礼拝説教中に眠くなったら、どうする・・・?

2018年5月5日土曜日

教会生活あれこれ

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説教中の眠気の対処法

 礼拝の説教中、眠くなることってありませんか?

 私は若い頃よくありましたね。説教に集中しているつもりが、いつのまにか舟を漕いでいたり、メモの字がミミズになっていたり、落ちる夢をみて足がビクッとなってしまったり。ちょっと自己弁護すると、毎回ではありませんでしたが。

 まわりを見ると、眠ったことがないんじゃないかと思うくらい最後まで目がパッチリしている人もいれば、わりと堂々と寝ている人もいました。牧師によっては初めから「眠い人はどうぞ寝て下さい」と宣言する人もいました(それくらい寛容なのでなく、誰が寝ていたかしっかり覚えているタイプです笑)。礼拝後に「あー眠かった」と自己申告する信徒もいましたね。

 というように人によっていろいろだと思うのですが、説教中に密かに眠気に対処することって、案外多いんじゃないでしょうか。そういう時、皆さんはどうやって対処しているでしょう。

 オーソドックスなところで言えば、目薬を差すとか、眠気覚ましのツボを押すとか、飲んでいいならコーヒーを飲むとか、ちょっと席を立つ(トイレなど)とか、足首をグリグリ回すとかですか。
 試したことはありませんが、息を止めるのも効果的だそうです。呼吸を止めると代償的に脳の血流が増え、覚醒を促すとか。深刻に悩んでいる人はやってみて下さい(効果は保証しません笑)。

 知り合いに、説教の手話通訳をしている人がいます。なぜその奉仕を始めたかというと、「座っていると眠くなるから」だそうです。本当かどうかは知りませんが。

眠気の有無は信仰のレベル?

 おそらく明言されないでしょうが、説教中に眠ってしまう人は「信仰熱心でない」と捉えられると思います。逆に寝ない人は「信仰熱心」と思われます。忙しくアーメンと相槌を打ったり、最後まで飽きずにメモを取ったりしている人は、いかにも熱心そうですよね(実際熱心だと思いますが)。

 つまり、眠気の有無で信仰が計られる、ということです。

 それはある意味で正しいかもしれません。なぜなら興味関心があれば、なかなか眠くならないからです。何かに没頭している時に眠くならないのと同じです。何か切実な事情があり、牧師の説教に強い関心があるならば、誰だって一言も聞き漏らすまいと頑張るでしょう。

 でもそれは「関心」であって、「信仰」とはちょっと違います。

 厳密なことを言えば、説教を聞く態度(あるいは聞かない態度)と信仰とは、関係ありません。「関心」の有無と「信仰」の有無は違うからです。
 だから「説教中に眠くなってしまう」と自分を責めている人がいたら、そんな必要ないですよ、と私は言いたいですね。

 そもそもの話として、眠くなる原因には日常的な睡眠不足があるかもしれません。
 毎日ちゃんと眠っているでしょうか。睡眠不足は(特に若い人は)大したことないと思うかもしれまんが、なかなか馬鹿にできません。確実に蓄積していき、脳の機能などにダメージを与えます。だからできるだけ早く寝た方がいいです。土曜の夜だからと言って、夜更かししちゃいけません(笑)。

 あるいは奉仕が忙しくて睡眠不足になっている人がいるかもしれません。はっきり言いますが、そういう奉仕は辞めてしまいましょう。身体を壊してまですることではありませんから。

 もう一つは、牧師の説教が長すぎないでしょうか。
 マイクを持つとヒートアップして話し続ける牧師がたまにいますけれど、あれは良くないと思いますね。人間の集中力はせいぜい15分から20分くらいなのに、平気で40分も50分も話してしまいます。聴衆に配慮していると言えません。単に自分が話したいだけ、聞いてほしいだけじゃないでしょうか。

 もちろん著名人の講演会なんかは長いんですけれど、あれはエンターテイメントの一種と考えるべきです。有料のことも多いですから、参加者の意気込みも違いますし。

 それにぶっちゃけた話、聞いていて眠くなる話なら、聞かなくていいんじゃないでしょうか。
 あ、これはちょっと言い過ぎですか(笑)。

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