2016年10月28日金曜日

これ言ったら「自己啓発教」かもよワード(ツッコミ付き)

 前回は、キリスト教っぽくてぽくない「自己啓発教」について書いた。
 キリスト教風にうまく味付けされているけれど、中身は巷の自己啓発本の寄せ集めですよ、っていう信仰スタイルについてだ。昨今の「先進的な」教会なり牧師なりに蔓延しているスタイルの1つでもある。いかにも神のため、他者のため、地域のため、社会のため、みたいな言動や行動を取りながら、実は自分(たち)の利益や名誉が優先されている。しかし残念なことに、その中の人たちはそういう事態にあまり気付いていないことが多い。だから何の反省も修正も方向転換もされない。むしろますます自己啓発(自己実現)に邁進してしまう。

 もちろん人間の基本的欲求として、学者のマズローも「自己実現」を提唱している。難しい話を抜きにしても、人間誰だって「こうなりたい」「ああなりたい」という願望を持っているだろうし、それを実現すべく努力しているだろう。あるいはそこまでアクティブでなくても、幸せでありたいとか安心していたいとか願っているだろう。
 要は、誰もが自分自身を「快」の状態に置いておきたい、と願っている。そしてそれは当然のことであり、何ら問題ではない。

 では何が問題かと言うと、これは前回の結論でもあるけれど、キリストの教えの目指すところは「自己実現」という言葉に対してなら「他者実現」とも言うべきものであり、その中で終始自己実現だけを求め続けるのは、壮大な自己矛盾である、ということだ。噛み砕いて書くなら、自分のことばかり考えてたらキリスト教なんて実践できませんよ、ということ。

 ただ、「他者実現」を実践するには、ある程度「自己実現」できていないと難しいだろう、とも思う。そのへんのバランスは確かにあるだろう。だから一概に自己実現を否定するものではない。しかしやはり、そういうことを考えず、キリスト教を実践してますと言いながら「自己啓発教」に邁進しているのは、多分に問題があるだろうと私は思う。

 では難しい話はこのへんにして、これ言ったら「自己啓発教」かもよ、という要注意ワードをツッコミ付きで紹介する。

■これ言ったら「自己啓発教」かもよワード(ツッコミ付き)


・「生き生きした教会です」「いのちに溢れた教会です」「元気な教会です」

→「生き生きした教会」と「生き生きしてない教会」は誰が、どういう基準で、どうやって区別するんですか?
 それは「自分たちの方が優れている」という競争心や虚栄心の現れではありませんか?

・「ここはリバイバルの中心となる教会です」

→あそこの教会も「リバイバルの中心だ」って言ってましたよ? 日本には「リバイバルの中心」がたくさんあるんですね!

・「ここはこの世を勝ち取る教会です」

→あれ、「この世を勝ち取れ」っていう命令でしたっけ?

・「ここは正しい教会です」

→では他の教団教派は正しくない? 自分のところ以外はすべて間違っている? あるいは異端?

 ・「私たちが霊的に成長しないのは罪だ」

→聖書のどこをどう読んだらそういう解釈になるんでしょうか?

・「生産性を挙げるため、1週間を1日に見立てて行動しなさい。つまり月・火は朝のつもりでスタートダッシュしなさい」

→自己啓発本の引用です。

・「何事もホウレンソウを忘れず実施しなさい」

→ここって会社でしたっけ。

・「誰よりもハードワーカーでありなさい。しかし忙しい素振りを見せるのは二流だ」

→自己啓発本の引用です。

・「決まったことは即座に行動しなさい。スピードが命です。神を待たせてはいけない」

→だからここ会社でしたっけ。

・「バランスを取ってはいけない。1つのことに集中しなさい」

→スティーブ・ジョブズのパクリじゃないですか。

・「メールには夜中でもすみやかに返信しなさい。神は絶えず働いているんだ。神を待たせてはいけない」

→電通も真っ青ですね。

 以上。また思いついたら書く。

6 件のコメント:

  1. 「生き生きした教会です」「いのちに溢れた教会です」「元気な教会です」
    これは「若い人が多い教会です」とか「活気にあふれた教会です」と書かれることもありますね。オウムが若い人ばかりで、麻原より年上だった信者が、ほんの数人しかいなかったことを思い出せば・・・

    新興宗教系のプロテスタントの教会のホームページをみると、やたらアクティブで、リバイバルの文字が躍っていたり、「自分たちは正統的プロテスタントです」というのもお定まりですよ。

