信仰ブートキャンプ

2024年11月30日土曜日

教会生活あれこれ

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 プロテスタント教会が夏や冬の休暇シーズンによく開催する泊まり込みのキャンプは、信徒に信仰を叩き込み、洗礼を決心させ、献身に挑戦させる事実上の「信仰ブートキャンプ」になっていることがある。そういうキャンプは山や海などの僻地かつ遠隔地で開催されることが多い。簡単には帰れない舞台設定だ。そこで朝から晩まで聖書漬けにされる。その結果は火を見るより明らかで、私の教会もサマーキャンプの後は「洗礼決心者」や「献身決心者」が概して多かった。

 それは偶発的なことではない。完全に意図されている。教会(牧師)によってはそれを隠すどころか、大々的にアピールしさえする。「このキャンプであなたの信仰も人生も全く新しくされるでしょう!」


 キャンプ初日はたっぷり賛美。夜はゲストによる感動のメッセージ。続いてグループごとの分かち合い。深夜は各部屋でこっそりお喋り。翌日昼間は海(山)で楽しむ。夕方からゲーム大会。外に出て花火。輪になって祈って結束感を演出。当然ながら翌朝はみんな疲労困憊。それでも感動的なワーシップとメッセージを畳み掛けられ、疲れ切っているけれど何か満たされた感があって、普段なら躊躇するような「決心」もさほど高いハードルに見えなくなる。

 しかしそういったキャンプの非日常感と疲労の中で洗礼や献身などの重大な決断を迫るのは、端的に言って卑怯だ。それは信仰(あるいは「霊性」)が高められたのでなく、興奮でよく分からなくなっているだけのことが多い(そうなるように仕組まれている)。深夜のテレビショッピングが商品のメリットをこれでもかと並べ立て、今だけ送料無料だとアピールし、おまけに今だけのタイムセールだと焦らせて消費意欲を煽り、実はそこまで必要でないものを必需品のように思わせて、まんまと買わせる仕組みに似ている。


 そういうキャンプでブートされるのは信仰ではない。ほとんど洗脳やマインドコントロールの類のものだ。

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