先日結婚式でこんな話を聞いた。
「夫婦が上手くいく秘訣は互いに向かい合うことでなく、一緒に同じ方向(神様の方向)を向くことです」
教会で聞き覚えのあるフレーズだった。クリスチャンが多めの式だったのでさもありなん。けれどそれを実践して離婚したクリスチャン夫婦が少なくないので、ずいぶん無責任なアドバイスだなと思った。人間はそんなに単純にできていないし、夫婦の関係もそんなに簡単ではない。
クリスチャンの夫婦が互いの間に神様を置き、あるいは神様の方向を一緒に向くと、当然ながら互いのことに目が向かなくなる。もちろんそれは比喩的な意味であって、互いの姿を全く見なくなるわけではない。けれど相手より神様を優先するその態度は、実際に相手への関心を低減させる。すると相手のことが少しずつ分からなくなる。気持ちや意向を確認する機会も(互いに)減るので、必然的に、様々な形で衝突しやすくなる。
あるいは夫婦ともに教会で奉仕している場合、一緒に神様の方向を向いていると、(意外に思われるかもしれないが)互いにとって互いがライバルになることがある。ライバルは「好敵手」と訳すが要は「敵」だ。少なくとも仲間ではない。互いに嫉妬したり、競争心を燃やしたりして、神様を間に挟んだ奇妙な三角関係にもなり得る(現実にそういう夫婦はいる)。そうなると家庭は心の休まる場所ではなくなるかもしれない。
もちろん「同じ方向を見る」ことで互いを見ない方が、上手くいく夫婦もいると思う。一応夫婦の体裁を取りながら、別々に行動した方がお互い気楽なケースもある。オープンマリッジを実践している夫婦もいるだろう。夫婦の在り方はそれだけ多様だ。「同じ方向を見る」のはその一つであって、全夫婦を円満に導く万能策ではない。
教会で聞いたことを何でも鵜呑みにしてしまうクリスチャンが少なくないけれど、人間も人生も多様なので、どんな事柄においても「クリスチャンが選ぶべき唯一の正解」など存在しない。教会も間違えることがある(むしろ間違えることが多いと思う)。だから個別の関係、個別のケースにおいてその都度、ベターに思えるものを選択する他ない。それが人生だと私は思う。