2015年1月10日土曜日

クリスチャンの「あるある」的に書いてみた(プレイズ&ワーシップ歌詞篇)

 福音派・聖霊派教会が好んで歌うプレイズ&ワーシップ系の賛美歌詞に多く見られすぎる表現を「あるある」的にまとめてみた。

・神様を恋人視しすぎ
 愛するイエス様、わたしのイエス様、あなたに愛を告白します、あなただけを愛します、永遠に愛し続けます、等。ラブレターにしても熱すぎませんか。

・ありのままで良すぎ
 そのままでいい、変わらなくていい、ありのままの自分を神様愛してくれる、などのオンリーワン系歌詞。考えてみるとキリスト教賛美は「アナ雪」のずいぶん先を行ってたんですね。
 
・天を見上げすぎ
 私の助けはどこから来るのか、天から来る、という訳で天を見上げる。もちろん物理的に空を見上げる訳ではない。

・すごく大変な中で天を見上げすぎ
 嵐の中、大波の中、火の中、試練の中、困難の中、悲しみの中でこそ天を見上げる。あの、大丈夫ですか?

・今こそ信仰に立ちすぎ
 信仰の決心を促す歌詞。今こそ信仰に立ちます、今こそ献身の時です、全てを捧げます、等。だいたい両手を挙げて泣きながら歌われる。普段あんまり信仰的に見えない人がこの雰囲気にのまれて急に熱心になることも。

・どこにいるのかわからなかった神様が実は近くにいすぎ
 いわゆる「フットプリント」系の歌詞。神様がどこにいるのかわからず、ひとりぼっちで苦しんでいると思っていたら、実は神様が自分を支えてくれていた系。神様ありがとう、気づかなくてごめんなさい、と泣きが入ることも。

・この愛を誰かに伝えたさすぎ
「神様の愛を誰かに伝えたい」系の歌詞を多分かなりの高率で歌っている。あれ、でも先週誰かに伝えましたか?

・恵みに驚きすぎ
 なんという恵み、なんという愛、なんと大きな喜び、という訳で驚きの連続です。

・勝利しすぎ
 万軍の主の勝利、イエスの勝利、十字架の勝利、天の大軍勢も加勢にやってくる。これだけ勝ってれば大丈夫でしょう。

・風雨にさらされすぎ
 聖霊の風、神の風、愛の風、恵みの風が吹きまくり、恵みの雨、後の雨、祝福の雨が降ってくる。もうズブ濡れですね。

・こんな私だけどって自分を卑下しすぎ
 こんな私を救ってくれてありがとう、価値のない私を神の子にしてくれてありがとう。セルフイメージ低すぎませんか。

・癒されすぎ
 癒しを受ける、主は癒し主、私は癒された、回復した。むしろ健康なのでは。

 以上、決して賛美をバカにしている訳ではないけれど、多く見られる歌詞表現を挙げてみた。え、不謹慎だ? これらの歌詞の通りに生きてらっしゃる人からそう言われたら、たしかに返す言葉がない。

3 件のコメント:

  1. いい子ちゃん過ぎて、こそばゆいを通り越して、

    自虐的というか、

    慇懃無礼かもとまで思う藁

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  2.  いつも読ませていただいております。

     たしかになるほどなあと、うなづける部分がたくさんありました。

     彼らの全てを否定する気はありませんが、しかしどうみても、彼らのプレイズ・ワーシップというのはこころに響いてこないのです。歌の技量を問題にしているのではありません。技量以前の、歌詞をみてもなんというのでしょうか。ひとりよがり、自己満足の部分が痛々しいほどに感じられるのです。そのひとりよがりや自己満足を隠しているつもりはなくて、むしろそれを神は喜んでおられる、とさらにひとりよがりに陥っている。
     そんな気がします。

     つまりは、自分を相対的客観的に見られない、ということかもしれません。

    スマイル

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  3. ヘタレC様、スマイル様
    コメントありがとうございます。

    私も基本的に否定する気はありません。賛美は賛美で良いものと思います。

    ただそれを歌う本人たちがその歌詞ををどこまで実践しているのか、独り善がりになっていないか、カラオケ気分になっていないか、という点を面白おかしく書いてみました。真面目で賛美が好きな方には不愉快かもしれませんが。

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