「霊的訓練」という名のコントロールできない怒り

2023年6月5日月曜日

「クリスチャンと成長」の問題

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「人間には褒められて伸びる部分と、厳しく叱られて伸びる部分がある。だから自分は心を鬼にして君たちを叱るんだ」と、教育関係の勉強なんて何もしていない牧師がドヤ顔で言っていた。そしてその言葉通り、よく信徒たちを厳しく叱責していた。私はHP制作に関する牧師の指示を上手く理解していなかったという理由で長々と怒られたことがある。確かに間違えたり失敗したりしたのは信徒の側だ。けれどHPに使う文言が一部違うとか、機材のセッティングに時間がかかったとか、メールの返信が遅れたとか、そういうことで1時間も2時間も膝を詰めて説教するのは、単に牧師が自分の怒りを抑えられなかっただけだと今は分かる。私たちは牧師のサンドバッグにされていたのだ。

 「厳しく叱られて伸びる部分」というのは、権威者にとって都合のいい体罰信仰でしかない。好きなだけ怒りをぶち撒けるための口実だ。そうやって一部の牧師は、自分のコントロールできない怒りに「霊的訓練」というラベルを貼っている。

 牧師に心をズタズタにされるくらいひどく叱責されて、でもその原因が自分にあるから仕方がないと思っているクリスチャンはいるだろうか。どんな理由であれ、ズタズタにされるくらい叱られるのは不当だと知ってほしい。どれだけ「霊的権威」があろうが、様々な勉強をしていようが、牧師が100%間違っている。抗議するか、逃げるかしてほしい。


 怒りをコントロールできない人間は、そもそも対人援助に関わる職に就いてはいけない。


 プロテスタントの牧師が持っているとされる「霊的権威」なんて、張りぼての虎みたいなものだ。大きくて怖そうだけれど、中身はスカスカなのだ。「霊的権威」を振りかざす牧師は、それ以外に振りかざせるものがないし、何かを振りかざさないと人を導けない(支配できない)と思っている。そもそも考え方が歪んでいる。そんな人間に、あなたの貴重な人生の時間を費やさないでほしい。

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