「人を助けたい」と願うのは素晴らしい心掛けだけれど、実際に他人に対してできることは少ない。基本的に「何もできない」「話を聞くくらいしかできない」くらいに思っておいた方がいい。
そうでなく「自分がこの人を助けるんだ」「成長させるんだ」みたいに意気込んで関わって、相手にも期待させておいて、それで思うように行かないと「応えてくれない相手が悪い」などと自分を正当化して、さっさと離れていく人がいる。そういうのは「人助けする自分」が好きなだけだと思う。相手のことを考えているようでいて、まったく考えていない。
人間関係はいきなりくっつくものでなく、様子を見ながら徐々に距離を詰めていくもの(あるいは詰めないもの)。それが(一部の)教会だと、いきなり親しくならなきゃいけないプレッシャーみたいなものがあって(そう教えられている)、新来者を怖がわせたり傷つけたりしてしまう原因にもなっていると思う。
もちろん、中には初めからいろいろ世話を焼いてもらって安心する人もいると思う。けれどそうでない人も確実にいる。そのあたりの相手の反応をよく見極めないといけないし、自分に何ができるのか、どこまでできるのか、どこまですべきなのかをよく考えないと、とんでもなく失礼なことをしてしまう。
教会に長くいると、「クリスチャンとして親切にすべき」「お世話すべき」「教えてあげるべき」みたいな強迫観念が強くなっていくと思う。結果、相手がどうかより、自分がどんな行動をするかの方が重要となる、という逆転現象が起きかねない。目の前にいる相手の気持ちが分からなくなってしまうのだ。それでは本末転倒ではないだろうか。