2015年12月29日火曜日

カルトっぽい教会を離れた後の話・6

 私の教会が解散を決定するには諸事情あった。
 前にも書いた通り、その事情はひどく入り組んでいて、1人の人間の視点からその全体を捉えることはできないと私は思っている。だからその事情を私が書こうとしても、それは私の視点の話であって、他の当事者からしたら「そうではない」という話になるかもしれない。そして他の誰かがその事情を説明しようとしても、今度は私が「そうではない」と言うことになるかもしれない。

 ただ解散に至ったプロセスの中には、たぶん信徒の9割以上が同意するような明確な事柄もいくつかあった。信徒なら誰でも知っているような、翻しようのない事実である。

 その一つは牧師の独裁と、それを支える為の牧師の多くの嘘である。牧師は「神の言葉」を借りて信徒に様々な強制・命令を繰り返してきた。そして命令通りにできない者には暴言を浴びせ、暴力をふるい、従わない者は追放し、力のない者は無視した。親切にすることで牧師自身が注目を浴びるような相手(たとえば気の毒な境遇の病人とか障害者とか)は丁寧に世話をして、内外の賞賛を獲得した。また架空の「霊の戦い」を捏造し、架空の戦いと架空の勝利をでっち上げ、中心的なメンバーを同労者という名の共犯者に仕立て上げた。また会計上の不正もあった。返済の目処の立たない借金を「神からの使命」として信徒らに押し付けた。他にもイロイロあって挙げたらキリがない。
 要は神の名を借りた牧師のやりたい放題な教会であった。

 であるなら、それは牧師一人の問題なのではないか、牧師が替わればいいのではないか、という意見はもっともに聞こえるかもしれない。牧師一人を替えれば済む話で、なにも解散させなくても良かったのではないか、と。
 しかしその教会は、もはやその牧師(とそのやり方)なしには成り立たなくなっていた。中心的な信徒は皆そのやり方に洗脳されていた。だから仮に牧師を追放し(そんなことはそもそも不可能だったけれど)、その中の誰かが代わりにリーダーになったとしても、それは頭を取り換えただけのヘビみたいなものだったと思う。毒があることに変わりはない。

 もう一つの事実は、他教会の牧師から聞いたものだった。

 教会の今後について考えていたとき、私たちは他教会の何人かの牧師に相談しに行った。当時はまだ、解散は明確に決まっていなかった。なんとそのうちのある牧師が、私の教会のルーツを詳しく知っていた。そして丁寧に説明してくれた。まるで映画みたいなドラマチックな展開だったのを覚えている。

 30年ほど前、ある地域でペンテコステの教会群が栄えた。教勢は伸び、若い信徒がどんどん増えていった。いくつもの枝教会が建ち、次第に他地域へと拡大していった。しかしそんな中、トップの牧師の不正が発覚した。よくある女性問題と金銭問題である。 そして芋づる式に発覚したのが、若い信徒たちを酷使し暴力で支配する実態だった。彼らは牧師の暴言や暴力を、「信仰の訓練」と信じて疑わなかったという。だから牧師の不正が発覚し、いろいろな嘘が明るみになったことで、自分たちが虐待され利用されていたことに気付いた。そして多くの若者たちが教会を離れていった。傷つき、あるいは怒り、あるいは絶望し、あるいは神から離れて。
 そしてその混乱の前に枝教会として派生したのが、私の教会であった。

 そして話は現代になるのだけれど、私の教会もそれとまったく同じ問題を起こしたのだった。わかりやすく言うと「歴史は繰り返す」である。

 そのことを話してくれた牧師はこういう表現も使った。
「らい病の家」
 レビ記14章の後半に書かれている話だ(新改訳聖書ではらい病はツァラアトと表現されているけれど、 そこは本筋から離れるので特に言及しない)。

 すなわち家にらい病の患部が現れたなら、しかるべき処置をしなければならない。しかしそれでも再度患部が現れるなら、それは「家につく悪性のらい病」であって、家も土も全部壊して処分しなければならない、というような話。
 つまり、かつてあった教会がらい病を発症し、現代の枝教会も、らい病を発症した。だからその教会群は「らい病の家」であって、完全に取り壊さねばならない、というような話なのであった。

 そのらい病の話の是非はともかくとして、「同じ歴史を繰り返した」という点が私には衝撃だった。まあ教会の仕組みとか、リーダ―シップの在り方とかが同じなのだから、当然といえば当然かもしれない。リーダーが替わっても同じような問題が起こるのは必然だったのかもしれない。
 であるなら、この教会は果たして存続していいのだろうか? 辞めるべきではないだろうか? 私たちの中にそういう考えが浮かんだのも当然だっただろう。

