教会でタコ焼きパーティがあったら行きますか

2020年9月8日火曜日

伝道

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「教会でタコ焼きパーティやるよ!」となったら、あまり娯楽のなかった時代は大人も子どもも山ほど集まった。祖父が残した白黒写真を見ると、教会に子どもがウジャウジャいたのが分かる。教会の「集客力」は侮れないものがあった。


 しかし今は様々な娯楽の選択肢が無数にあり、全て把握しきれないくらいに広がっている。タコ焼きパーティはもはやその中の小さな小さな一つでしかない。どれだけの人が、他のものを差し置いてそれに参加しようと思うだろうか。


 要は、教会に人を集めるハードルは今はとてつもなく高くなっている、ということ。


 日本で暮らしてると、教会との接点はほぼない。何かあっても「教会へ行こう」という発想にまずならない。伝道が進まない理由は「霊的閉塞感」とか「悪魔の妨害」とかでなく、そういう現実だと思う。そこを論理的に冷静に受け止めることから始めないと、先に進めないのではないだろうか。


 かと言って、教会は目新しい娯楽を提供すべきだ、という話ではない(そもそも娯楽で勝負しても勝算は低いと思う)。ここは教会本来の機能を提供し続けることがやはり大切ではないだろうか。そして教会本来の機能とは、礼拝とそれに付随する行為と、社会貢献に他ならない。


 冒頭に挙げたタコ焼きパーティは、戦後の復興期においては「娯楽」であると同時に炊き出しという「社会貢献」だった。だからこそ人が山ほど集まったのだと思う。

 今の教会が生き残るとしたら、今の時代が必要とする社会貢献は何なのか、考えるのが第一歩な気がする。そこに娯楽の要素が付加されればなお良い。


 わたしはよく「批判するだけ」とか「文句言ってるだけ」とかと言われるので、ここで一つ提案してみたい。一般の人々のスピリチュアルな面に目を向けたらどうだろうか。

 今はコロナ禍による不景気、貧困、世界規模のポピュリズムの台頭など、様々な理由で人の心が貧しくなっていると思う。余裕がなく、希望を見出しにくい状況ではないか。


 日本は占いなどのスピリチュアル分野が年間何兆円規模の産業となっている。今後、この流れは加速すると思う。スピリチュアル分野と言えばキリスト教の得意分野だ。そこに教会は活路を見出せないだろうか。立派な社会貢献になると思うのだが。


 厳しい言い方だけれど、具体的に社会に必要とされる教会でないと、今後生き残れないのではないかな、とわたしは思う。

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