    「なんだか一つの企業みたいですね」と思っていたら、昭和三十年代だったかに、立正佼成会が問題をおこしたことがあったそうで、そのときに衆議院の予算委員会の席で、社会党の議員の一人がこう発言したそうなのですよ。
    「新興宗教は、一種の企業である」
    これは名言の中の名言でしょうね。新興宗教系のプロテスタント教会も、新興宗教の端くれである以上、やはりこの社会党の議員がいったように、どうみても「一種の企業」でしょうよ。もちろん「一種の企業」といわれる教会は、必ずといっていいほどカルト化しているという・・・(苦笑)。

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  2. ハハハ!”電通も真っ青”って
    もちろん、話題になったあの若い女性と訴えておられるお母上には同情します。
    今の日本のシステムなら、どこかの企業(組織)に所属していれば自殺率が高くなるの当然です。

    「一種の企業」
    支配者、そしていかなる時もその支配者を盛り立てる人々が重用され、
    あとは末端の”不満を持ちながらも、生活維持のためにその組織に属することを頼ることになる”
    で、このニホンは成り立っているのでしょう。

    不正を行うオエラについて訴えれば、”悪者”とされる。

    何百億とかけて行われる次期システム多々失敗して、権力者たちが甘い蜜をすっただけという話もよく聞きます。

    こんなニホンでも、まだ成り立っているのは、神様の憐れみによってではないでしょうか。

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  3. 自己啓発は昔ほどではないものの、今も一定の支持を集めています。かつて大流行した中で、一番有名なのが船井総研ですか。この類のムーブメントは、聖霊派やものみの塔聖書冊子協会やモルモンと同じで、アメリカ生まれのムーブメントです。
    船井総研は自己啓発が大好きで、かなり怪しげな人士たちが船井総研主催のイベントで、いろいろなワークショップや講演会をやっていました(船井氏亡き今もやっているとは思いますが)

    キリスト教の業界で船井総研を積極的に取り入れたのが、新興宗教系プロテスタントです。某新興宗教系プロテスタントの聖職者ですが、「私は毎日哲学書を読んでいます」というので、西田幾多郎や鈴木大拙でも読んでいるのかと思っていたらなんだかおかしい。よく聞いてみるとなんのことはない、船井総研で推奨されていそうなニューエイジ系の成功哲学というやつでした(笑)。
    今はそれほどでもないとはいえ、新興宗教系プロテスタントの聖職者たちの話を聞いていると、明らかにこれは船井本の読みすぎだなあといいたくなるような内容もあります。

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  5. 恐縮ですが、昨日投稿したコメントを加筆修正させていただきます。
    教会の中でも特に元気で熱心な教会は、世の中を勝ち取ろう、人々に影響されるのではなく、かえって良い影響を与える者になろう、と教えます。クリスチャンは聖書の価値観に生きるべきであり、世に流されてはいけないと主張します。
    しかし、よく見てみると、教会で言っていることと一般に出回っている啓発本で、内容が似ていることがあります。「あなたはありのままで愛されている」と言う一方で「主の証人(あかしびと)になるために努力しなさい」とも言います。その証人になるためには人に優しくしたり、困っている人を助けたり、仕事で成果を上げることを勧めます。成功しているビジネスマンが実はクリスチャンだった!と、例に出すこともあります。
    私は、それも大事なことであると思います。私も神と人とに愛される人間になりたいです。しかし、私たちは証人になるといいながら、いつの間にか「人から認められること」が目的になり、自己実現にはしってはいないでしょうか。私たちが人から認められるのは、あくまでその人に愛を表し、福音を伝えるためです。ちょうど使徒の働きで弟子たちの生き方が人々から尊敬されていたように。
    同じ「人から認められる」でも、その動機が何なのかを常に振り返ることが大切だと思います。

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  6. 順序がネ。
    まず、イエスの贖いにより、赦される、罪と離れる、神と結ばれるという立場になったということで、
    思考、行動が変わっていき、弱い立場の人にやさしくできるようになる、とかならまだ健全なんでしょうけど、

    まず善人になるように努力し、所属教会に奉仕献金し、となるとつまずく人が出るの当然ですよネ。

    受けるより与える者が幸いだ!まず捧げよ!
    をどういうふうに教えるかが、教会員の献金のみで優雅に暮らしたいと思ってる牧者の方には重要ではないでしょうか(笑)

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