 これはあくまで、その牧師から聞いた昔話である。解散の決め手になった訳ではない。しかし解散に向かわせる一つの要因だったのは間違いない。

 以上の通り、私の教会が悲劇的な歴史を繰り返してしまったのは事実である。そのことはクリスチャンの皆さんにはよく知っておいていただきたいと思う。私たちは歴史を大切にし、そこから学ぶべきだ。以前起こった問題は、その後ちゃんと改善されなければ、また起こる。そういう話だ。

 もちろん、これをどこかの教会で偶然起こったアクシデントと捉えるか、繰り返される歴史の中で起こった必然と捉えるかは、皆さん次第である。

2015年12月27日日曜日

カルトっぽい教会を離れた後の話・5

 信仰に「選択の幅」があることに気付いた私は、そのあとすぐ、その現実を目の当たりにすることになった。

 教会の解散の前後、教会が行っていた諸活動は順次閉じていった。詳しくは書かないが飲食業とか各種教室とか、福祉事業とか幾つかあった。担当者がそれぞれ終了の手続きをした。そして教会は最後の日曜礼拝を迎え、そのあとに最後の教会総会があって、正式に解散が宣言された。全てのことが淡々と進められていった――私にはそう見えた。

 しかし一つだけ、閉じられない活動があった。いわゆる教育活動である。顧客数が多くて簡単には閉じられなかった、と言うべきか。教会が解散してもその活動だけは残そう、継続しよう、という意見もあった。教会が悪くてもその活動自体は悪くない、という意見もあった。
 という訳でその教育活動だけは解散後もしばらく続いた。

 けれど、その教育活動を運営する教会そのものが消滅するのである。誰か、あるいは何かがその運営を引き継がねばならない。そこで立ち上がったのが、周辺教会のクリスチャンたちだった。以前からその活動に関わりがあった他教会の信徒たちが何人か集まり、とりあえず共同でその教育活動を運営していこう、という話になった。彼らは皆情熱に燃え、その活動をもう一度盛り上げていこう、発展させていこうと意気込んでいた。

 当然ながら彼らはそれぞれ違う教団教派に属していて、いわゆる超教派的に集まっていた。そのせいかどうか正確にはわからないけれど、彼らは考え方もやり方も違っていた。彼らに共通していたのは、その教育活動をなんとか立て直そうという志だけだったと思う。

 だから最初は和気あいあいだったミーティングも、次第に衝突が目立つようになった。リーダーシップをどうするか、教育方針をどうするか、場所をどうするか、教材をどうするかとか、まあいろいろなカテゴリーで衝突を繰り返した。それぞれ、自分の主張が正しいと信じていたからだ。崩壊しかかったその教育活動を再建しようという思いが強い分、皆引くに引けなかったんだと思う。

 そのように運営サイドが混乱したまま、その教育活動は進んだ。教える側の言うことは統一されておらず、結果として現場も混乱した。そしてその混乱は運営サイドにそのまま返ってきて、話し合いは一層難しくなった。

 プロセスはいろいろあったが結論だけ書くと、運営サイドはバラバラになった。1人抜け2人抜け、 最初にあった意気込みはどこへやら。結局その教育活動も閉じることになった。

 もちろん彼らが衝突した原因は、彼らの出身教派の違いだけにあるのではない。1人1人のキャラとか生い立ちとか価値観とか、その活動に対する考え方とか理想とか、そういったものの違いにも原因があったと思う。けれど一般社会もそれは同じである。それぞれ価値観の違う者どうしが話し合い、時に衝突し、時に妥協しながら、何かを決めていく。その衝突のせいでその活動が終わるなんてことは基本的にない。だから意見が違うのもやり方が違うのも、根本的には問題ではない。

 私が思うに彼らの失敗の原因は、自分の考え方・やり方こそ一番正しいと信じて妥協できなかったことにある。自分以外の人間の意見をちゃんと聞くことができなかったのだ。そしてそういう強硬な態度の背景には、多くのクリスチャンに共通するある傾向があると私は思っている。すなわち自分の聖書解釈こそ一番正しい、自分のイメージする神様像こそ一番正しい、自分の信仰こそ一番正しい、という排他的な傾向だ。

 私が言う「信仰の選択の幅」とこの「排他性」は、それぞれ相反している。すなわち前者は「Aでも良い、Bでも良い、Cも認められる、でもDについてはよく考える必要がある」みたいなことだけれど、 後者は「何が何でもAでなければならない」というものだからだ。
 私が思うに前者は新約聖書的で、後者は旧約聖書的だ。
 今が旧約時代であるなら、私たちは犯した罪のために(場合によっては)石打ちにされなければならない。それは絶対に回避できない唯一の選択肢となる。けれど新約時代であるなら、「石を投げなさい。しかし・・・」と続く。私たちには石打ちを避けるという選択肢も用意されている。

