クリスチャンは他宗教の人を「論破」すべきですか?

2018年2月18日日曜日

クリスチャンと「常識」

t f B! P L
脳内BGMが尾崎豊だった頃に受けた宗教勧誘

 その昔、学生時代のことです。
 柏駅南口の広場でボンヤリしていたら、見知らぬ人に声を掛けられました。
「あなたの幸せのために、祈ってもいいですか?」
 変な宗教の勧誘だと思ったので無視しましたが、割としつこく尋ねてきます。腹が立ったので、「自分のために祈れば?」と返してその場を去りました。

 ちなみになぜ駅前でボンヤリしていたかと言うと、一口に言って「青春」だったからです。
 学校の帰り道の夕方、急に黄昏たくなって、駅前のベンチに座ってみました。脳内BGMが尾崎豊になっていた、と言えば察しのいい人はわかってくれるかもしれません。15の夜とか I Love You とか聴きながら、ひとり勝手にしんみりしていたわけです。あー恥ずかしい(笑)。

 それはいいとして、思えば当時、その手の宗教勧誘にやたら遭遇しました。
 自宅に「エ◯バの証人」がやって来て、興味本位で話を聞いたら、その後頻繁に来るようになりました。また友人が「幸◯の科学」に傾倒していて、何度も教団施設に連れて行かれそうになりました。バイト先のおばさんは天◯教でした。休憩時間によくわからない話をいろいろされましたね。

 宗教やってる人って意外と多いんだな、と思いました。実際には(日本では)それほど多くはないと思いますが。
 ちなみにそういう自分も、程なくしてキリスト教に入信したんですけどね。

 宗教勧誘について、皆さんはどんな印象を持っておられるでしょうか。
 たぶん、あまり良い印象はお持ちでないと思います。胡散臭さが先に立つのではないでしょうか。
 私も前述の「エ◯バの証人」の話を聞いた時、ほとんど瞬間的に「嘘っぽいな」と思いました。だからその後訪問に来られても、居留守を使うようになりました(まだ高校生でしたので、面と向かって断ることができなかったのです)。そのうち、来なくなりましたが。

クリスチャンは、他宗教を論破すべき?

 教会生活にどっぷり浸かっていた頃、牧師がこんな話をしていました。
「エ◯バの証人の信者がやって来たから、コテンパンに論破してやった。相手はぐうの音も出なかったよ」
 嬉しそうに勝ち誇っていました。クリスチャンなら敵を倒して当然だ、みたいな言いっぷりです。当時の私も、「危険な異端宗教なら論破して当然だ」と同意しました。

 しかしそれから年月が過ぎて、今はちょっと考え方が変わっています。

 実際に「エ◯バの証人」の方や、他の宗教の方とも会ってみてわかったのですが、礼儀正しい人もいますし、ちゃんと話が通じる人もいます。中には変な人もいるのでしょうが、私は会ったことがありません。だからさほど嫌な印象はありません(その教えに同意できるという意味ではありませんよ)。
 むしろ彼らに比べたら、キリスト教の「熱心な」人たちの方が、よっぽど話が通じない気がしますが(笑)。

 彼ら、たとえば「エ◯バの証人」の方々は、本当に、私たちが論破すべき相手なのでしょうか? 彼らは論敵である前に、私たちの隣人なのではないでしょうか? なぜ初めから「攻撃対象」になっているのでしょうか?

 そのあたりが、あまり考えられていない気がします。皆さんはどう考えられますか。

上から説教、一緒にお茶、さてどっち

 上記の牧師のような「武勇伝」は、今もけっこう聞きます。

「エ◯バの証人が教会に来たから、説教してやった」
「あの人たちには◯◯という論法で攻めればいい」
「下っ端じゃ話にならないから、偉い奴を連れてこいと言ってやった」

 何の自慢だろう、と私は思います。論破したり、貶めたり、やっつけたりしたことが、そんなに嬉しいのでしょうか。子供のケンカみたいに聞こえますが。

 確かにその手の宗教の教えには、(特にキリスト教から見て)おかしなところが多々あると思います。教義的に容認できないのもわかります。「間違いを正してあげよう」というのが悪意でないのもわかります。

 でも相手が同じ人間であることも、忘れてはなりません。
 クリスチャンだから偉いとか、立場が上だとか、そんなことは一切ありません。キリスト教が世界宗教だからと言って、あなたが世界レベルなわけではないでしょう。

 また、キリスト教が他の宗教に勝っているわけでもありません。歴史があろうがなかろうが同じ宗教です。そして信じる者にとって、それぞれの宗教は大切なものなのです。信じる自由、教義を主張する自由が皆にあります。

 そのへんを勘違いするから、上記のような子供のケンカになるんだと思います。
 いつからキリスト教が「上」になったのでしょうか。いつから他宗教を制圧していいことになったのでしょうか。そのへんを牧師が率先して勘違いしているとなると、これは問題ではないかと私は思います。

 さて、冒頭の話に戻りましょう。
 今、私があの柏駅前でボンヤリしていて、「あなたの幸せのために、祈ってもいいですか?」と聞かれたら、どう答えましょう。「その前に、あなたはどんな宗教を信じているんですか?」と聞き返すかもしれません。無下に断ったり論破したりするのでなく、対話を試みるかもしれません。
 それでも相手が(対話でなく)しつこく勧誘してきたら、それは私の問題ではなく、相手の問題ですね。対話にならないなら、それ以上はお断りするしかありません。

 と、そんなふうに私は考えています。
 最後に質問です。

「エ◯バの証人が教会に来たから説教してやった」という牧師の教会と、「エ◯バの証人が教会に来たから一緒にお茶しました」という牧師の教会があったら、あなたはどちらに行きたいですか?
 私は断然、後者に行きたいですね。

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