ネットは「自由な言論空間」ではなくなった

2024年12月13日金曜日

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 ネットはもはや「自由な言論空間」とは言い難い。


 特にSNSは、マイノリティ性を有する人(女性や性的少数者、外国ルーツを持つ人や障害者など)ほど不特定多数からの攻撃に晒されやすく、予期不安や学習性無力感を持ちやすく、結果的に言論が制限されやすい。そして発信する人が減ると、もともと少数派なので「いない」ことにされやすい。マイノリティほど「自由な言論空間」から排除されやすいのだ。


 例えば公共交通機関での困りごとを車椅子ユーザーが発信すると、ほぼ確実に少なくない攻撃に晒される(前例が沢山ある)。それを見た他の車椅子ユーザーは(あるいは他の障害がある人たちも)発言しづらくなる。結果、禁止されたわけでもないのに言えない状態になり、その困りごとは「なかったこと」にされる。


 また多くの点でマジョリティの人でも、内容によっては攻撃に晒されて、発言を控えざるを得なくなることがある。私も先日、ヘイト本に傾倒した亡父についてスレッズで書いたら、いわゆるネトウヨに絡まれて嫌な思いをした。こういう話は書かないようにしよう、と思った時点で私の言論は「制限された」ことになる。


 もちろんそのSNSの性質は差別発言を抑止するのにも一役買っている。悪い面ばかりではない。けれど害悪な面も相当大きく、やはり法的な規制が急がれると思う。


 言論空間における法的規制の話をすると「言論封殺だ」と騒ぎ立てる人が必ず現れる。けれど、既にマイノリティ性を有する人たちの言論は事実上封殺されている。上記の通り、自由に発言しにくくなっているのだから。実際は「言論封殺だ」と主張する人ほど攻撃されにくいポジションにおり、自由に好き放題に攻撃できることが多い。その攻撃を抑止するのは「封殺」などではない。

 私は2024年から、主に発信するSNSX(旧ツイッター)からスレッズに移している。スレッズでも内容によって酷い攻撃に晒されることがある。攻撃でなくても無意味な粗探しや、見当違いなマウントが多い。とても相手にしきれない。そもそも初めから攻撃的な物言いの人間と建設的な議論ができると思えない。そこに時間を掛けて得られそうなメリットより、消耗感やストレスの方が大きい、と判断せざるを得ない。


 なので最近は、投稿内容によって返信を制限するようにした。今はすこぶる快適だ。色々な意見を聞いて視野を広げるのも大切だけれど、今のスレッズ(SNS)でそれは期待できない。どうでもいい粗探しや屁理屈やマウントの率が高すぎる。色々な意見はリアルからでも読書からでも得られる。なのでSNSは発信をメインに使っていきたい。


 それに合わせて、このブログもコメント機能を当面オフにする。言いたいことがあるなら、それぞれのプラットフォームで自由に書いたらいいと思う(意義のある内容なら相応の反応があるだろう)。ネット上での「自由な議論」を少しでも守るための判断だ。


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