伝道が難しい……と嘆く前に

2020年8月13日木曜日

伝道

t f B! P L

 音楽はイントロが短く、すぐサビに入る。映画は冒頭から、物語が激しく動く。

 それが最近の傾向らしい。


 YouTube等の動画サイトの流行、そしてスマホの普及以来、「すぐ楽しめる」ことがほとんど必須となった。初めの数秒で楽しめないと離脱してしまう。5分10分が待てない。TikTokの15秒から60秒で完結する世界は、その最たるものだろう。


 それくらい短時間で、インスタントに楽しめるものでないと、見てもらえない。それがネット時代の標準となっている。(かと言って、長編小説等のコンテキストを楽しむものが完全に廃れたわけではないとは思う)。


 そういう傾向を嘆くのでなく、現実として受け止めるしかない。

 今後は音楽ならサビの最中から、映画なら事件の最中から始まるようになるだろう(←冗談)。


 ところで、いろいろな教会の礼拝説教がオンラインで見られるようになって久しい。コロナ禍の思わぬ副産物だ。けれど、世間話が長かったり、教会内の(よそ者に関係ない)話が長かったりすると、早々に離脱したくなる。内輪の人間には良いのかもしれないけれど。


 もちろんそれが教会の方針だと言うのであれば、全然構わない。けれどもし新来者をターゲットにしたいのであれば(つまり伝道要素を加えたいのであれば)、当然ながら考えるべき点ではある。


 ただ、語り口を工夫して「聞きやすさ」や「面白さ」や「インスタントさ」を追求しても、そもそも「ターゲットは聖書の話に関心があるのか?」という、個人の力ではどうにもならない壁がある。

 ぶっちゃけ、関心がある人は下手な話でも聞くし、関心がない人は面白い話でも聞かない。今は冒頭に書いたような「短時間即効性」も求められる。


 伝道目的でYouTubeを頑張っているクリスチャンの方々には頭が下がるけれど、そのあたりはどう考えているのだろう。そして伝道に大々的に成功したYouTuberというのは、いるのだろうか(わたしは知らない)。


 短時間即効性が求められる昨今、ネットを使った伝道は、ますます成果を上げづらくなったと思う。とにかく選択肢が多すぎる。ネットの世界に広がる無数のチョイスの中から、キリスト教が選んでもらえる可能性や理由は、どれくらいあるだろう。


 ただそもそもの話、「伝道」は営業やセールストークではない。そういうのを連想して苦手意識を持っているクリスチャンが少なくない気がするけれど、聖書を押し売りしても仕方がない。


 伝道は「何とかして聞かせよう」とか、「どうにかして信じてもらおう」とか、そうやって相手の心にねじ込む種類ものでもない。しかし意識的にか無意識的にか、そう考えられ続けているように思う。

 ネット時代らしく「短時間即効性」を福音に加味しよう! とあれこれ考えるより、まず「伝道とは何なのか」という根本のところを考え直すべきでは? と僭越ながら思う。

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