嫌と言わないのでなく、嫌と言えない

2024年11月22日金曜日

教会生活あれこれ

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 教会での辛い体験を発信すると、「嫌なら嫌と言えばいい」とか「信仰は自分次第なのだから離れればいい」とか簡単に言う人が現れる。被害当事者が置かれている状況が全く分かっていない。「嫌だ」とか「辞める」とか、言えないどころか発想さえしない状況に陥っていることが多いのだ。

 例えば未成年の宗教2世は、保護者に頼らないと生存できない(子どもは一般に非常に脆弱な立場に置かれている)。その状況で信仰を事実上強要される。多くの子どもは保護者を失望させたくないし、できれば喜ばせたいと思う。だから「信仰しない」という選択肢は初めからない。たとえ「嫌だ」と思っても言えない。その状態で「離れる」などどうしたらできるのか。それに成人した後だって、信仰を辞めることは保護者と縁を切ることとイコールになってしまうことが多い。信仰だけの問題ではない。


 また教会で酷い目に遭いながら離れられないのは、「離れたら地獄に堕ちる」と脅されていたり、「辛くても試練なのだから耐えなければならない」と教えられていたりする場合もある。長い時間をかけてそこまで洗脳されていたら、本人は被害に遭っているという状況さえ認識できない。そういう被害を訴えるのは、大抵は離れた後、ある程度の期間が過ぎてからのことが多い。

 だからリアルタイムで「嫌なものは嫌だ」とか「離れます」とか言えるはずがない。被害者の発信の多くは過去の(時に数十年昔の)被害についてだ。それに対して「嫌なら嫌と言えばいい」などと言うのは見当違いでしかない。クリスチャンは聖書には詳しいかもしれないけれど、そうした虐待被害や被害者心理については無知だ。有害でしかないので黙っていてくれと思う。

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