 私は新約時代を生きたいのだけれど、どうやら旧約時代に戻りたい人たちも少なくないようだ。ということに気付いた出来事であった。

2015年12月23日水曜日

カルトっぽい教会を離れた後の話・4

 さて、「信仰には選択肢がある」というシンプルな事実に私は気付いた。

 つまり信仰にはある程度の「選択の幅」があって、自由に選べる余地がある、ということ。
 たとえば聖霊派が諸教派の中で一番正しい訳ではないし、ある教会が他の教会に比べて特別重要な訳でもない。ある聖書の箇所が特別重要ということもない(それは個人の心情としてはあるかもしれないけれど)。神の御心が今は○○だから、絶対それに従わねばならない、従わないのは不信仰だ、なんてこともない。唯一絶対の正しい選択肢があって、それ以外の選択肢は全部不信仰だ、というのはカルト系牧師の信徒を操る方便でしかない。

 あまり聖書の引用はしたくないけれど、「あなたの信じた通りになるように」という言葉が、この「選択の幅」の説明には適しているかもしれない。
 たとえば、いわゆる「洗礼」で言えば、「浸礼」でなければならないと信じる人もいるし、「滴礼」で十分だと信じる人もいる。幼児洗礼は大人になったら無効だと考える人もいる。それぞれ信じていることが違うのだ。けれど、もし「浸礼」だけが唯一正しい洗礼の形であって他ではダメだとなるなら、「滴礼」を採用している教会は教会として失格ということになってしまう。あるいは「浸礼」をする際、たまたま後頭部だけちゃんと水に浸からなかったというハプニングがあったとして、そのことを天国に行ってから神様にあれこれ言われてしまうのだろうか。新約時代である今日、神様がそういう形式上の細かいところを厳密に見ておられるとも思えないけれど。

 と言いつつ、ここで神学的な議論をする気はないので、話を戻す。

 という訳で教会の解散後、私はすぐ、この「選択の幅」あるいは「選択の自由」という空間に投げ出された。
 その自由を使ってイロイロな教会に足を運んでみたのだけれど、正直、その頃はまだ礼拝が苦痛だった。全てが偽善にしか見えなかったからだ。
 もちろん、それは私個人の内面的な問題のゆえであって、行った教会がどこも偽善的な礼拝をしていたという訳ではない(はずだ)。ただ私には熱心な祈りとか賛美とか、講壇で真剣に語る牧師とか、信徒の優しさとか、そんなすべてが嘘っぽく見えてしまったのだ。それは20年近く嘘っぽい(そして実際嘘が多かった)教会にいて、最後にその嘘に気付いてしまったからかもしれない。

 だから自由であるのは間違いないのだけれど、かと言って何も選べない、決められない、という状態が長く続くことになった。一つの教会にしばらく通い、また他に教会にしばらく通い、みたいなことが続いた。 実は今もまだその途中である。何を選ぶべきか? という新たな問いに、私はまだ答えを出せていない。

 その原因の1つは、前述の通り、どれもが偽善っぽく見えてしまうことにあると思う。
 しかし原因はもう1つあって、たぶん、「どれが最も正しいんだろう」みたいなことを私はまだ考えているのだと思う。それはカルト的な思考である。すなわち絶対的に正しいただ1つの選択肢と、それ以外の全ての間違った選択肢、という二元論的な思考パターンだ。たぶん私にはまだそのパターンが残っている。だから意識的にか無意識的にか、どれが一番正しいんだろうと考えてしまって、選べないのだと思う。

 今日クリスチャンをやろうと思ったら、あまりキリスト教の発展していないこの日本であっても、イロイロな選択肢がある。たとえば教団教派。大きく分けるとカトリックかプロテスタントか。そしてプロテスタントなら聖公会とかルーテルとかバプテストとかホーリネスとか、(私が一番問題視している)聖霊派諸派とか、他にもあるけれど、どれが絶対的に正しいとか間違っているとか、万人が認める基準などない。また同じ教派の教会も沢山あるけれど、どこが一番優れているとか重要だとかいうこともない。選ぶのは自分自身であって、他の誰でもない。

 先に書いたように、どれが一番正しいか、という話ではないのだ。問題は自分が何を信じるか、何を選ぶか、にある。でないと大変なことになってしまう。なぜなら信仰者なら誰もが、自分が信じているものこそ一番正しいと信じているからだ。ためしにマリア崇拝について、カトリックの熱心な信徒とプロテスタントの熱心な信徒とで話し合わせてみたらいい。絶対に決着がつかないことを私は保障する。あるいは仏教徒とキリスト教徒とか、イスラム教徒と他の宗教の信者とかでもいい。みな自分の信仰こそ絶対正しいと信じている。そしてそれはどんなに頭のいい人が理路整然と説明しても、ほぼ確実に、訂正することができない。

