このところ著名人男性の過去の性暴力が次々と明るみになっています(あえて名前は出しません)。彼らに共通するのはその業界で実績があり、権威があり、一定の影響力があるというだけでなく、「周囲が何も言えない」構造になっていたということです。むしろ取り巻きの人たちは、その性暴力に直接的、あるいは間接的に協力(黙認含む)しなければ業界から排除されてしまう状況だったかもしれません。結果、直接手を下すのは加害者本人としても、みんなでそれを囲み、眺め、被害者を生贄として差し出してきたのです。宗教ではありませんが、どこかカルト教団めいたところがあります。
私が知るカルト牧師も、スタッフが集まるミーティングの中で、誰か1人を責めたり笑い者にしたりすることがよくありました。「君のこういうところが笑っちゃう」とか「あれは君の判断ミスだ」とか、性暴力よりはマシかもしれませんが、大勢いる中でターゲットを(おそらく意図的に)こき下ろしていました。マイルドな公開処刑です。みんなは「明日は我が身」なので何も言えません。むしろ牧師と一緒になって責めたり笑ったりしないと、今度は自分が目を付けられてしまいます。そしてたちの悪いことに、ターゲットにされた本人も、「自分が悪い」と思い込まされていたのです(そうでないと、教会や組織自体を否定しなければならなくなりますから)。
何かの集まりの中で、その人が普段どんなに謙遜でも低姿勢でも、「この人には異を唱えられない」「この人の機嫌は取っておかないといけない」と思わせられる人がいるなら、それは集まり全体にとって危険信号です。おかしいと思っても「異を唱えられない」のは、程度の差はあれ、その人に心理的に支配されているのです(そして心理的に支配されている人は、自分が「支配されている」とは気付けません)。
カルト化は宗教に限ったものでなく、このように人が集まるところならどこででも起こり得ます。カルト化はすぐ隣に、すぐ身近なところにあるのです。
1人の人間が集団全体を、それとは気付きにくい形で支配していくサインの1つは、「集団の本質や方向性がいつも分かっている自分」と、「すぐ本質や方向性を見失ってしまう全員」という構図に持っていくことです。私の教会で言えば、「常に正しい俺(牧師)」と「常に道に迷ってるお前ら(信徒)」という構図です。そうやって定期的にみんなを叱り、説教し、方向修正することで、「自分=導き手」「お前ら=何も分かっていない羊」と印象付けるわけです。そしてその関係性が固定化したら、もはやカルト組織と言うほかありません。
最近も似たようなケースを身近に見掛けました。たびたび機嫌を損ねる中心人物をみんなで囲み、その人物の機嫌を取らなければならない図です。その人物だけがグループの方向性を正しく認識しており、導かねばならない、という形になりつつあって危険でした。このように集団の健全性を損なうリスクは至るところにあります。
教会がカルト化する時、利用されるのは「信仰心」です。たとえば説教中に「アーメンだと思ったらアーメンだと言いなさい」と牧師が言う教会があります。信徒は「アーメンと言う=信仰深い」「アーメンと言わない=信仰が足りない」という暗黙的な選択肢を突き付けられ、かつ咄嗟に選ばなければならず、かつ「誰が言うか/誰が言わないか」が相互監視される状況に追い込まれます。結果、全員が「アーメン」と言う(言わされる)ことなります。これは神への信仰でなく、牧師による支配とコントロールです。しかし表向きは信仰の話として処理されます。
このようにどんな集団、どんな集まりもカルト化するリスクはありますが、特に信仰が重視される教会はカルト化しやすいと言えるでしょう。信仰者こそカルトに関する知識が必要です。