「神様がいるなら証拠を出せ」と言われたら

2020年7月4日土曜日

伝道

t f B! P L
 信者でない人に「神様がいるなら証拠を出せ」と言われて逆に「だったら神様がいない証拠を出せ」と返すのは、反証不可能性の点で不毛だし、証明責任の転嫁だし、宗教と科学のゴチャ混ぜだし、何よりケンカにしかならない態度なので、キリスト教徒の皆さんは厳に慎むべき。

 そもそも相手が「神様がいる証拠を出せ」という言葉を使っている時点で、そこには神様(あるいは超越的な存在)に対する何らかの怒りや不信があるはずで、伝道的な対話になるはずがない。そういう心情を読み取って、まずは相手との関係を大切にするべき。

「福音をシンプルにまっすぐ伝えれば、相手の心にシンプルにまっすぐ入っていくんですよ!」と豪語する百戦錬磨(?)の伝道者(?)がいるけれど、そういうやり方(相手の心情を無視するやり方)の結果が今のキリスト教界なのでは? と思う。あまりに一方的すぎる。少なくとも自分はそういうふうに話されたら聞く耳が持てない。

「神様がいるなら証拠を出せ」というのは、文字通り証拠を欲しがっているのでなくて、「神様がいるならなんで自分はこんなに苦しまなきゃならないんだ」みたいな怒りの吐露だったり、「正直あんたの話には興味が持てないんだよ」みたいな告白だったり、「しつこいからもう止めてくれ」みたいな訴えだったりする。そこに気づかないで、「だったら神様がいない証拠を出せ」と返すのは、冒頭の通り相手との関係をぶっ壊すことにしかならない。伝道どころの話ではない。 

 そもそもの話、「神様の存在の証拠」を科学的に出すのは、少なくとも現時点では不可能だ。それは今のところ「信じる/信じない」の話でしかない。科学でなく、宗教の話。相手はそれがわかった上で「神様がいるなら証拠を出せ」と言っている。繰り返すけれど、その心情を読み取る方が先だし、大切。

QooQ