 今回の話には結論がない。それはまだ私自身が自分の信仰について結論を出していないからだ。
 けれど私がどうするかはここでは重要ではない。この記事において最も重要なのは、次の一点にある。すなわち信仰者なら誰もが「自分の信仰こそ絶対正しい」と信じている、ということだ。

 考えてみればこれは当たり前な話なのだけれど、教会解散後の「自由」の中、私はその事実にぶつかって大いに衝撃を受けたのだった。

2015年12月19日土曜日

【解説】カルトっぽい教会を離れた後の話1~3

 今月からシリーズで開始した「カルトっぽい教会を離れた後の話」だけれど、補足したいことがあるので今日は【解説】として書きたい。
 ちなみに本編はこちら。

カルトっぽい教会を離れた後の話・1
カルトっぽい教会を離れた後の話・2
カルトっぽい教会を離れた後の話・3

■なぜ書き始めたか

 私は2013年3月からこのブログを本格的に始動して、福音派・聖霊派を中心とする教会、牧師、クリスチャンらの問題点について書いてきた。それは私が信仰的に立派だからとか、「霊的」だからとか、何かを成し遂げたからとかではない。むしろ私は信仰的でなく、敬虔でもなく、「霊的」でもない。だから自分のことを棚に上げて書き続けてきたとも言える。けれど、だからと言って私に書く権利や資格がないとは思わない。私は少なからずカルト傾向にある教会の実情を知っているし、それがいかに問題で、破壊的で、偽善に満ちた、有害な代物かを知っている。それらが放置されたらどんなことになるか身を持って体験してきた。だからこそ書けることを書いている。そして警告を発しているつもりだ。人が聞くか聞かないかは別として。

 それでイロイロなトピックに分けて、たとえばリバイバルとか「異言」とか、癒しとか「霊の戦い」とかいう事柄について書いてきた。自分なりに分析したり、何人かの話を聞いたり、調べたり、考えたりしながら。またどんな切り口、語り口、方法で書いたらいいか模索しながら。

 そんなこんなで2年以上が過ぎたけれど、 最近、こう思い始めた。自分自身の体験をもう少し直接的に書いたら、誰かの参考になるのではないか、と。今までは先に挙げたようなトピック毎の問題点を書いていたけれど(そしてそれは今後も続くだろう)、今度は「私自身が何を体験したか」「そのとき何をどう感じたか」「そしてその後どうしたか」といったことを書こうと思ったのである。それはたぶん、トピック毎に語るより、もう少し個人的で親近感を持ちやすいものになるのではないかと今は期待している。

■ではどこまで書くか

 個人的な体験を書くと言ったばかりで前言撤回するようだけれど、私が体験した詳細な出来事を書くつもりはない。
 その理由は、1つにはまだ出来事として新しく、公表することで関係者の誰かに迷惑をかけてしまう恐れがある為だ。それは何としても避けたい。
 もう1つの理由は、それが大変複雑な、込み入った話であって、いくら詳細に説明しようとしても、たぶんできないからだ。たとえば「教会の解散」1つ取っても、そこには多くの人のイロイロな気持ちがあり、気が遠くなるくらい長時間に及んだ話し合いや、思い出したくもない衝突や葛藤があり、教会の短くない歴史の中で培われてきた文化やら習慣やらもそこに加わって、もはやそのプロセス(解散に至るプロセス)の全体は、誰にも把握できない、理解できないものになっていると思う。だから私一人の個人的見解でそれを誠意をもって説明しようとしても、それはある立場の当事者にとっては事実と違うように感じられるかもしれない。もちろん同意してくれる当事者もいるだろう。でも全体を正確に説明することはとてもできないと思う。

 同じ教会の身内でさえそうなのだから、第三者に向かって説明して理解が得られるとは思えない。
 すでに、「なぜ解散しなければならなかったのか」「牧師がいなくても教会は続けられたのではないか」という趣旨のコメントをいただいている。たぶんそういうふうに感じるのは自然なことであろう。
 けれど、そういう可能性について私たちが何も考えなかった、とでも思うのだろうか。私たちの教会なのだ。沢山の間違いがあったとはいえ、解散させて嬉しいはずがない。解散させたかったはずがないではないか。
 そういう想像力を働かせるなら、「解散させないのが本当の教会なのでは」みたいな発言はできないと私は思うのだけれど。
 
 という訳で、個人的体験の詳細を説明することは完全に無益だと私は考えている。

 では何を書くかという話に戻ると、私は「カルトっぽい教会を離れた体験」を一般化した形で書きたい。 つまり私の教会に「だけ」起こった話でなく、どの教会にも起こりうる話として。あるいは私個人に「だけ」起こった話でなく、誰にでも起こりうる話として。私や私の教会に起こった出来事の詳細を書くと、たぶん私や私の教会にだけスポットが当たることになる。けれどどの教会、どのクリスチャンにも起こるかもしれない話として書くなら、警告としてより効果的になるのではないか。

