「天使」って本当にいるんですか?

2018年2月16日金曜日

「悪霊」の問題

t f B! P L
 前回は悪魔の話をしましたから、今回は「天使」の話をしましょうか。

天使の実在は

 プロテスタントでは「天使」でなく「御使い」と言うことが多いと思いますが、ここでは天使としましょう。なぜか? 打つのがラクだからです(笑)。

 悪魔の話で「実在説」と「象徴説」を取り上げましたが、これは天使にも当てはまると思います。つまり天使が「実在」するのか、あるいは聖書を書いたり編纂したりした人たちの「宗教的創作」なのか、という議論です。私個人は後者の可能性が高いと思っていますが。

 そんな不信仰な! と思われるかもしれませんが、キリスト教を信仰することと、天使や悪魔の存在を否定的に考えることとは、べつに矛盾しません。天使や悪魔は信仰の絶対条件ではありませんから(絶対条件は「キリスト=神」と信じることですね)。

 あ、天使の存在を完全否定しているわけではありませんよ。可能性を考えてみましょう、という話です。

 具体的に考えてみましょう。
 ルカの福音書1章には、天使ガブリエルがマリアの処女受胎を告げにきた、という描写があります。処女受胎そのものが奇跡なんですけど、それを天使が告げに来たとなると、これはダブルで奇跡です。だからこそ「生まれた子は神の子だ」というのが、真実味を増します。

 これがもし、そういう奇跡で彩られていなかったらどうでしょう。ヨセフとマリアというどこにでもいそうな若夫婦の子が「神の子だ」と言われても、なかなかピンときませんね。皆さんの近所の子が「神の子だ」と言い出した場合を考えてみて下さい。頭がおかしいと思うんじゃないかでしょうか(笑)。

 だから「キリストは神の子なんだ」というのを強烈に印象づけるため、また神秘性を持たせるため、当時の人たちが宗教的誇張をした(せざるを得なかった)、と、考えることもできると思います。

天使体験

 ある牧師は子供の頃、車にはねられたそうです。身体がポーンと宙に舞って、あーこれはもうダメだと思ったと。でも地面にぶつかる寸前、見えないクッションに包まれて、激突を免れたそうです。瞬間的に「天使が守ってくれた」とわかったそうな。

 またある牧師は、「クリスチャンには守護天使が3人ついている」と言います。よくわかりませんが、クリスチャンであれば天使が3人体制で守ってくれるそうです。その割に酷い目に遭っているクリスチャンが少なくない気がしますが。

 ある牧師の子は、受験に向かう途中、ガラスに映る自分の背後に2人の天使を見たそうです。片方は剣を持っていたとか。ちなみにその受験の結果は合格でした。
 受験に向かうクリスチャンの方、ぜひガラスを見てみて下さい(笑)。

 というような「天使体験」を聞いたことがあります。当然ながら「聞いた」だけで、実際に「見た」わけではありませんが。
 皆さんはいかがですか。「天使体験」のある方、聞いたことのある方、ぜひシェアしてみませんか?(マジです笑)

自慢合戦に利用される天使

 さて「天使体験」があると、教会では「それはすごい」という反応になると思います。そして、

「天使体験がある」

「信仰のレベルが高い」

「すごいクリスチャン」

 みたいに思われるのではないでしょうか。
 でもこれって結局、クリスチャンの格差、レベルの違い、霊性の違い、みたいな話になってしまいます。すごい体験があればあるほど尊敬され、有利になります。でも信仰って、そういうことで測るものなのですか?

 上記の「天使が3人体制でクリスチャンを守っている」というのも、「信仰深い人には上位の天使が守護している」「重要人物には強い天使が付いている」みたいな話になります。スピリチュアル系で言うところの「守護霊様」と同じです。「善行を積めば積むほど上位の守護霊様に守ってもらえる」みたいな。

 だから天使やら悪魔やらを気にしすぎると、結局のところキリスト教の基本から離れていってしまいます。「自慢合戦」に終始してしまうわけです。

 大切なのは天使がどうこうでなく、あなた自身がどう生きるか、何をするか、だと私は思うのですが、間違っているでしょうか。

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