、それでも入学予定者は確保されているようです。ということは、9万円ポーンと払う家庭が揃っている、ということですね。
それだけでなく、小学生の成長は早いですから、約6年間アルマーニ版と度々お付き合いしていくわけで、そういう財力が暗黙的な入学要件になっている気もします。
もっとも私立の制服とか、中学や高校とかの制服もけっこう高いですから、9万円はべらぼうな数字ではないでしょう。でも2万円で済んだものが9万円に上がったのは、確かに高く感じます。どういう意図があるのでしょうか。
小学生にアルマーニなんて早すぎる、みたいな意見もあると思いますが、着る方(買う方)は嬉しいのでしょうね。たぶん低学年の子は「あるまーに」なんてどうでもいいんでしょうけれど、早い子は「他との違い」「特別感」みたいなものを敏感に感じ取ると思います。親の方は言わずもがなです。
そういう違いを楽しみたい、つまり優越感を得たい、という「客層」が、この「アルマーニ版標準服」のターゲットなのかもしれません。聞くと、学区を飛び越えて入学してくる子(家庭)が多いとのこと。学校側は標準服をあえて高価にして、富裕層だけ呼び込みたかったのかもしれません(多分そうだと思います)。
このニュースに私が興味を持ったのは、それだけ日本の「格差」が顕在化・表面化したのだなあと思ったからです。
かつて「一億総中流」なんて呼ばれた時代がありましたが、今は断崖絶壁みたいな格差が当たり前となりつつあります。
都内を見回してみても、富裕層だけが住めるような街があります。富裕層だけが入れるような店もあります(本当は誰でも入れるのですよ)。明らかに富裕層をターゲットにした商品もあります。
一方で一般層・貧困層が多く住む街があり、入る店があり、買う商品があります。
両者には大きな格差があります。たとえば毎回の夕食に3〜4万かける世帯もあれば、月の食費が3〜4万な世帯もあります。それぞれ、見えている世界が違うのではないでしょうか。
新約聖書のルカの福音書16章26節には、死後の世界の描写があります。
そこでは死んだ金持ちは火に焼かれて苦しんでいますが、死んだ貧乏人ラザロは、アブラハムに抱かれて安らかです。金持ちはその窮状をアブラハムに訴えますが、アブラハムは冷徹にもこう言い放ちます。
「そちらからこちらには渡れないし、こちらからそちらにも渡れない」
両者には「大きな溝」がある、というわけですね。
「アルマーニ版標準服」のニュースを見て、この「大きな溝」あるいは「断絶」あるいは「格差」みたいなものを、私は想起しました。
その格差が良いか悪いか、という話ではありません。良くても悪くても、日本はすでにそういう社会になっているんだ、という話です。
あーそれと、本当に金持ちが死後に火に焼かれて、貧乏人が良い思いをするかどうかは、わかりません。
賛否両論あるのは・・・ダメ?
絵本作家ののぶみさんが書いた歌詞が、炎上しているようです。
『あたしおかあさんだから』という歌ですが、「おかあさんだから(子供のために)これだけ我慢している」「これだけ努力している」みたいな内容です。
これを聞いて感動した人がいる一方で、「母親に自己犠牲を強いるな」と批判する人もいるようです。賛否両論なのですね。のぶみさん本人はこの批判を受けて、後日謝罪しています。
私個人はこの歌詞が好きでも嫌いでもありませんが、子育てのネガティブな一面を切り取ったのかな、という感想があります。
育児は確かに簡単なものではありませんが、状況は人によって様々でしょう。
中にはものすごく苦労なさっている方もいると思います。毎日が一杯一杯で、追い詰められたような心理状態の方もいるでしょう。昨今頻発している幼児虐待は、そういう育児の困難さと無関係でありません。
でも一方で育児を(大変なのは変わりないけれど)うまくこなしている、楽しんでいる、という方もいると思います。家族の支援を十分に受けられている方もいるでしょう。
必ずしもネガティブな面ばかりではない、ということですね。これが、今回の批判の背景にあるのかもしれません。
