【提案】自分の「証」より、他人の「証」をしてみたら?

2018年5月7日月曜日

教会生活あれこれ

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 クリスチャンがする「証(あかし)」について、以前書きました。
「証」という名の「自慢話」になっていませんか、という内容でした。一応リンクを貼っておきます↓

「証(あかし)」がただの自慢話になっていませんか?

 書いた後にもいろいろ考えましたが、「証」は必然的に「自分の話」になりますから、どうしても自慢の要素が入ってしまうのかもしれません。誰だって自分の恥ずかしい話より、多少なりとも聞こえの良い話をしたいでしょうから。

 誤解のないように書いておきますが、自慢話が悪いのではありません。誰だって承認欲求がありますし、認められたいと思っていますから。それに良いことや嬉しいことがあれば、皆に話して喜びをシェアしたくもなります。そういうのを嫌味なく話すなら、全然問題ありません。
 私が問題にしているのは、いかにも敬虔な振りして自慢話に終始するタイプの「証」だけです。

 で、今回はこの「証」について、ちょっと提案したいと思います。
 ずばり、自分の「証」より他人の「証」をしたらどうでしょう? という提案です。


 どういうことか説明するために、ちょっと私自身の話をします。

 私はいくつかの病院で働いてきましたが、その中のある病院での出来事です。
 その病院では毎週末、仕事が終わってから、スタッフが集まってちょっとした「酒盛り」をする習慣がありました。 土曜の夜、休憩室に集まって、みんなで飲んだり食べたりタバコを吸ったりしながらワイワイやる感じです。と言っても1人あたり缶ビール1~2本とか、そのくらいだったと思いますが。

 その時私はすでにクリスチャンで、所属する教会は、酒もタバコも禁止という厳しいところでした。
 でもそれと全く関係なく、私は酒もタバコも嫌いでしたので、もうその席が苦痛でしかありませんでした。しかも仕事以外で職場の人間とつるむ気もなかったので、ダブルの苦痛です(笑)。最初の1回だけ嫌々ながら参加して、以降は毎週遠慮させてもらうことにしました。
 だから毎週土曜日、お祭り気分の同僚たちを尻目に、私はさっさと帰るのでした。

 さてそんなある時、若い女性ナースのAさんが入職してきました。どこかで見たような気のする顔でしたが、思い出せません。気のせいかと思いました。

 何の変化もない、普段通りの日々が過ぎて行きました。毎週土曜の午後になるとみんな浮かれ気分になり、私は一刻も早く帰ろうと時計の針を見つめる、そんな日々です。

 そして数か月が経ちました。Aさんが、家庭の事情か何かで実家に帰ることになり、退職しました(ほんの数か月でしたが、そういうのは病院では珍しくありません)。私はAさんとはまったく交流がなかったので、完全に他人事でした。顔に見覚えがあった気がしたのも、すっかり忘れていました。

 それから数年後の夏です。私の教会に、姉妹教会の信徒さんらがやって来ました。合同礼拝か何かだったと思います。
 そういう機会は滅多にありません。姉妹教会の人たちとは5~6年、下手するともっと長い期間会いません。だから懐かしい顔ばかりでした。
 そしてなんとその中に、あのAさんがいたのです。病院を辞めて以来の再会でした。
 それで繋がりました。私はずっと昔、まだ子供だった頃のAさんを見ていたのです。だから、見覚えがあったのですね。
 聞くと、Aさんも私に見覚えがあったそうです。でも、声を掛けるまでには至らなかったと。

  そうしてAさんらが帰った後、ある婦人に声を掛けられました。
「Aちゃんが、あなたのことを褒めてましたよ」
 例の土曜の「酒盛り」の件でした。私が酒にもタバコにも目もくれず帰って行くのを見て、Aさんは私を「立派なクリスチャン」だと思ったそうです。職場の中で立派に「証」を立てていた、わたしもあんなクリスチャンでありたいと思った、と。
 期せずして、私は「職場の中で立派に『証』を立てるクリスチャン」になっていたのでした。

 でも正確なところを書きますと、私は嫌なことを避けただけです。酒もタバコも嫌いで、同僚と騒ぐのも嫌いだっただけです。社交性のない、ただの個人主義ですね。信仰とは全然関係ありません。

 それでも褒められるのは気分のいいものでした。その時、2つのことを思いました。
 1つは「どこで誰に見られているかわからない」です。これは案外怖いですね。皆さん気をつけましょう(笑)。
 そしてもう1つはこれです。
「これを自分で話したら、ただの自慢話だったな」
 つまり他人に話してもらったからこそ、良い「証」になったわけです。もちろん真相は全然「証」ではないのですが。

 というわけで教会で「証」をするなら、自分の話でなく、他人の話をしたらどうでしょう?
 他人のことなら幾ら話しても自慢になりませんし、言われた方も気分が良いです。もっと良いことをしようと思えるかもしれません。

 と、いう私からの(どうでもいい)提案でした。

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