「神様に導かれた結婚がしたい」と言いつつ、「相手はクリスチャンで、」「サンデークリスチャンでなくて、」「霊的生活が建て上がっている人で、」「楽器ができて、」などの条件を付けているとしたら、その結婚を「導いて」いるのは他でもない自分自身。「神様どうぞ導いて下さい」と、「自分はこういう相手と結婚したい」は基本的に両立しない。神様はあなたの自動販売機ではない。
また「神様に導かれた結婚」を「クリスチャンどうしの結婚」と混同しているところもある。
しかし「教会でクリスチャンどうしで(かつ異性愛者どうしで)結婚するのが最大の祝福だ」というのは、個人の信仰の姿勢である以前に、クリスチャン優生思想であり、血統主義みたいなものだ。本人がそう自覚しなくても、クリスチャンと非クリスチャンのカップルを劣等とみなす構造作りに加担してしまっている。
クリスチャンどうしの結婚を当然とする考え方は、中世ヨーロッパあたりの、街全体(コミュニティ全体)がキリスト教徒で、非クリスチャンが存在しなかった社会の名残りだと思う。「クリスチャンでない人間がいない社会」では、クリスチャンと結婚するしかないのだから。今の日本でそれを徹底しようとすると、婚期を逃した独身者ばかり増やすことになる(そして婚期を逃した人を「独身の賜物」などと呼んで正当化する。詐欺ですか?)。
「クリスチャンの結婚相手がクリスチャンである必要はない」という話をすると、「そうだよ、未信者の配偶者に伝道するチャンスじゃん」みたいな意見が出てくるけど、そういう話でもない。クリスチャンになるかどうかはあくまで本人の意思と選択なのだから。勧誘したり誘導したりお願いしたりするものではない。それを最終目的とする結婚も寂しいものだと思う。
たしかに、同じ信仰だから分かり合える部分はある。けれど、同じ信仰だからこそ衝突する部分もある。また信仰だけがその人の全てではない。「クリスチャンどうし」である以前に「人間対人間」として接しないと、結局あとから辛くなったり、「こんなはずじゃなかった」と苦労したりする。
というわけで結婚は「神様に導かれる」ものでなく、自分でよくよく考えて進めるものだと思う。
最後に、Twitterに上げた「クリスチャン婚活アドバイス」を再掲する。結婚に悩むクリスチャンの皆さんの参考になれば何より。
【クリスチャン婚活のアドバイス】
・何が「神様に喜ばれるか」なんて分かりません
・「神様が決めた結婚相手」なんていません
・↑仮にいたとしても判断できません
・「結婚相手の条件リスト」の効果は分かりません
・「独身の賜物」なんてありません
・祈るだけでは何も進みません
・非クリスチャンとの結婚を聖書は禁止していません
・クリスチャンと結婚すればハッピーとはなりません
・相手がクリスチャンかどうかは重要ではありません
・必要なら一旦信仰も教会も神様も脇に置いて下さい
・↑神様はそんなことで怒りません
・↑怒るのは神様気取りの人たちです
【クリスチャンどうしの結婚の難しい点】
・どちらも信仰熱心だと、信仰のことでぶつかりやすい
・片方が信仰熱心だと、熱心でない方を許せなくなる
・どちらも信仰熱心でないと、さらに中途半端になる
・教派が違うと、場合によっては他宗教くらい遠い
結論:クリスチャンどうしも難しいです