 私はそんなことを期待して、このシリーズを書き始めた。

 以上、とりあえず解説として書いてみた。

2015年12月16日水曜日

カルトっぽい教会を離れた後の話・3

 カルトな教会が解散して、信仰上のいろいろな間違いに気づいて後、私はあることに気付いた。「信仰には選択肢がある」というごく単純な事実にだ。そんなの当たり前な話なのだけれど、当時の私には衝撃的は気付きだった。選択肢は一つ、すなわち「神の御心」しかない、と単純に信じていたからだ。

 たとえばカルトな教会では、牧師がこんなふうに言う。
「○○こそが神の御心です」
 まず、その言葉の信憑性は決して疑われない。牧師の言葉は全て真実である、というのが暗黙的前提となっているからだ。疑問を差し挟む余地はない。もし空気を読めない人が能天気に「それ本当ですか」みたいなことを言ってしまうと大変なことになる(どう大変かは趣旨が異なるのでここでは書かない)。だから「牧師の言葉=神の言葉」という図式が既に出来上がっている。

 そういう前提で「○○は神の御心です」と言われるものだから、もうこの○○は絶対なのである。○○こそが間違えようのない神の御心であり、△△でも××でもない。だから教会は一丸となって○○に突き進むことになる。ちょっとでもブレて△△の方に傾くなんてあってはならない。

 具体的な話をすると、たとえばこういうカルト教祖っぽい牧師がすぐ持ち出す話の一つに「新会堂」がある。
 ちょっと教会が活発になるとすぐ、
「新しい会堂を主の為に建てよう」
「主の宮をこの地に建てあげるのが我々の使命だ」
とかいう話になって、いつの間にか教会全体の悲願みたいになっている。予算をどうするとか、維持していけるのかとか、そもそも本当に必要なのかとか、そういう根本的かつ現実的な話し合いは一切ない。

 べつにみんながそれを願うなら新しい建物を建てたらいいし、豪勢な舞台でも高級な音響でも揃えたらいいと思う。それはそれで教会の自由であって、止める理由はない。でも問題は「それこそが御心だ」とされてしまう状況にある。つまりこの場合で言うと、新会堂を建てることが唯一絶対の御心になってしまって、決して逆らってはいけない、何がなんでも新会堂を建てあげる以外にない、という逆走禁止の一方通行になってしまう点にある。

  その結果、教会全体が新会堂のことばかりになってしまって、礼拝説教も祈祷会もその話ばかりになり、やれ準備委員会やら特別献金やらと、信徒もいろいろ駆り立てられていく。CSの子供が大人の真似をして「新会堂のためにお小遣いを献金します」とか言うと、感動の美談として長く語り継がれてしまう。それを聞いた大人がもらい泣きして、更に献金するようになるからだ。
 というのは私の教会で実際にあった話。

 けれど私の教会は解散になって、みんなの血と汗と涙の結晶であった新会堂もあっさりと他人の手に渡ってしまった。今はもう見る影もない。
 他にもいろいろな話があるけれど、そんなこんなで私は前述の「信仰には選択肢がある」に気付いた訳である。

  新会堂で言えば、それが唯一絶対で変更不能な神の御心だったはずがない。最初から。だいいち今考えてみると、キャパを越えた予算をかけてまで新会堂を建てなければならない明確な理由など一つもなかった。人で溢れていた訳でもないし、会堂が古すぎた訳でもない。どうしてもスペースが必要だったら近所のテナントなど賃貸すれば済んだはずだし、他にもやり方はいろいろあったはずだ。しかし私たちに与えられたのはただ一つの道、ただ一つの選択肢だけだったのだ(それはもはや選択とは言わない)。それが神様からのものと、どうして言えるだろうか。

 結局のところ、そこにも牧師のいろいろな嘘があった訳だ。そして私たちは「信仰には一つの選択肢しかない」と思わせられていた。
 唯一絶対に正しいことと、それ以外の間違っている全て。
 そんな図式であった。

 御心が一つしかない、というケースももちろんある。たとえば殺してはならない、盗んではならない、みたいなケースだ。そこには条件が揃えば殺していいとか盗んでいいとか、そういう選択の幅はない。
 けれど私たちが生きる現実の信仰生活においては、そういう白黒ハッキリしたケースの方がはるかに少ない。たとえば今日伝道するにしても、場所や日時や相手が神によって厳密に指定されるなんてことはない。しゃべる言葉や順序、相手がこう言ったらこう返せ、みたいな厳密なルールがあってそれを破れない、なんて不自由なこともない。他にも、私たちは教会を自由に選ぶこともできる。日曜の礼拝が複数回あるなら、好きな回に出席できる。この奉仕を絶対にしなければならない、なんてこともない。
 私たちには多くの自由が与えられていて、自分の信仰や聖書理解や良心に従って、何でも自由に選ぶことができるのだ。