でもそもそもの話、のぶみさんの歌詞は一創作物ですから、気に入る人もいれば気に入らない人もいるのは、ごく自然なことではないでしょうか。「感動した」という感想もあれば、「母親に自己犠牲を強いるな」という感想もあっていいと思います。
だから批判を受けて謝罪したのが、私にはどうもよくわかりません。
もちろん作家は人気商売ですから、嫌われてしまったら仕事にならない、という事情があるのでしょう。その辺は辛いところですね。でも作ったものにケチがついていちいち謝っていたら、この先大変じゃないかなあとも思います。
あの村上春樹さんを見て下さい。ものすごく好かれるか、ものすごく嫌われるかのどちらかです(笑)。しかも本人は嫌われても「やれやれ」としか思わないみたいです。逞しいですね。作家はそれくらいでいいんじゃないかなあと私は思うのですが。
ところでのぶみさんは牧師家庭に育ったそうで、なかなか大変な子供時代を過ごされたそうです。その体験が、彼の作品の世界観に影響を与えているのかもしれません。
実はのぶみさんのような「牧師の子」は、珍しくありません。過酷な子供時代を過ごした「牧師の子」を、残念ながら何人も知っています。
「羊を養う」はずの牧師が、自分の子供を十分養えないというのは、なんとも本末転倒な気がするのですけどね・・・。
絵本作家のぶみさんの炎上した歌詞。「本当はこういうお母さんが欲しかったのかなぁ。」「こんなお母さんが憧れだったのかなぁ。」なんて勝手ながら思ってしまいました。
返信削除彼のSNSを少し拝見したのですが、とてももうすぐ四十路になるとは思えない幼い受け答えだなと言う印象。歌詞もそうですが、その受け答えで更に炎上している気がします。
(一部では彼の絵本の売り方、元暴走族だった事への疑問なんかもあります。)
しかしご両親が牧師、教会育ちと言う事は事実で、一般的にそこはあまり深くは捉えられてないみたいですが、きっとここを読んでる方なら少なからずわかってくれるかなぁ?なんて思います。
彼には彼の子供時代からの苦労があったんだろうなと。愛情が欲しかったのかなと。
彼自身は「無宗教」なのに、ご実家のホームページには「絵本作家のぶみの実家」と書かれているのを見た時は少し笑ってしまいましたが
やっぱり好きな人は作家さん目当てに教会へ行くんですよね。わかっててホームページに書いてるんだな。あざといって思ってしまいました。
だから何となく彼には同情してしまいます。
自分の知らない所で広告にされている事を。
のぶみさんが牧師家庭の出身だというのは、一般的には知られていないみたいですね。でも彼の絵本の世界観を理解するには、そこが重要な鍵になる気がしますね。母子の関係がフォーカスされる割に、「父親」が不在な点とか。
削除それにしても彼の親の教会が「のぶみの実家」とアピールしているのには、なんとも辟易としますね。そこまで利用したいのかという・・・。
アルマーニの制服ねえ、いや標準服ですねえ。あくまで標準服で制服ではないというわけです。制服でないので、着なくても良い、強制ではないというわけです。制服は着なければならない物で、標準服は着なくても良いものです。
返信削除これは建前ですが。小学校の標準服は、もともとは貧乏人と金持ちの区別をなくすために導入されたわけで、私服だと貧富の差が歴然となるわけですね。
一方で社会のエリート、金持ちとしてのシンボルとして、有名私立小学校で着る超高級制服が昔からあったわけで、泰明小は公立ですが、超有名校で、代々の日本全体、東京都の小学校校長会会長がここの校長でして、公立のエリート校ですね。
そういう意味では、これまで2万円の標準服だったことがおかしいわけですね。
牧師の子、教師の子、**師の子というのは、いろんな意味でつらいものがあるわけで、親の姿を見て、こんな仕事にだけは就きたくないと思う子もおおいですね。
なるほど、今までの2万円が「安すぎた」というのが正確なところかもしれませんね。
削除それにしても「標準服」という表現がいやらしい気がします。「強制ではないけれど、着用した方がよい」という。着ない自由もあるけれど、着ない子はあからさまな格差を感じてしまうという、なにかのトラップみたいな表現ではないかと・・・。