キリスト教風にうまく味付けされているけれど、中身は巷の自己啓発本の寄せ集めですよ、っていう信仰スタイルについてだ。昨今の「先進的な」教会なり牧師なりに蔓延しているスタイルの1つでもある。いかにも神のため、他者のため、地域のため、社会のため、みたいな言動や行動を取りながら、実は自分(たち)の利益や名誉が優先されている。しかし残念なことに、その中の人たちはそういう事態にあまり気付いていないことが多い。だから何の反省も修正も方向転換もされない。むしろますます自己啓発(自己実現)に邁進してしまう。
もちろん人間の基本的欲求として、学者のマズローも「自己実現」を提唱している。難しい話を抜きにしても、人間誰だって「こうなりたい」「ああなりたい」という願望を持っているだろうし、それを実現すべく努力しているだろう。あるいはそこまでアクティブでなくても、幸せでありたいとか安心していたいとか願っているだろう。
要は、誰もが自分自身を「快」の状態に置いておきたい、と願っている。そしてそれは当然のことであり、何ら問題ではない。
では何が問題かと言うと、これは前回の結論でもあるけれど、キリストの教えの目指すところは「自己実現」という言葉に対してなら「他者実現」とも言うべきものであり、その中で終始自己実現だけを求め続けるのは、壮大な自己矛盾である、ということだ。噛み砕いて書くなら、自分のことばかり考えてたらキリスト教なんて実践できませんよ、ということ。
ただ、「他者実現」を実践するには、ある程度「自己実現」できていないと難しいだろう、とも思う。そのへんのバランスは確かにあるだろう。だから一概に自己実現を否定するものではない。しかしやはり、そういうことを考えず、キリスト教を実践してますと言いながら「自己啓発教」に邁進しているのは、多分に問題があるだろうと私は思う。
では難しい話はこのへんにして、これ言ったら「自己啓発教」かもよ、という要注意ワードをツッコミ付きで紹介する。
■これ言ったら「自己啓発教」かもよワード(ツッコミ付き)
・「生き生きした教会です」「いのちに溢れた教会です」「元気な教会です」
→「生き生きした教会」と「生き生きしてない教会」は誰が、どういう基準で、どうやって区別するんですか?
それは「自分たちの方が優れている」という競争心や虚栄心の現れではありませんか?
・「ここはリバイバルの中心となる教会です」
→あそこの教会も「リバイバルの中心だ」って言ってましたよ? 日本には「リバイバルの中心」がたくさんあるんですね!
・「ここはこの世を勝ち取る教会です」
→あれ、「この世を勝ち取れ」っていう命令でしたっけ?
・「ここは正しい教会です」
→では他の教団教派は正しくない? 自分のところ以外はすべて間違っている? あるいは異端?
・「私たちが霊的に成長しないのは罪だ」
→聖書のどこをどう読んだらそういう解釈になるんでしょうか?
・「生産性を挙げるため、1週間を1日に見立てて行動しなさい。つまり月・火は朝のつもりでスタートダッシュしなさい」
→自己啓発本の引用です。
・「何事もホウレンソウを忘れず実施しなさい」
→ここって会社でしたっけ。
・「誰よりもハードワーカーでありなさい。しかし忙しい素振りを見せるのは二流だ」
→自己啓発本の引用です。
・「決まったことは即座に行動しなさい。スピードが命です。神を待たせてはいけない」
→だからここ会社でしたっけ。
・「バランスを取ってはいけない。1つのことに集中しなさい」
→スティーブ・ジョブズのパクリじゃないですか。
・「メールには夜中でもすみやかに返信しなさい。神は絶えず働いているんだ。神を待たせてはいけない」
→電通も真っ青ですね。
以上。また思いついたら書く。
・「メールには夜中でもすみやかに返信しなさい。神は絶えず働いているんだ。神を待たせてはいけない」
→電通も真っ青ですね。
以上。また思いついたら書く。