 もしそういう自由がないなら、すなわち御心が一つしかなく、聖書解釈も一つしかなく、信仰の在り方も一つしかないなら、様々な教団教派や教会が現に存在していることの説明がつかない。

 という訳で教会の解散後、私は上記のような意味で自由であることに気付いた。それはそれで喜ばしいことだった。全ての強制や命令や束縛から解放されたのだから、ハッピーエンドと言ってもいいだろう。それは間違いない。

 けれど私が次に直面した問題は、じゃあどうすればいいんだろう? 何を選べばいいだろう? という問いだった。

2015年12月14日月曜日

カルトっぽい教会を離れた後の話・2

 教会が解散する事態になって、それまで目まぐるしく行われていた活動が一斉に止まった。
「神様のためにどうしても必要」だったはずの福祉施設の立ち上げとか、「神様が終わりの時代に求めておられる」はずのダビデの幕屋の礼拝とか、「御心に従って」始めたはずの飲食店経営とか、その他の大小様々な「神に語られて始めた」はずの諸活動が、まるで初めから存在しなかったみたいに突然終了していった。牧師自身も行方をくらました。

 スタッフは皆過労で限界な状態だった。活動が多すぎたのだ。「神様に用いられている」スタッフほど多くの仕事を抱えていて、家に帰れないし眠れない状態だった。やっと少し休めると思ったら突然呼び出されたり、いきなり牧師に叱責されたりで、文字通り一時も心の休まることがなかったと思う。今思うとそんなんで本当に教会かって話なのだけれど、当時はそれこそ信仰、それこそ献身、殉教に至るまで従いますってノリで皆がんばっていた。

 だからいろんな活動が突然終わって、ショックなのは間違いないけれど、皆どこかで安堵した部分もあったと思う。やっと解放されたというか、もうあんな思いしなくていいんだというか、そんな安心感。
 私個人は実は安心感の方が大きかったのだけれど、同時に疑問があった。あれは本当に神様のためだったのだろうか、という疑問だ。

 牧師があれだけ「神様のためだから」「主が今強く求めておられるから」「大変だと思うけれどこれが御心だから」と言っていた多くの活動は、本当は何だったんだろうか。ほとんど全ての活動が解散前には終わっていたのだけれど、じゃあ「神様の御心」はどうなってしまったのだろうか。これで神様の計画が狂ってしまって、人類にとって大きな打撃とか、サタンの国の拡大とか、そういう話になってしまうのだろうか。

 当時はそんなことをしばらく真剣に考えていたけれど、 単なる考えすぎ、あるいは自意識(自教会意識)過剰なだけだと気付いた。なぜなら正会員数が50にも満たない、全然知られていない一地域教会が、全人類あるいは全日本人の運命を一手に握っているはずがないではないか。

 たとえばスティーブ・ジョブスはスマホを開発をしたことで、1人で世界を変えたと言ってもいいかもしれない。同様にアインシュタインは相対性理論で世界を変えたかもしれない。だから「世界を変えるのに数は問題ではない」のだろうけれど、それは何かを成し遂げてから言えって話だ。まだ何もしていない、その可能性も感じられない一地域教会が、「この教会から日本を変えていく」とか言うのは、威勢がいいとか意識が高くていいとかいう話かもしれないけれど、その段階では単なる大言壮語でしかない。いったい何様なのだろうか。

 また仮に、1万歩か1億歩か譲って、その牧師の「神様の御心だから」 が本当だったとする。そしてうちの教会が日本の命運を握っているとする。するとうちの教会はその崇高なる使命を果たせなくなったことになるけれど、それがどうしても遂行されねばならない神の御心であるなら、区内にも都内にも教会は沢山あるのだから、どこか他の教会にお鉢が回るだけの話だ。さいわい、日本には「この教会から日本を変える」という意識高い系の福音派・聖霊派の教会が沢山あるのだから大丈夫だ。心配することは何もない。

 そういうことに気づき始めると、私は急速に馬鹿らしくなった。「この教会がやらねば日本は救われない」「日本は今すごい危機に瀕している」「私たちが立ち上がらないで誰が立ち上がるのだ」と牧師に言われて涙したり必死になって祈ったり働いたりしたことが、どれも道化の猿芝居にしか見えなくなった。

 要するに教会には、牧師の沢山の嘘があったのだ。嘘で塗り固められた砂の王国に私たちは住んでいたのだ。そしてそこで私たちは変な選民意識とか過剰な特別意識とかを肥大させて、痛々しいクリスチャンに成り果てていたのである。

