「ヤバい教会」の見分け方

2023年8月14日月曜日

教会生活あれこれ

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 教会で奉仕を頼まれたら、やりたくても一旦断ってみることをお勧めしたい。断っても態度が変わらなければ良い教会だと分かるから。もし断って「できない理由を探してはいけない」とか「やってもないのにできないと言ってはいけない」とか「私を強くして下さる方によって何でもできると書いてある」とか言ってきたら、コントロール・フリークな教会だ。早く離れた方がいいと思う。

 後者の教会は何がなんでも信徒に奉仕させようとする。「奉仕をしない者はクリスチャンとしてふさわしくない」とか、「せっかく主に贖われたのにその恩に報いないとはどういうことだ」とか、「それでは主を悲しませてしまう」とか、脅迫めいたことさえ言う。結局信徒を活動要員としてしか見ていないのだ。口では愛だ何だと言うけれど、蓋を開ければ能力主義と功利主義で、信徒を逐一評価している。

 聖書の教えにビジネス系啓発本の内容を絡めてくるのも、この手の教会の特徴だ。例えば「教会活動をにPDCAサイクルを取り入れる」とか、「見てくれより実を取るマインド」とか、「教会成長を成功哲学で考える」とか。一見斬新なことを言っているし、停滞気味のキリスト教界において革新的に見えるけれど、実のところカルトとの親和性が高い(既にカルト化しているかもしれない)。


 そういう教会の指導者が魅力的だったりカリスマ的だったりするのも、注意すべき点だ。人が人に心酔するのは、都合よく利用されてしまうことに繋がっている。カリスマ指導者は見目麗しかったり、言葉に説得力があったりで、人の心を動かすのが上手い。しかし注意してほしい。その言葉の大半はハッタリなのだ。壮大なことばかり言う人がいたら、まずは疑ってかかってほしい。


 まとめると、「聖書を使って人に行動を強制する」時点でアウトだと言える。どれだけ綺麗なことを言っても、それらしく聖書を語っても、その一点のみでヤバい指導者であり、ヤバい教会だ。

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