日本は性的同意年齢が14歳のまま長いこと変わっていない。いい加減に引き上げが必要だ。どう考えても14歳はまともな判断が下せる年齢ではないのだから。しかし先日その話題がネットで盛り上がった際、反対する声も多かった。50歳と14歳の”自由な恋愛”を邪魔するのはおかしい、とか。狂っている。子どもを子どもとして扱わず、守りもしない国に、日本はいつからなってしまったのか。
この「同意年齢」でもう一つわたしが必要だと思うのが、「宗教同意年齢」だ。例えば3歳の子が親に連れられてキリスト教会に通い、礼拝に参加したら、その子は”クリスチャン”と言えるのか。
周囲の大人が思う「この子は自ら信じている」とか「この子は(キリスト教で言えば)イエスさまを愛している」とか「この子も(礼拝などの宗教行為を)喜んでる」とかは、希望的観測かもしれない。子どもは大人たちの反応や顔色に敏感だし、大人たちに褒められたい/認められたい/喜ばせたいと思うからだ。そして教会でどのような受け答えをすれば大人たちが喜んでくれるか、子どもたちは知っている。
それを「純粋な信仰」と言っていいものか。
前述の通り性的同意年齢は(一応)決まっているし、選挙権にも飲酒喫煙にも許可される年齢が決まっている。しかし宗教のことになると、「幼い子にも信仰はある」とか「むしろ幼い子ほど純粋な信仰が持てる」とかの話になってしまう。「ちゃんと自分で判断したと言える年齢なのか」という視点がない。以前「1歳の息子がアーメンと言いました!」と自慢げにSNSに書き込む牧師がいて、驚いた覚えがある。
ちなみにその書き込みには沢山のイイネが付き、「ハレルヤ♪」みたいな絶賛系コメントが大量に寄せられていた。大人たちが寄ってたかって1歳児を「奇跡の信仰児」に仕立て上げるおぞましさ。そして誰もその子自身のことは考えない。
子どもへの宗教教育は上手くいく(本人が上手く順応する)ケースもあるだろうけれど、取り返しのつかない一生もののダメージを負わせる可能性も少なくない。どう転ぶか分からない(そして転んでしまう子が少なくない)。その意味で実験のようなものだ。子どもを親の実験体にすべきだろうか。やるならせめて多様な宗教に触れさせて、大きくなってから本人に自由に選ばせてほしい。
もちろん宗教教育を受けて大きなトラブルなく大人になった人はいる。その人の生育歴を否定することはできない。また宗教教育だけが問題なのでもない。しかしその「どっちもどっち論」の陰で、宗教の(宗教教育の)犠牲になった子たちが今もうめいている。
大勢の子どもたちが教職者や教会に裏切られて傷つくのを目の前で見た。自分自身も小さくないダメージを受けた。だから「信仰は良いものだから大丈夫」とか「神様が助けて下さる」とか「祈りは聞かれる」とか、申し訳ないが絵空事でしかない。
おそらく生涯キリスト教会に寄り付くことのない人を、教会は大量に生み出してきた。そのくせ「教会でないと救われない」などと言うのだろうか。一部の教会は教会に来ない人のことを「滅びる魂」などと呼ぶ。自ら「滅びる魂」を作っておきながら。
宗教同意年齢、必要ではないだろうか。