その牧師の嘘の数々をここでいちいち取りあげることはしないけれど、たとえば「ある日突然教会を離れていった人々」が、うちの教会には多かった。そういう人たちの幾人かと、教会解散後に私は再会した。そして彼らから驚くべき話を聞かされた。どの人も口を揃えて言うのは、「牧師に教会を追い出された」「ほかの信徒には絶対連絡するなと念を押された」みたいな話だった。私たちは、彼らのほうが一方的に出て行った、止めたけれど聞き入れてもらえなかった、と牧師から聞かされていたのだ。そしてその度に、牧師が涙を流すのを見ていたのだ。

 どこまでが演技でどこまでが真実だったのか、もはやわからない。でも演技が多分に含まれていたのは間違いない。牧師は礼拝の度に、講壇から数々の嘘を発していた。私たちはそれに振り回され、奉仕に駆り立てられ、ありもしない戦いを戦わされ、全てが空になるまで捧げさせられていた。そこがカルトかどうかはこの際どうでもいい。しかしちゃんとした教会だったと認めることは私にはできない。

2015年12月12日土曜日

カルトっぽい教会を離れた後の話

 カルトあるいはカルトっぽい教会から脱会できたとして、それでハイ終わりとできないのが実際のところである。
 映画やドラマであればエンドクレジッドが流れてきてそこで終わりだけれど、人生はそこで終わらない。

 ただ脱会できたことが良かったか悪かったかと言うと、良かったんだと思う。脱会するのは信仰を捨てることでなく、信仰と思っていたイロイロな間違いに気づいた結果だからだ。間違いを正そうとした結果の一つなのである。

 であるならそれはハッピーエンドの括りに入るはずだけれど、いかんせん、なかなかそうもいかない。
 これは私の経験である。

  私の場合、脱会でなく教会そのものが解散となった。経緯はここでは書かない。ある日教会の活動が終わりになって、それっきりだ。もう存在していない。解散に至るまで目の前でいろいろなことが起きて、自分もそれに関わっていたけれど、それらがいったい何を意味するか、何の説明もなかった。いろいろな事情や都合に追われるようにして毎日が過ぎていった。映画ならナレーションや解説が入るところだろうけれど、あれは現実だった。それがカルトだったのかどうかも正直わからない。

 けれどカルトだったかどうかは全然重要ではない。
 たまにカルトの定義にこだわる人がいるけれど、私に言わせればカルトかどうかの定義など机上の空論だ。何の役にも立たない。厳密な定義が必要になる分野も当然あるけれど、教会に関してそれは当てはまらないと私は思う。つまり教会の中で何らかの被害が発生していて、それが信仰に基づくものでないのが明らかなのだけれど、ではそれを何と呼ぶべきか? という話になって「カルト」という言葉を出すと、「いやそれはカルトとは言わない」とか言われる。しかしそれがカルトであろうがなかろうが、被害は間違いなく存在していて、苦しんでいる人が存在している。私はその被害について語りたいだけで、そこを「普通の教会」とは呼びたくない(呼べない)だけだ。

 話を戻すと、教会の解散に至るまで、今起こっていることが何なのかという説明は何もなかった。当然だけれど。そして解散して、全員がポーンと投げ出されたような形になって、でもそれぞれがそれぞれの人生の続きを歩んでいくのである。状況が状況だったから、信徒どうしの繋がりはほとんど消滅してしまった。連絡を取り合う関係が継続していればまだ良いのかもしれないけれど、私の知る限りそういうやりとりすごく少ない。

 だから私たちは教会に関する全てを一度に失ったのである。建物も、信徒も、コミュニティも。そして何も残っていない。残ったのはこれからどうやって生きていくべきか、という差し迫った問題だけだった。

 それから何年も経つ。私はどこかでこう期待していた。いつか誰かがやってきて、皆を集め、この教会で起こったことは○○だったのです、とちゃんと説明してくれるということを。しかし当然ながらそんなことは起こっていない。今後も起こらない。

 だから私たちはそれぞれで、何らかの答えを出す以外になかった。そして未だに答えが出ていないんだと思う。あるいは答えなどないのかもしれない。あるいは答えを出すこと自体に意味がないのかもしれない。

 たとえば自分の中学時代なり高校時代なりを振り返ってみて、「あれはいったい何だったのか」と振り返るとする。けれどその答えは、同級生全員に共通するものにはならないはずだ。ある人は野球漬けだったかもしれないし、ある人は吹奏楽一筋だったかもしれない。ある人は勉強三昧だったろうし、ある人は無為に過ごしてしまったと後悔しているかもしれない。だから起こったことに意味を付けること自体、あまり意味がないのかもしれない。意味はそれぞれで違うのだから。

 しかし教会被害とか信仰被害とかいうものは、 それでは済まされないようにも思う。

 そうこうしているうちに時間だけが過ぎていき、記憶がだんだん薄れていく。このまま風化が進み、いつかすべて消え去ってしまうのだろうか。けれどいろいろな教会や牧師や信徒の発言や行動を見ていると、かつての私たちとすごく似ていたり、同じだったりする。私たちと同じ過ち、同じ問題、あるいはその可能性があちこちにあって、それに気づいてる人が少ないのである(気づいていれば解決されているはずだから)。

