「神のため」なら法律を犯してもいい?

2022年9月20日火曜日

教会生活あれこれ

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  会堂を賃貸する余裕のない開拓中の教会が、公民館などの一室を借りて礼拝することがあります。しかし公民館などは基本的に「宗教団体は利用不可」「楽器は利用不可」なので、何かの「同好会」を名乗ったり、楽器を黙って持ち込んだりするそうです(その現場を実際に見たことがあります)。それを「教会が世を渡るための知恵だ」と正当化する教会がありますが、明確なルール違反ではないでしょうか。宗教団体であることを隠すのも(昨今は特に)褒められたことではありません。

 民間のレンタルスペースを探せば、宗教団体も可、楽器も可、のところがあります。公民館に比べて割高ですが、そういうところを利用した方が、罪悪感なく過ごせるのではないでしょうか(都市部と地方でレンタルスペースの充実度は違うかもしれませんが)。


 大学の学祭などで伝道(=学生を勧誘)したい教会が、そこの学生である信徒に「ボランティア団体」だと申請させて、実際には大音量で賛美して説教する、いわゆる「伝道集会」を開いてしまう話も聞きます。彼らは「この世で伝道するには知恵が必要だ」とか「賢く立ち回らなければならない」とか言いますが、そのやり方は非常に詐欺的です。少なくともボランティア団体だと聞いてやって来た人にとっては詐欺です。

 ボランティアといえば、東日本大震災の時も同じようなことがありました。キリスト教会であることを伏せて、NPO法人として被災地支援を行う教会があったのです。もちろんNPO法人格を取得していたので、それ自体は嘘でもなく、間違いでもありません。けれど活動を通して知り合った(一般の)人たちが、一緒に宿泊するくらい親しくなったところで、実はスタッフ全員が教会関係者だった、と知らされるわけです。気づいたら礼拝に参加させられていて、しかし関係性ができあがっていますから、断ることもできません。


 「実際にNPO法人なのだから、キリスト教会であることをあえて名乗る必要はない」という反論があるかもしれませんが、「キリスト教会かつNPO法人」である場合、主となるアイデンティティはどちらでしょうか。通常はキリスト教会のはずです。あくまでNPO法人だと言い張るなら、宗教活動とは完全に切り離さなくてはなりません。


 上記に挙げたようなグレイなやり方をする教会は、「入口が何であれ、福音を信じてクリスチャンになればOK」と結果だけ見て正当化しようとします。しかしその手法は構造的に、AV業界の悪どいスカウト方法と同じです。人を騙している自覚はあるでしょうか。


 こういう「罰せられないけれどルール違反」なことが平気でできてしまう教会は、いずれ「発覚すれば法律違反」なことも、「明らかな犯罪」も、「神のために」するようになります。2015年の「寺社油撒き事件」がその典型であり、氷山の一角です。

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