 そう思うと私はやはり黙っていられないし、記憶を風化させてはならないと思う。

2015年12月6日日曜日

Born again にまつわるあれこれ

Born again とも「ボーンアゲイン」とも「新生」とも呼ばれる現象があると、プロテスタントの一部教派で言われている。たぶん「聖霊体験」とか「聖化」とかと意味的に近いのではないかと思う。私が普段から問題として取りあげている聖霊派ではこれは日常用語になっていて、

「私は Born again したクリスチャンです」
「私の Born again は○年○月○日でした」
「あなた、 Born again してますか?」
「Born again するには××が必要です・・・」

 みたいな話がよく聞かれる。
 で、決まって引用されるのがヨハネの福音書のニコデモのところである。「水と御霊によって生まれなければ・・・」ってとこ。

 彼らの理解によると、この「水」は洗礼を意味していて、「御霊」はいわゆる聖霊体験を意味している。つまり聖霊体験をすると「生まれ変わる」ことができて、それが要するに Born again なのだと。

 じゃあ「聖霊体験」って何だって話になると思うけれど、これがどうも曖昧である。「異言」(異言モドキ)が話せればそれが聖霊体験の証拠だ、と言う人がいるけれど、彼らは無意味な音をバラバラ言うのが「異言」だと信じているので信憑性に欠ける。またすごい勘違いだと思うけれど、「新生したクリスチャンはもう罪を犯さない」みたいなことを言う人もいて、じゃあ生きた人間が新生されるなんて絶対不可能ではないだろうか。それが本当ならば。

「クリスチャンになる前の価値観が大幅に変容して、今は聖書的価値観を持つに至っている」みたいな状態が「新生」だと言うなら、まだ理解できる。そういうことはあるだろうからだ。
 けれどそういうプロセスを踏まず、あるタイミングで一瞬にして、不思議な力の作用によって全てが変えられてしまった、みたいな高尚な体験談を自慢げに話される人もいる。私はそれははっきり言って怪しいと思う。なぜならそういう体験談を主張する人に教会生活や私生活上の問題が散見されるからだ。それが「新生」だとしたら、いったいどこが「新しい」のだろうか。

 私が思うに Born again の問題点は3つである。ちなみに私がここで取り上げる Born again は先の聖書箇所が言う「水と御霊によって」とは全然関係なく、Born again しましたか? としたり顔で言うクリスチャンたちの Born again についてである。

・問題1:そもそも Born again ってどんな状態ですか

 どんな状態になったら新生したと言えるのか。あるいはどんな体験をしたら新生したと言えるのか。
 先に述べたように「異言」を語れればいいのか。でもその場合、その異言は本当に聖書が言う「異言」なのか? もし仮にそうだとして、じゃあ「異言」を語る牧師やクリスチャンらが過去に大勢犯罪を犯しているのは、どう説明してくれるのだろうか。
 あるいは Born again とは不可逆的な変化でなく、可逆的なのだろうか?
 そういうことをあれこれ質問してみると、答えはたぶん教会によって、あるいはクリスチャンによってイロイロである。つまりどれが本当なのかわからない。人によって変わることが果たして聖書の支持する普遍的な真理なのか、大いに疑問。ではないだろうか。

・問題2:Born again されたかどうか誰がどう判定するのですか

 「私は Born again した」
「あの人もついに Born again しましたね」
 とか言う人がいるけれど、その判定はいったい誰が、どんな基準でするのか。どこかの牧師? だとしてどんなルールに従って判定するのか。
 たとえばチェック項目が10個あって、1つだけチェックが入らなかったとする。その場合、新生したとは判定されないだろう。でもその場合、9個までチェックが入ったのはどうしてなのだろう? それは「新生していなくてもチェックが入ってしまう項目」ってことにならないだろうか。

・問題3:Born again ってブームじゃないですか?

 普段そんなこと一言も言わないのに、礼拝後や祈祷会後の雑談でたまたま Born again の話題が出ると、途端に「ああ私、Born again してますから」みたいなことを言いだして、ご自分の「Born again 体験」をとくとくと語る人たちがいる。
 その話の中で、 Born again はクリスチャンにとって絶対必要だ、新生しないと本当に救われたことにならない、Born again するには○○しなければいけません、みたいなことを言うのだけれど、いやいや、そんな大事なことなら普段から言おうか? たまたま思い出したみたいに話すのやめようか? って言いたくなる。
 そういうあれこれを見ていると、結局それって一つのブームじゃないかと思ってしまう。

 以上みてきたように、 Born again は定義がはっきりせず、判定方法もはっきりせず、思い出したように時々語られる事柄ってのが諸教会での現状だと思う。
 うーん・・・、本当に必要なんですかそれ?